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【eJudo’s EYE】かなり良かった全中、「投げる」「強くなる」こと自体への傾倒感じた/第52回全国中学校柔道大会評

(2021年9月26日)

※ eJudoメルマガ版9月23日掲載記事より転載・編集しています。
【eJudo’s EYE】かなり良かった全中、「投げる」「強くなる」こと自体への傾倒感じた
第52回全国中学校柔道大会評
文責:古田英毅
Text by Hideki Furuta

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大会を彩った山本由聖と瀬川賢豪の対決。団体戦では山本が払巻込で一本勝ち。

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個人戦準決勝の再戦では瀬川が鮮やかな払腰「一本」でリベンジを果たした。

コロナ禍による1年の休止を経て、そして感染拡大下の難しい状況の中で(筆者は直前まで中止されるものと予想していた)行われた全国中学校柔道大会。久々自分でもカメラを構えて、4日間すべてをアリーナで見せて頂いた。

これが、かなり良かった。いったいに良かった。全体を通じて「組んで、投げる」という柔道の本質的行為への傾倒が見て取れたからだ。この世代が志向する柔道として、まっとうだ。

象徴的なのは、国士舘中の山本由聖と天理中の瀬川賢豪、団体戦決勝で相まみえた両軍のエースによる2試合。どちらの試合も両者全試合一本勝ちで迎えた注目対決だ。まず団体戦決勝の大将戦は山本が開始35秒払巻込「一本」で勝利し、個人戦90kg超級準決勝の再戦では2分13秒瀬川が払腰「一本」でリベンジを果たした。ともに右相四つの本格派という本来的に力の伝わりやすい、受けやすい関係。どう戦うかの意志も見えやすい関係であるが、彼らは互いに相手の良さを消すことではなく「投げる」ことに完全注力。組み合い、釣り手を高く持ち、おのが釣り手をなくして距離を詰めては大外刈、内股、支釣込足、払腰と大技を狙い、返し合い、投げの威力と錬磨を競い続けた。団体戦の一番は既に勝敗が決した後、しかも山本は開始早々に瀬川の返し技を食ってあわやポイントを失いそうになっているのだが、試合をまとめに掛かることなくあくまで投げによる決着を求めた。

全中で優勝するレベルのチームのそれもエース同士の試合で、ここまで直線的に投げを求めあう試合が繰り広げられるのはなかなかない。実に感慨深かった。このところの全中男子団体戦は、個人戦(才能ある選手が引き分けなしの世界で直線的に勝利を目指す)に比べると戦いのスケール感が大分落ちていて、正直なところかなりの閉塞感があった。年度によって多少の差はあれど、勝ち上がるのは試合のやり方を徹底的に仕込まれた超強豪校と、「普通の中学」では抗しようもないほど体を大きくした準強豪校。前者の選手はまず「自分だけが持って」リスクを消すことを大前提に試合を進め、後者は体で圧倒して勝ち上がるも上位対戦になるととたんにそれまでの勢いを失い、手数攻撃に堕ちて柔道の理のなさを暴露する。もちろん毎年才能ある好選手が面白い試合をしてはくれるのだが、筆者は率直に言って「団体戦はあまり観たくないな」と思うようになってしまっていた。それがこの、トップチームのエース同士によるこちらが唸ってしまうほどの投げの打ち合い。トップ選手の振る舞いは大会傾向の反映。団体戦準決勝で山本と対戦した名郷颯馬(大成中)ら、彼ら以外にも「良いところを出して投げで勝負する」選手とチームが非常に目立った。

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女子団体決勝、敬愛の先鋒福嶋勇凪が大成・松井叶望から内股「一本」

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準々決勝、東海大翔洋中の中道咲桜が代表戦でマークした払腰「一本」はベストスロー級。多くの素晴らしい「一本」が生まれた今大会の中でも、際だった一発だった。

女子も「魅力のある柔道を」とのスローガンのもと投げを決め捲って優勝した敬愛中(福嶋勇凪・大多和心・山口千弘・本田里來)を筆頭に「投げる」ポリシーを前面に押し出したチームの活躍に心ひかれた。中学女子は早い段階で組み手を厳しく叩き込まれて「しまった」選手がほとんどを占める、本格派にとっては非常に難しい世界。その中で「持てれば、投げる」を単なるスローガンや勝利至上主義の言い訳でなく、これを最優先にするチーム、本質的な育成の柱に据えるチームが増えて来ていると感じた。ベスト4に進んだ東海大翔洋中のエース中道咲桜は代表戦2試合を戦っていずれも一本勝ち。準々決勝・五條東中との代表戦で決めた払腰「一本」は大会ベストスロー、「持てない」それまでの苦戦と、持った瞬間の、畳の上で爆発が起こったかのような投げの凄まじさのギャップが半端ではなかった(この組み手の力関係ならいきなり投げは決まらないと思い込んでいたので、シャッターを切るのがひとコマぶん遅れてしまった)。本人の資質はもちろん、投げ自体を磨くことをもっとも大事にしているチーム、指導者の方針が垣間見えるようだった。他にも、これはという投げを持つ選手枚挙に暇なし。

もちろん、いまだ「相手の良さを消す」ことにリソースを傾ける女子の強豪校が上位に進む絵もあったし(率直にふた巡り以上前の文化と感じた。とにかくいま勝たせてくれという保護者のプレッシャーを想像してしまって胸が痛かった)、女子の軽量級のアップでどんな技でも必ず袖口を掴んで打ち込みをする選手が並ぶ絵には辟易させられた(投げられにくいが投げにくい「負けない」ための組み手。彼女たちはたとえブラインド柔道でも何も考えず袖口を掴むのではないか。理を教えず画一的にこれを仕込む指導者は己を恥じるべきだ)が、全体として、大きく「持ち合って、投げる」「己のいいところを出す」チームと選手が増えた、この文化が広がりつつある大会と感じた。

なぜだろうか。この先はすべてが筆者の想像であるが、すこし考えてみた。

ひとつは長年続いた極端なメソッド柔道への反動。もうひとつは、現在のルールを考えれば「持って、投げる」ことこそが勝利の近道だという現実的な判断。そして最後は、コロナ禍という特殊状況が生んだ選手と指導者の内省。すべてが少しづつ当たっていると思うのだが、願望を籠めて、筆者は3つ目を強く推したい。

コロナ禍により、1年以上にわたって大規模大会は中止。部活も満足に行えず、試合はいったいいつあるのか、そもそも実際に行われるのかがまったくわからない。時期によっては組み合っての稽古すら制限され、ひとり稽古、あるいは黙して己の柔道いかにあるべきかを考えこまざるを得ない状態が続いた。普通に考えて、この状況にあって「相手の良いところを消す」方向に人の思考や行動は向かない。負けを恐れることよりも、勝つために、強くなるために己をどう鍛えるべきかを考えたはずだ。どうやって相手を投げるかひたすら考え、技を磨き、相手を封じるのではなく自分自身が強くなること自体のために1年間行動し続けた、この世代の子たちのアウトプットこそが大会全体の「持って、投げる」傾向だったのではないか。

(強豪校の「仕上げ」が足りなかったという見方も考えたのだが、もしそうであればぜひこの先も敢えて「仕上げ」をせずに技を磨く方向で成長を期して欲しいものだ)

内省というところでは、たとえば重量級で優勝した男子の平野匠啓や女子の小出穂香の組み手や方法論には、己の特徴を生かさんとした思考の跡が強く感じられた。平野は己の長身を生かすべく、ワールドツアーで散見される「両襟奥」をベースに相手の頭を下げさせ、長い脚を差し入れる方法論を採っていた(自分で考えたそうだ)。小出は組んで繋がると、体捌きで大きく空間を作り出し、崩れた相手を捩じってここに嵌めることで己の身体の強さを生かして「一本」を連発していた。型に嵌った強さではなく、自分の良さを生かすにはどうすればいいかという思考の柔らかさを感じた。

これに関連して「レベルの高い大会(具体的にはワールドツアー)を見ている子が意外に多いのでは」とも感じた。技術の模倣も、考え方の模倣も多い。この点では高校カテゴリよりも上だった。

技術の模倣。筆者は3月の高校選手権の段階で、おそらく本戦で爆発的に流行るであろう技術(寝技)を1つ予想していたのだが、この読みは甘く、実際はただの一度も見られなかった。ワールドツアーと国内の寝技技術の乖離は1ヶ月後の選抜体重別でも強く感じたのだが、方法論が出来上がった指導者のもとでは、意外に生徒は上のカテゴリの試合を見ないのではないかと思った。この技術が、今回の全中では具体的にいくつか見られた。どれも成功はしなかったのだが、生徒自身、あるいは指導者自身が良いものを探して自らに取り入れようという気風があるのかもしれないと感じた。投技にも随所に「あの技だ、よく見ているな」と思わされるものが多かった。これもコロナ禍の影響だろう。

以上である。取り留めないメモのようなものだが、ひとこと書き記しておきたかった。基本を練ることが大事な中学時代を目先の結果ではなく「己を見つめて、強くなる」ことに使ったであろうこの世代が以後どんな柔道をしてくれるのか。非常に楽しみである。

※ eJudoメルマガ版9月23日掲載記事より転載・編集しています。

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