PAGE TOP ↑
eJudo

【eJudo's EYE】記者の目・普及のトップに就任、井上さんが目指すのは「カルチャー」を変えること

(2021年9月22日)

※ eJudoメルマガ版9月23日掲載記事より転載・編集しています。
【eJudo's EYE】記者の目・普及のトップに就任、井上さんが目指すのは「カルチャー」を変えること
→ニュース記事へ

文責:古田英毅
Text by Hideki Furuta

eJudo Photo
井上康生氏。普及統括部署を率いることになった。

まず「ブランディング戦略推進特別委員会」。リリース・各種報道は情報の多さゆえ何が起こったかかえってわかりにくくなってしまっているのだが、つまりは「普及・マーケティングの専門部署」を立ち上げ、そのトップに就いたのが井上康生さんだということだと解釈する。“各専門委員会の所管事項を横断的に調整する必要がある”と設置の理由を明記してあるから、普及(という言葉で括り切れない思いが「ブランディング」というネーミングに現れているのだと思う)戦略の統括部署であると考えていいだろう。

まずもって大歓迎である。普及の手立て数あれど、そして同時多発的に複数の柱を打ち立てる必要確実にあれど、角度バラバラの縦割りで何かをやっても狙い定まらぬ豆鉄砲にしかならない。また、多くの人が誤解しているのだが、実は「人数を増やす」という現象自体は単なるプロセスであって、この単なる“手段”を目的にしてしか動けない、またそれを当然と捉えている世界は脆弱で、ちょっと歪んでいる。我が業界が作り上げたいものは何なのか、皆が何を目指して動けばいいのか。この「何を目指して」「どう動くべきか」を統括する普及戦略のブレインという、実は最も必要でついぞなかった中核システムが、柔道界がもうこれ以上失敗出来ない土俵際のタイミングになってついに立ち上がったということだと思う。部局の誕生自体も、この状況(一種強権をもってでも既存の価値観を変えていかねばならない状況)の中にあってそのトップが日本柔道のアイコンであり知性派の代表格であり業界をまたいでファンの信頼極めて厚い井上さんになったことも、大歓迎である。

■ 「カルチャーを変える」という井上さんの言葉を考える
さて、先週(このリリースが出る1週前)幸運にも井上監督にインタビューする機会を得た。アジェンダは五輪の振り返りだったのだが、終了後少し時間を頂いて普及についての話を交わすと、その極めて短い時間の中で「カルチャー」という言葉をまっさきに、そして何度も口にされていた。普及のやり方たくさんあれど、なによりも「カルチャーを変えなければ」「作らなければ」と幾度も繰り返していた。

実はこの「カルチャー」という言葉、筆者も日々「ひとり普及会議」を悶々行う中でここ数年もっとも使用率の高い重要タームである。柔道界のこれからを考えて何を為すべきかを考えると、表現としてこの言葉が一番使いやすい。

なぜ井上さんが「カルチャー」という言葉を使うのか、それがストンと落ちるのか。思い入れが強すぎてかえって迷惑かもしれないが、自分なりに少しだけ考えてみたい。書き始めるとどこまでも書いてしまうので(試し書きは2万字を超えてしまった)、ごく短く。

まず「イメージではなく、カルチャー」。「柔道のイメージを変えなければ」という言い方を良く見かけるのだが、これには少々の違和感がある。合っているんだけど違う。この言い方には「外からの見え方」を変えることで入ってくる人間を増やしてやろう、というちょっと都合のいい思いがにじみ出てしまっているからだ。実は変えるべきは見え方ではなく、我々の中身自体である。五輪で良い結果を出して注目度は上がっているが、単に露出を増やすだけ、好感を持たれるだけで、一時的に参入者を増やすだけでは息が続かない。極端な話をすれば、社会と乖離した価値観や極端な一律競技志向を押し付けられて傷つき、自己肯定感を失い、逆に柔道にネガティブな印象を持ったままエグジットする人がひたすら増える結果を招くだけということにすらなりかねない。だから使う言葉は「イメージ」ではなく、そもそものありようを示す「カルチャー」であるべきだ。我々自体が変わらなければという含意が、そこにある。

次に「ルールではなく、カルチャー」。振る舞いを変えるべくルールを作っても、スローガンを掲げても、たとえ罰則を作っても、人は結局やりたいようにしかやらない。どんなに細かい行動規定を作っても「書いていないから」「解釈が違うから」と網目をすり抜けてやりたいことを通す人は必ず現れるし、こういう人たちの一言一句までをルールで縛ることは不可能だ。そして、ここまでの活動で誰もが身に染みているのではないと思うが、本当に届かせたい人のところには、こういうメッセージはなかなか届かない。頑なな人ほど、情報へのアクセスは遠い。だから、この世界の「当たり前」を変えていくしかない。ルールで縛るのではなく、ポジティブに、人の行動律を、振る舞いの隅々までを決定する「カルチャー」自体を変えていく。やはり、この言葉がふさわしいのである。

あとはたぶん。ルールとして、あるいは努力目標(スローガン)として言葉にした瞬間、こういうものはすぐに陳腐化して本質と離れていきがち、ということも念頭にあるのではないだろうか。いわく言葉にしがたい良い行動律、言葉にした瞬間どこか建て前として響いてしまう高い理念、イケている価値観。こういったものを半端な言葉で壊さず、ナマの本質にアクセスしたいという思いが、この「カルチャー」という言葉に現れている。(勝手に思うのだが、たぶん、結果的にかつてと全く社会のイメージを変えたラグビーの成功が念頭にあるのではないだろうか。)

ではその目指す「カルチャー」が何かということになる。これこそまさに「ブランディング」そのもの。井上さんが「これから探る」という姿勢を採っているのは、どんなツールを駆使すべきか(それこそ単なるルールやスローガンではなく)、また既存の価値観と無用に対立することなくどう受け入れさせていくか、極めて慎重に考えているゆえであると思う。安易なスローガンを掲げるよりも、よほど本気度が高い。

筆者が勝手に書き連ねれば(これも陳腐化を避けるために敢えて取り留めなく整理せずただ挙げる。2万字を軽く超えてしまうのはこの部分があるからである)、例えば、知的で、ゆえに業界全体がオープンマインドで、人生を豊かにすることに役立ち、携わる人がそれを共通して意識していて、発する言葉はポジティブで、どの層にもやりがいのある枠が用意されて常にそれをアップデートすることが習慣としてあり、教育サービスであることを前提にカリキュラムと教師養成プログラムが用意され(比較すべきは他競技ではなくたとえば英語学童)、「武道」由来であることが強く意識されて日本文化への帰属意識に訴えかけ(この点でも英語学童のカウンターカルチャーになりえる)、同時に国際交流のこの上ないツールであることを全員が意識し(同)、達成度による各々の振る舞いがきちんと共有され、やること自体、技術の探求自体が楽しめ、これを可能ならしめるための論理がきちんと言語化されていて、「柔道」自体と「競技柔道」の違いがしっかり意識され、両方の立場にあるもの同士に互いにリスペクトがあり、世代や地域を超えた交流があり、競技で上がっていきたいものにはきちんと道が用意され、多様な戦い方のアプローチ自体が柔道の特徴として意識されてそれぞれ尊重されて受け入れられ、しかも文武両道が共通の価値観であることで柔道競技での研鑽が社会的な上昇にも繋がる。そして互いに「組み合った」もの同士の紐帯(この強さは経験したものであればみな共有しているであろう)は社会に出ても生き続け、柔道人同士が「柔道」に携わったことで繋がって、助け合う。

キリがないのでひとまずこんなところで止しておく。おそらく、各人それぞれ描く世界は少しづつ違う。それを提示してください、そして擦り合わせて、いいものを見つけていきましょう、というのが今回の「専門部署」発足なのだと思う。

■ 目指すは柔道界の「百年計画」構築ではないか
長々勝手な思い入れを語ってしまったが、本題のリリースに戻る。

リリースをそのまま摘まんでひたすら引用した総花式の報道が多く、見えにくくなってしまっているのだが。だから、立ち上げに際して井上さんが一番言いたいのは「事業内容」に書かれた「柔道の現代社会における役割や提供しうる価値を定義し、幅広い層に理解される明確なコンセプトを開発する」という部分だと思う。柔道なりの「百年計画」(この言葉も、監督就任当初幾度か話をお聞きする中で頻繁に口にしていた)立案の発議であり、いままで「普及」や「競技人口増」という便利な言葉で覆い隠されてきた、実は薄い「中身」を作ろうという意思表明であり、呼びかけであると思う。

「柔道ルネッサンス」が、その建て前性や本質へのアプローチの薄さから結局「スリッパを揃えさえればいい」というような枝葉末節のそれこそ「字面だけのルール」を残したのみで失敗に終わり、「MIND」が良質のメッセージを孕みながらも今一つ人口に膾炙しない(余談ながら新しいMINDのビジュアルイメージは、「カルチャー」の変化への訴えを強く感じさせるもので筆者はかなり好感を持っている)中で、我々が何に向かっていくのか、どう振る舞うべきなのかを、建て前抜きで本質的に考えようということだ。

この宣言自体が貴重だ。例えば「精力善用・自他共栄」という素晴らしい言葉がその高邁さ自体ゆえに、そして時間の経過を経て効かなくなってしまっている中、柔道の新たな価値観を「いま」の感覚と言葉で再構築しようという、実は、嘉納治五郎師範時代以来の大仕事なのではないか。

だから、たとえば「何をやるのかよくわからない」というような批判は、ひとまず我慢して欲しい。「なぜそれがブランディングに繋がるのか」というような短期的視点の突っ込みも、こらえて欲しい。今回もっとも大事なのは、「やる」というこの宣言自体なのだから。立ち上げるからにはひとまずであっても何をやるかを出さねばならない。それが「動画コンテンツの整備」であったりすると思うのだが、これは「いま見えていること」に過ぎず、誤解を恐れずに言えば今回のリリースにあっては、ノイズの域の話だと思う。

いわく言葉にしがたい、柔道の魅力をきちんと言葉にする。
これを考える過程で、社会にとっての柔道の価値が何かをあらためて見出す。
2つがクロスする部分をカルチャーの域まで高め、行動規範として定着させる。
結果、柔道を復興する。

という宣言と解釈する。皆、一緒に考えようではないか。各人それぞれがこのリリースを読み「では、“柔道の現代社会における役割や提供しうる価値・幅広い層に理解される明確なコンセプト”とは果たしてなんぞや」と考えること自体が、このプロジェクトの、そして柔道界の力になると思う。「ブランディング戦略推進特別委員会」の仕事に、そして柔道人の思考力に、大いに期待したい。

※ eJudoメルマガ版9月23日掲載記事より転載・編集しています。

→eJudoトップページに戻る
→「ニュース・マッチレポート」に戻る
→「書評・DVD評」に戻る