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【追悼 古賀稔彦さん】「柔道マンガにおける古賀稔彦さん」(eJudoマンガ夜話 特別編)

(2021年5月28日)

※ eJudoメルマガ版5月26日掲載記事より転載・編集しています。
【追悼・古賀稔彦さん】「柔道マンガにおける古賀稔彦さん」
eJudoマンガ夜話 特別編
文:東弘太郎 
Text by Kotaro Azuma

「eJudoマンガ夜話」でおなじみの東弘太郎さんから、3月24日に逝去された古賀稔彦さんの追悼文を寄稿頂きました。古賀さんが現実世界の柔道のありようを変えたスーパースターであるとともに、フィクションの世界でも以後のヒーロ―像、そして物語像自体をもまったく変えた巨人であることをわかりやすく、そして敬意を込めてお書き下さっています。古賀さんはまさに、現実世界に留まらぬ、次元をまたいだ私たちのヒーローでした。心よりご冥福をお祈りいたします。(編集部・古田)

■ 古賀さんの登場で柔道マンガは変わった
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古賀稔彦さん。あまりにも早すぎるお別れだった。(2018年撮影)

「平成の三四郎」古賀稔彦さんが亡くなってはや2ヶ月が経とうとしている。53歳はあまりに早過ぎる。いまだに信じられないのが実感だ。私たち世代にとって古賀さんは実際にその活躍を目の当たりにした、まぎれもないヒーロー。80年代後半から90年代にかけてのその鮮やかな活躍は「柔道のイメージを変えた」と言って過言でない。打点の高い豪快な一本背負投。体重無差別の団体戦や全日本柔道選手権で、重量級を翻弄する姿。当時の中学高校の柔道部員で古賀さんの一本背負いを真似してみたことのない者はいなかったと思う。

その存在は、当然柔道マンガにも大きな影響を与えた。古賀さんが頭角を現してきたのが、「柔道部物語」、「YAWARA!」という代表的な柔道マンガの連載スタートとちょうど時期を同じくしたこともあり、それ以降のほとんどの柔道マンガに「古賀稔彦」と「古賀の柔道」が登場することになった。ある時は主人公の得意技に。ある時はライバルの造形に。時には本人として登場する機会もあった。そして、古賀さんがもたらしたものによって、柔道マンガは決定的に変わった。追悼の意を込めて、「柔道マンガにおける古賀稔彦さん」を振り返りたい。

■ 柔道マンガにおけるヒーロー像の変遷
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柔道マンガにおける最初のヒーロー類型は「気は優しくて力持ち」。(c)福井英一/アース出版局

古賀さんの登場によって、柔道マンガはどのように変わったのか。まずは古賀稔彦登場以前の柔道マンガのヒーローたちから見ていきたい。

最初の柔道マンガブームは、1950年代。福井英一の「イガグリくん」を嚆矢とし、田中正雄の「ダルマくん」らが続いた。主人公のイガグリくん、ダルマくんとも坊主頭に近い短髪にがっちり、いやむしろ、ずんぐりというべき体型だ。健全な正義感に溢れる友情、「気は優しくて力持ち」を地で行く。イメージでいうと山下泰裕さんに近い。得意技・必殺技はあるのだが、その理は作中では明確にはされず、「ヤッ」という吹き出しが書かれたコマの次には、相手がズシンと畳に倒れていたりする。この「気は優しくて力持ち」タイプは、その後も水島新司「ドカベン」の山田太郎や、岡本まさあき「大の字が行く」の大野将造などに引き継がれ、いまも柔道家の一つのイメージとして定着している。

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梶原一騎原作による荒唐無稽な必殺技が一世を風靡した。画像は「ハリス無段」に登場する「五輪回転投げ」。最後は相手の脳天を畳に激突させる。
(C)タツノコプロ/(C)Ikki Kajiwara

次に人気を博したのは、60年代以降の一連の梶原一騎原作による柔道マンガ。作画・永島慎二による「柔道一直線」は桜木健一主演でテレビドラマ化、作画・貝塚ひろしの「柔道讃歌」はアニメ化された。主人公はいずれも小柄だが気が強い。良く言えば直情型で行動的。悪く言えば、おっちょこちょいで思い込みが激しい。勘違いして一人相撲を取っては、あとで反省して泣く。そして、必殺技は、荒唐無稽。これを繰り出せば必殺必中、という大技は富田常雄「姿三四郎」に登場する「山嵐」を筆頭に、柔道小説・マンガの「華」ともいうべき存在だが、「山嵐」が実在の技であり、富田の筆にかかればそれなりの説得力も持つのに対して、梶原原作の柔道マンガに登場する必殺技は、いささか度が過ぎる感がある。「柔道一直線」を代表する必殺技「地獄車」は、相手の尾てい骨と頭部を何度も畳に激突させる。「柔道讃歌」の主人公・巴突進太の「巴二段投げ」は巴投げで宙を浮かせた相手にさらに空中で巴投を仕掛け、空中高く跳ね上げ(物理的に不可能である)、結果、相手は畳に頭からめり込む。

これらがなぜ一本になるかは不明である。だが、そこに通底するのが「姿三四郎」から面々と連なる「野試合」の空気であると考えれば、合点がいく。柔道の技は、競技において一本を取るものであると同時に、野試合でも通用するものでないと意味がないという思想が、そこには感じられる。実際にこの時期までの柔道マンガでは野試合の場面が頻出する。また学校間の対抗試合や大会も描かれるが、競技の場であるはずにも関わらず、ルールには認められていないはずの、羽目板を突き破ってのKOや、畳にめり込んで気絶することによって決着となることが多かった。それでも、それらの荒唐無稽な技が大衆の人気を博したのは、「柔道は、小柄な者でも魔術的な技を用いることによって大男を宙に舞わすことが出来る」という共通の「幻想」が生きていたからであろう。柔道にはまだ「ファンタジー」が入り込む余地があったのだ。

■ 「小よく大を制する」幻想の崩壊
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あまりにも強すぎる現実世界のヒーロー・山下泰裕の存在は柔道フィクションにおける「小柄なもののファンタジー」をも駆逐してしまった。写真は「近代柔道」1981年1月号より引用。(C)近代柔道

一方、目を転じて、現実の畳の上はどうであったか。1961年パリ世界選手権、1964年東京オリンピックでのヘーシンクに対する敗戦は、一般大衆が柔道に対して抱いていた「柔能く剛を制す」「小能く大を制す」という幻想を揺るがせた。梶原一騎による「柔道一直線」が、東京オリンピックで神永昭夫がヘーシンクに敗れるところからスタートするのは象徴的だ。

その後、「昭和の三四郎」岡野功や関根忍など中量級の選手が全日本選手権を制した時代もあったが、一人の「怪物」の出現が「ファンタジー」を決定的に消え失せさせることになる。84年ロサンゼルスオリンピック無差別金メダルの山下泰裕だ。身長180センチ、体重128キロ。堅実な立ち技とそこからの盤石の寝技によって77年に当時最年少の19歳で全日本選手権を制すると、そのまま9連覇。ここにいたって、「リアルな」競技柔道の世界は、厳然たる物理法則が支配しており、外連味溢れる必殺技はもちろん、「小よく大を制す」ことすら「ファンタジー」と言えるほど難しいことを、テレビの画面を通じて知らしめた。75年に「柔道讃歌」が連載を終えて以降、柔道マンガのヒット作はなかなか生まれなくなったのは、この現実の前に、胸躍る物語を作りにくくなったことと無縁とは思えない。

■ リアルな世界観の中で描かれるファンタジー
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古賀稔彦という現実世界のスーパースターの登場が、「リアルな世界観の中のファンタジー」を可能ならしめた。写真は「近代柔道」1987年3月号。(c)近代柔道

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リアルな世界観で描かれた「柔道部物語」。小柄な主人公三五十五の大技は、現実世界の古賀さんの存在あってのものだった。(c)小林まこと/講談社

その山下が引退を表明した85年に連載を開始したのが小林まこと「柔道部物語」だった。翌86年には浦沢直樹「YAWARA!」もスタート。ともに競技スポーツという枠を逸脱せず、力を競い合うのは、あくまでルールに則った試合の中。荒唐無稽な必殺技は出てこない代わりに、経験者が見ても納得出来る、理にかなった技で勝負を決するという「リアル」な世界観を持っていた。しかし、その中で重量級をバッタバッタと投げるのは小柄な主人公。「YAWARA!」に至っては女性である。こちらは現実の柔道に照らせば、おこり得ない「ファンタジー」だ。「リアルな世界観の中で描かれるファンタジー」。それを可能にしたのが、古賀稔彦さんの存在だった。

古賀さんは、「柔道部物語」が始まった85年時点では、まだ高校3年生。世田谷学園のエースとして3月の高校選手権で団体優勝、さらに金鷲旗でも連覇を果たす。インターハイでは団体では優勝を逃すも、個人戦では前年に続く連覇を達成。またシニアの71kg級でも、講道館杯準決勝で83年モスクワ世界選手権王者の中西英敏を破り、決勝で西田孝宏に僅差で敗れたものの2位。次代を担うホープとして、注目を集め始めた。

日本体育大学進学後は、国際大会でも実績を重ねる。古賀さんがスウェインなど海外の強豪を豪快な一本背負投で次々と破りスターダムにのし上がるのと歩調を合わせるように、「柔道部物語」、「YAWARA!」の人気もあがっていった。古賀さんは88年ソウルオリンピックに出場。金メダルの期待を受けるなか3回戦で敗退し挫折を味わうも、翌年のベオグラード世界選手権で初優勝。90年には体重無差別で日本一を争う全日本柔道選手権に予選から挑み、並み居る重量級選手たちを下して決勝進出。世界王者同士の対戦となった決勝では小川直也に屈したものの準優勝を果たす。さらに2年後のバルセロナオリンピックでは直前の膝の大けがを乗り越え悲願の金メダルを獲得した。

この間、「柔道部物語」は91年に完結。「YAWARA!」も93年に古賀さんが金メダルを獲得したバルセロナオリンピックをクライマックスとして連載を終える。古賀さんが最も輝いた時期と、この2作品の連載がほぼ重なった「僥倖」がその後の日本柔道界にどれだけ大きな影響を与えたか。いま振り返ると計り知れない。

■ 小よく大を制する「説得力」
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「YAWARA!」。浦沢直樹の高い画力による「理にかなった技」と、現実世界の古賀さんの活躍が、「48kg級の女子が大型選手を投げまくる」ファンタジーに説得力を与えていた。C)Naoki Urasawa/小学館

では、具体的に古賀さんの柔道は、どのようにこの2作品の「ファンタジー」を支えたのか。一つは、「小よく大を制する」ことが出来るという「説得力」の役割だ。

高校レベルでも選手の大型化が進む中で、当時の世田谷学園は小兵揃いながら小気味良い柔道で旋風を巻き起こしていた。古賀さんはその象徴だった。84年金鷲旗決勝の延長戦で東海大相模・多々隈和博から小内巻込で「有効」を奪い、その後寝技の攻めをしのぎ切り母校・世田谷学園に2度目の優勝旗をもたらせた試合。85年高校選手権準決勝、体格で遙かに上回る旭川龍谷の安藤弥とのエース対決で決めた背負投「技有」も印象深い。

極めつけは、90年の全日本柔道選手権だ。出場選手の平均体重が115キロというなか、75キロの古賀さんが重量級を翻弄して勝ち上がる。準々決勝の相手、渡辺浩稔は大会最重量の155キロ。一本背負投、小内巻込でゆさぶり、僅差で勝利。準決勝の三谷浩一郎戦では片襟の背負投で大きく浮かせて横倒しにする。

体重差が数十キロあっても投げられる。勝てる。「ファンタジー」と思われたことが、現実に起こりうる。その「説得力」に、小林まことさんと浦沢直樹さんの卓越した画力による「理にかなった技」が加わることで、「リアルな世界観の中で描かれるファンタジー」を、多くの人がまったく無理なく受け止められたのである。

■ 背負投を必殺技に昇華
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「花マル伝」の花田徹丸。「小柄で、背負投が得意」な主人公が圧倒的に増えた。(c)Takashi Iwasige/小学館

もう一つの功績は、「背負投」を必殺技たらしめたことである。1980年代当時、現実の柔道界では、背負投は頻出する技ではあるが、そのほとんどは膝をついた低い姿勢でかけられており、立ったまま豪快に担ぎ上げる背負投や一本背負投を見る機会はトップクラスではまれであった。一本となる場合でも、低く転がすように投げるため決して見栄えは良くない。それを反映してか、マンガの世界でも背負投を得意技、必殺技とする主人公はほとんどいなかったのである。(そもそも70年代までは、荒唐無稽な必殺技が跳梁跋扈する世界であったのだが) 

そんな中で古賀さんが見せた、打点の高い一本背負投は鮮烈な印象を残した。右足を相手の股中に差し込みながら、同時に右腕を抱える。その瞬間、相手は下からはじかれたように浮き上がり、古賀さんの背中に乗る。そのままなすすべなく一回転し、畳を背負う。そこには瞬きすら許されない緊張感と、カタルシスがあった。もっとも有名なシーンは、バルセロナオリンピック準決勝のドット戦だろうが、86年嘉納杯国際決勝のスウェイン戦、92年選抜体重別選手権決勝の藤山茂戦なども印象深い。

「柔道部物語」の三五十五。「YAWARA!」の猪熊柔。河合克敏「帯をギュッとね!」の粉川巧に、いわしげ孝「花マル伝」の花田徹丸。さらに佐藤タカヒロ「いっぽん!」の春康文に、村岡ユウ「ウチコミ!」の光石錬。以後の柔道マンガは「小柄で、得意技は背負投」という主人公が圧倒的に増える。古賀さんの登場以降、柔道マンガは変わったのだ。

■ 古賀さんは具体的にどのように描かれてきたか
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あまりにも有名な三五十五の「片手背負い」も古賀さんがモデル。この技はのちに現実世界の伝説の一番・野村忠宏vsオジョギン戦へと繋がっていく。(c)小林まこと/講談社

ここからは古賀さんが、柔道マンガの中でどのように描かれてきたか、そして作品に影響を与えてきたのか。代表して「柔道部物語」、「YAWARA!」、「帯をギュッとね!」、「花マル伝」の4作品を見ていく。

「柔道部物語」と古賀さんの縁は深い。当初、小林まことさんは、自身の高校柔道部時代のしごかれた体験や苦しい合宿の思い出を題材にし、「1年くらいやったら終わらせるつもり」でいた。そんな時に、当時日体大1年だった古賀さんから「部員全員で読んでいます」という手紙が届き、それをきっかけに「古賀選手に恥じないマンガにしなければ」と日本一を目指すストーリーにすることを決意したという。

古賀さんが小林さんの取材に協力する中で紹介されたのが、釣り手だけの背負投。古賀さんが生み出し、89年ベオグラード世界選手権準決勝で北朝鮮のリを仕留めた技だ。三五はこの技で最初のライバル樋口を倒し、日本一を目指す選手にスケールアップしていく。

なお後日談として、この技は、当時中学生で「柔道部物語」を愛読していた野村忠宏に、アトランタオリンピック3回戦でオジョギンから起死回生の「技有り」を奪うという形で受け継がれている。去年6月に放送されたNHK「サンデースポーツ」で「柔道部物語」を特集した際には、古賀さんが「野村忠宏に一言も御礼を言われていませんし、今度会ったら一言くらいは“ありがとう”と言ってもらえれば嬉しいけど」と冗談を言い、古賀さんが亡くなったあと4月にNHKで放送された追悼番組では、野村さんが「(古賀さんに会った時に)素直に“ありがとうございました”と言いました」と、この技にまつわる2人の間のやりとりを披露している。

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87年正力松太郎杯準決勝、広川浩二戦における「一本」。「近代柔道」87年3月号。(c)近代柔道

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浦沢直樹氏(@urasawa_naoki)の追悼コメントに添えられた写真。上記正力杯の写真の影響を感じさせる。(c)Naoki Urasawa/小学館

「YAWARA!」の作者、浦沢直樹さんは、古賀さんが亡くなった直後に自身のツイッターで追悼のコメントを出している。「古賀稔彦さんの柔道がなければYAWARA!はありえませんでした。あんなに見事な一本背負いを漫画でも表現してみたい。でもあの本物の迫力はなかなか出せませんでした。古賀さんの柔道はすごい刺激をいつも与えてくれました。本当にありがとうございました、古賀稔彦さん。謹んでご冥福をお祈りします。」

合わせて投稿されたのは、バルセロナオリンピック女子無差別決勝で、柔がジョディを右一本背負投で宙を舞わせた画。ジョディの両足が完全に天井を向き、投げる柔の右足が床を離れ、左足一本で支える。いかにも古賀さんらしいイメージの一本背負投だ。浦沢さんの古賀さんに対するリスペクトが感じられる。愛情を持っている人が見ても興醒めしないレベルで柔道の技を描こうとした浦沢さんにとって、古賀さんの柔道は一つの目標だったのだろう。(なお、この一本背負投のモデルとなったのは、「近代柔道」87年3月号に掲載された87年正力松太郎杯国際学生の準決勝、広川浩二戦の写真ではないかと筆者は見ている。画角がよく似ているのだ。さらにいうと、この写真は「柔道部物語」で三五が柔道の授業でラグビー部の愛川を投げた場面についてもモデルになっているのではないかと思う。マニアの方はぜひ確認してみてほしい。)

また以前、eJudoマンガ夜話で古田さんと「YAWARA!」について対談したときに話したが、個人的にはバルセロナオリンピックのテレシコワ戦で柔が見せた背負投にも古賀さんの匂いを濃く感じる。右足を差し込み、瞬時に左足を回しながら、相手を引っ張り込む。私の脳内では高校選手権の安藤弥戦が浮かんでくる。

「帯をギュッとね!」の主人公・粉川巧は、古賀さんと同じ階級で背負投使いだが、体型的にはもう少し細身に見える。イメージとしては、世田谷学園の後輩・瀧本誠と足して2で割った印象だ。(静岡インターハイで粉川が沖縄尚北・玉城から一本背負投で技有りを奪ったシーンなどは、91年静岡インターハイ団体準決勝で、瀧本が自分より30キロ重い選手を背負投で投げた写真と構図が似ており、参考にしていると思われる。)

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実在の人物としても登場。「帯をギュッとね!」には古賀さんをモデルにしたであろう鳶嶋雅隆もいるのだが、このねじれがまた楽しい。(c)Katsutoshi Kawai/小学館

ただ坊主頭とも、いわゆるスポーツ刈りとも違う、粉川のツンツンとした感じの短髪は大学生後半以降の古賀さんのイメージと重なる。「NEW WAVE JUDO COMIC」と銘打って連載された本作主人公のイメージに、古賀さんの影響がないと言うことはないだろう。

「帯をギュッとね!」で古賀さんを一番感じさせるのは、作品後半で登場するライバル鳶嶋雅隆だろう。兄・佳隆から厳しい指導を受け得意技を身につけ、後に兄より強くなるエピソードなど、古賀兄弟とほぼ同じである。得意技が背負投でなく袖釣込腰というところが違うくらいだ。

また高校選手権で、都立・竹の塚高校がテナーゼの左変則組手を参考にして粉川の背負投を封じようとしてきた場面も印象的だった。この時点で「帯をギュッとね!」の世界では古賀さんは実在の人物として大きくクローズアップされることになった。そのせいか、鳶嶋というモデルにしたキャラクターがいるにも関わらず、作品の終盤には吉田秀彦さんともども本人として登場するのが微笑ましい。

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「新・花マル伝」では本人イメージの「小賀秀和」として登場。かつての野球マンガにおけるON的なこの扱いは、他ジャンルではなかなか見られない。(c)Takashi Iwasige/小学館

「花マル伝」は連載開始が92年6月、続編の「新・花マル伝」終了が2002年11月と、古賀さんがバルセロナで金メダルを取ってから、引退し指導者になったところまでが重なる。主人公・花田徹丸が先輩から特訓を受け最初の得意技にしたのが「古賀式一本背負い」であり、花田が高校生になったあとの「新・花マル伝」では、現役生活晩年を迎えたカリスマ的存在のベテラン小賀秀和として登場する。花田と激闘を繰り広げた末に、その一本背負投で敗れ引退、その後はコーチとして支える側に回る。

小賀は、「帯をギュッとね!」の鳶嶋以上に、実際の古賀さんのイメージに近い描かれ方をしている。本人として、あるいは限りなく実物に近いキャラクターとして描かれることは、長嶋茂雄、王貞治をはじめ野球マンガにおいては珍しいことではないが、その他のスポーツマンガにおいては、それほど多くはない。古賀さんは、「柔道部物語」では三五が試合当日の朝、願をかける対象として描かれている。「YAWARA!」では、バルセロナで足の怪我を克服して金メダルを獲得した甲賀選手として登場する。(滋悟郎特製のとんでもない材料の薬を処方される気の毒な役であったが・・・)「帯をギュッとね!」では前述の通り、鳶嶋弟、さらには本人として登場している。そのことだけでも古賀さんの存在の大きさが分かるというものである。

■ 最後に
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古賀さんの歩みはマンガを遥かに超えていた。

高校時代団体戦で重量級の選手たちを翻弄する姿。数々の大会で見せた豪快な一本勝ち。体重無差別の全日本選手権での快進撃。バルセロナオリンピックでの金メダル。それだけではない。ソウルでの敗退。最後まで代表に挑み続けたシドニーオリンピックの前。そして指導者となってから・・・こうして振り返ると、古賀さんの歩みのほとんどすべてがマンガの中で表現されていることに改めて気づかされる。いや、実際には古賀さんの歩みはマンガを遙かに超えていて、マンガがあとからついていったのだ。古賀さんと直接接した人、教わった人、試合を見た人のみならず、私同様にこれらの作品を通じて、古賀さんとその柔道のエッセンスを受け取った人もたくさんいるはずである。時にページをめくり、古賀さんに思いを馳せたいと思う。合掌。

※ eJudoメルマガ版5月26日掲載記事より転載・編集しています。

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