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【eJudo’s EYE】積年の矛盾をコロナ禍が増幅、「ボロボロ」の選考と選抜体重別のあり方を問う/ブダペスト世界選手権代表選考「評」

(2021年4月14日)

※ eJudoメルマガ版4月14日掲載記事より転載・編集しています。
【eJudo’s EYE】積年の矛盾をコロナ禍が増幅、「ボロボロ」の選考と選抜体重別のあり方を問う
ブダペスト世界選手権代表選考「評」
eJudo Photo
代表発表会見に臨む井上康生監督と金野潤強化委員長

文責:古田英毅
Text by Hideki Furuta

それは、言われてしまう。誰だって驚く。もの言わぬ人たちも「話題枠」「追悼枠」との疑念を持つだろうし、表立って言わないのは、逆に間違いなくそうであると解釈して「いちいち文句を言うこともないだろう」と冷めた気持ちで肚に収めてしまっているからだ。炎上するよりよっぽど深刻だ。実際は「ルール通りに選考したら、そうなった」という、むしろ厳格に規定を守らんとしたがゆえの帰結とのことだが、サプライズのインパクトの強さの前では、そういう事情は些事として世間の印象の中では消し込まれてしまう。そしてこんな風に思われて得をするものは誰もいない。たぶんもっとも被害を被るのは、選ばれた当の古賀その人だ。素晴らしいパフォーマンスで選抜体重別に優勝しながら、気の毒というほかはない。「ブダペスト世界選手権60kg級代表・古賀玄暉」という選考はそのくらい意外で、衝撃的なものだった。

もう1つ驚かされたのは、81kg級の佐々木健志が選に漏れたこと。ご存じの通り体重無差別の全日本選手権で圧倒的なパフォーマンスを見せて3位入賞、この日も並みいる強敵をまったく寄せ付けず決勝でも第1シード選手藤原崇太郎を一蹴して優勝した佐々木は間違いなくこの「コロナ禍」の1年間でもっとも輝いた日本人選手である。だが「国際大会での実績がない」「体重別での実績がない」ことを理由に、2枠目代表にすら選ばれなかった。

後段で詳述するがこれ(古賀を選んだ、佐々木を選べない)に関しては3つの見方がある。1つは「“サプライズ”にするべきではなかった」という事前の基準の「見える化」の問題、もう1つはそもそもこの「非常事態下における平時の基準の一律運用」が強化という仕事の本質に適うかどうかという根源的な問い。そして3つ目は平時の「1番手・2番手の偏重」という傾斜強化方式の是非だ。

そして、今回の代表選考は一言で言って、よろしくなかった。第1シード選手大量欠場と彼ら全員の代表選出、その中で勇を鼓して出場した橋本壮市らが逆に「負け代表」の汚名を着せられるという理不尽、前述の通り今季業界でもっとも輝いている佐々木健志を2枠目代表にすら選べない制度的矛盾、ファンの感覚との乖離。ブダペスト世界選手権2021の代表選考には、「何がなんでも選抜体重別を最終選考会としなければならない」という長年の矛盾と積弊が、コロナ禍という増幅装置を通したことで、これ以上ないほど、マックス、もううんざりするほど、最大限に現れていた。酷かった。大会自体が好試合続出の素晴らしいものであったことが逆に切ない。フェアネスを標榜して、論理的に、丁寧に選考制度を作り上げて運用し、そして矛盾の固まりである「選抜体重別」という怪物の力を慎重に削いできたこれまでの強化サイドの努力が崩壊したと言っていい。「選抜体重別=最終選考会」という矛盾に満ちた制度を「やめる」のではなく、「やめられないから、存在させたまま骨抜きにする」(早期内定制度の充実など)という格好で力を削いできたこれまでの強化の方法論を「弥縫策」と表現するならば、今回は縫ったその傷口がコロナ禍によってビリビリに裂けてしまった「ズタボロ選考」だった。

今回の選考は、選抜体重別の矛盾、そして強化体制の弱点と課題が、コロナ禍というレンズを通すことで増幅されて極めてわかりやすく表れたものと総括出来る。問題は多岐にわたり、要領よく語れるかどうかちょっと自信がないのだが、上記3つを順に論じ、その上で最後に「選抜体重別いかにあるべきか」について書いてまとめとしたい。

■ 古賀の「サプライズ選考」から導き出される問題点
まずなぜ古賀が選ばれたのかを整理する。今回の男子7階級で第1シード選手の優勝は100kg級の飯田健太郎のみ。他のいわば「大外」からの優勝者6名を、選考の「法」(「強化システムに関する内規」)がもっとも重要視する「過去2年の国際大会(マスターズ、グランドスラム、グランプリ、コンチネンタルオープン、大陸選手権)」の成績でフィルタに掛けてみると。古賀は、2019年アジア・パシフィック選手権優勝と同年のグランプリ・タシケント2位の成績を残している。90kg級の増山香補は同じ2019年アジア・パシフィック選手権に優勝しているがその後はワールドツアーの派遣自体がなく、100kg超級の佐藤和哉は2019年ヨーロッパオープン・オディベラス優勝がこの2年間唯一の国際大会の実績で同じくワールドツアーの派遣はなし。81kg級の佐々木健志は2018年11月のグランドスラム大阪と同12月のワールドマスターズを制して過去の実績では圧倒的だが2019年は不調で3大会派遣も入賞なく、過去2年の実績はゼロ換算。66kg級の田中はまだ19歳のニューカマーで国際大会は派遣自体がない。ここまでは、実績上古賀が一番手。73kg級の海老沼匡は2019年11月のグランドスラム大阪を制し、続く同12月のワールドマスターズでも3位。圧倒的な成績なのだが、これを「2024年も見据えた」(井上康生監督)と古賀の若さと将来性を採った形で除外し、古賀の選考に至った。年齢を理由に海老沼を外し、残る選抜優勝者の実績を機械的に並べると古賀が一番手になるという論理だ。筆者個人としては、年齢を問題にするのはあくまで成績が同等だった場合に限るのがフェアではないかと思うのだが、ここは2024年も見据えたという「2枠目」の専権事項としていったん置き、次に進む。(ただし、海老沼が対象期間の国際大会の実績で圧倒した上で最終選考会で優勝するという、出来ることすべてを為してもなお選ばれなかったという事実は強く記憶しておきたい。捉え方次第では彼のキャリアの分岐点になる可能性がある。)

古賀の「アジア・パシフィック選手権優勝」と、「グランプリ・タシケント2位」は、平時であれば世界選手権の代表選考に考慮されるレベルの成績ではない。グランプリ・タシケントは世界選手権直後に行われたオフシーズン大会であり (ただし古賀が対戦した相手はいずれもなかなかの強者ではある)、アジア・パシフィック選手権は国内の過密日程に対応する形でジュニア世代を派遣する策が取られた大会でそもそもの派遣自体が奇貨。チャンスを生かした古賀は見事だが、常の世界選手権代表選考が前年の世界大会の成績、そしてグランドスラム東京(大阪)、グランドスラム・パリにグランドスラム・デュセルドルフというスーパーハイレベル大会の成績を対象とすることを考えれば、あまりに低すぎる基準点である。一応付け加えると古賀は「基準点」であるグランドスラム大阪に1度だけ派遣されているが、結果は「1コケ」。ブレイク前の中堅選手であるトルニケ・チャカドア(オランダ)の前に初戦敗退に終わっている。

ここから導き出す論点は、既に書いた通り3つ。

■ 開催されていない「過去2年の国際大会」は基準として適当だったのか?
まず1つは、そもそも1年間丸々国際大会が開催されていない現状にあって「過去2年の国際大会の成績を重視する」というこの平時の基準をあくまで適用することが果たして「強い選手を選ぶ」という強化の仕事の本質に適ったものであったのかということ。コロナ禍におけるこの1年間の選手たちの過ごし方はそれぞれ異なり、その中には大きく力を伸ばした選手もいれば、明らかに力を落とした選手もいる。強化陣は目利き揃い、そんなことは重々承知のはず。その中にあって、そして選考の前提条件である国際大会がそもそもまったく開催されておらず、つまりは国内大会で勝った選手たちが2シーズンにわたって正当な派遣を受けられていないという現状にあって、それでもなお「過去2年の国際大会を最重要視する」という平時の「法」をあくまで順守することははたして本質的なアプローチであったのだろうか。非常時だから「法」を変える、恣意的な運用をする。これは間違いなく恐ろしいことだ。出来得ることならば絶対に近づきたくない、危険なエリアだ。異常時にあってこそ平時の「法」は重視さるるべきという大原則が大事であることもわかる。しかし「法」のそもそもの前提条件が消えうせるという明らかに想定を超える事態、かつ、突如降って湧いた五輪実施年の世界選手権開催という非常呼集態勢にあって、この「変えること」への恐れが、強化の仕事いかにあるべきかという本質を揺るがせてしまったとみることは出来ないか。仕事の本質を貫こうとするのであれば、なんらか、ファンや強化陣の皮膚感覚と違和感のない基準を新たに作り出すという手もあったのではないか。前提条件が消失しているのであれば新たに本質的な基準を作るべきだったのではないか。ファンの方だって、国内の大会を見て「強くなった選手」「衰えた選手」は重々承知している。その中で今季全日本、選抜と圧倒的な存在感を示している佐々木健志が選ばれないことは生理的感覚としてまったくの意外であろうし、2年も前の、それも派遣的には「裏通り」の大会の実績が選考の決定打になって古賀が選ばれるとはちょっと想像しないだろう。違和感を持たれて当然だ。個人的には、佐々木が選ばれなかったことはファンに対する、そして選手たちに対する「制度の裏切り」でさえあるとすら思う。制度は制度、というのももちろん1つの理だ。ただ、この先、少なくとも、1年以上国際大会が開催されないというような非常事態に対応する新たな「法」の整備は行っておくべきだと考える。この点は、なんらか見解の表明が欲しい。

■ 「明示すること」の大切さ、曖昧さはそれだけで信用失う
2つ目は、「明示すること」の大切さ。これはまとめとして用意した「選抜体重別いかにあるべきか」にも共通する、本稿の主眼だ。古賀が選ばれる可能性があるのであれば、そしてそれが一般にはわかりにくい僅差の過去実績によるものだとすれば、さらに佐々木が選ばれないことが既に決まっているのであれば、なおのこと事前に「どの選手が選考対象者なのか」「クリアの基準はどこにあるのか」と条件をハッキリ示すべきであった。うるさいくらいにアピールすべきだった。たとえ選考基準に則ったものだとしても、古賀稔彦というレジェンドが亡くなったばかりのこのタイミングで、大方の予想にはなかったその子息が代表に選ばれたとすれば、世間に話題枠だ追悼枠だと痛くもない腹を探られてしまうのは一種当然だ。ややこしい案件であればあるほど、事前にクリアにして余計な憶測は排除しておくべきだ。ましていまは、3月の「パワハラ隠蔽問題」発覚に、「コンプライアンス委員会の地方県柔連刷新勧告」を巡る報道と、柔道界が社会の信頼を失いかねない事案が続発しているさなかである。ここで選考に少しでもお手盛りとの疑いをもたれれば柔道はどんなイメージを持たれてしまうのか、危機管理として十分考えておくべきだったはずだ。選抜体重別の組み合わせ抽選後の会見で、強化陣は「第1シード選手(五輪補欠選手)は世界選手権代表に決まっているのか」との旨問われ「あくまで有利ということ」と玉虫色の答えでお茶を濁している。事情を斟酌せずに敢えて厳しい言い方をすれば、これは、嘘だ。強化は「選抜体重別から最終選考会の看板を外してはならない」という大人の事情を連盟に押し付けられ、満座で嘘を言わねばならぬ苦境を強いられている。コロナ禍、そして降って湧いた突然の世界選手権の開催決定と今回の選考は不確定要素が多かった。連盟に一言物申すとすれば、少なくとも今回に限っては周囲とハレーションを起こしてでも、これを理由に事前に「決まっている選手」「選考対象外の選手」を示し、選考対象者のクリアすべきハードルが何かをはっきりさせておくべきだった。コスト的にもそのほうがペイしたのではというくらい、失った信頼は大きい。今回は敢えて「評判をお金で買う」べきであったと思うし、少なくともここまで信頼を貶めなくても済む状況だったと思う。

おりしもこの日は、競泳の池江璃花子が400メートルメドレーリレーの五輪代表入りを決めた。池江の五輪代表権獲得に異を唱えるもの、または「白血病からの復活という話題性を狙ってのお手盛り選考ではないか」などと暗い疑いを持つものはただのひとりもいない。池江の代表入りが、派遣標準記録を突破しての優勝というこの上なく明確でわかりやすい基準をクリアしたものだからだ。だから誰もが共感し、感動してくれる。同じ日、同じタイミングで「なぜこの選考?」「第1シード選手は全員欠場したのに代表に入るの?」「負けた選手が代表になるの?」「勝った選手は代表になれないの?」との質問を浴びせかけられる、「柔道」の立場は極めて、惨めだった。

■ 「3番手以降へのケアの薄さ」がコロナ禍で増幅
3つ目は、平時における五輪代表候補グループへの極端な厚遇と、一方での3番手以降へのケアの薄さ。世界大会同年2大会開催(五輪+世界選手権)という異例の事態を受けて、選考基準の喫水線を普段の「1,2番手」から3番手以降まで降ろしてみたところが、そのクラスタの選手はそもそもまともに国際大会の派遣を受けておらず比較のしようがない、というのが今回の様相である。この「1,2番手の厚遇と、蓋をされた3番手以下の国内留め置き」という傾斜強化方式の歪みが、コロナ禍を受けてさらに増幅された形で出てしまった。たとえば今回100kg超級で優勝した佐藤和哉のキャリアを学生時代からずらりと並べて、「ワールドツアーウォッチャー」の感覚で見直すと、派遣された国際大会の少なさにあらためて愕然とする。普通の国であればありえない。これを強豪国の宿痾と捉えて「仕方がない」と安閑としていて良いものだろうか。1,2番手が極端に有利な現行システムに絶望を感じて、早々に競技継続をあきらめるものも多いのではないだろうか。これは、別立ての長大なコラムが1本書けるだけの大きなトピック(五輪ありきで補助金に遠征の可否を実質的に差配されている構図にまで踏み込まねばならない)なのでいずれ稿を改めて書くとするが、少なくともすぐ出来ることとしては、例えば国内大会で一定以上の成績を収めたものには、自費でのコンチネンタルオープン参加を許し、その成績を実績として認める策などが考えられる。付け足しでもう1つだけ言っておくと、「特定少数の候補者を五輪に向けて徹底強化する」ことと、「すべての候補選手に平等に機会を与える」というのは実は性質が異なるミッションであり、極端にいえば、同じ人間が差配する能力の限界を超えている。前者に関しては現行体制はかなり上手くやっており、五輪でもそれなりの成果があげられるはず。後者は、柔道業界全体のあり方に関わる、今後の大きな課題である。

「古賀選出」「佐々木不選出」をフィルタとした問題提起はここまで。最後に誤解なきように言っておくが、古賀本人の選抜体重別の戦いぶりは紛うことなく素晴らしく、少ないチャンスを着実に生かしていた(講道館杯前に受けたたった1度の、唐突なワールドツアー派遣がまさか世界選手権代表に繋がるとは本人も思わなかっただろう)過去の実績も高く評価さるるべきもの。ここで論じたのはあくまでも選ぶ側の制度設計や「出し方」の問題であって、古賀本人の力を疑うものではない。この点明確にしておきたい。

■ 嘘をつく業界を社会は信用するのか、「選抜体重別」のあり方を改めて問う
3つ語り終わったところで、最後に「選抜体重別」のありかたについて論じておきたい。まず、第1シード選手の大量欠場に関して選手を責めるつもりはまったくない。一種当然の選択だ。既に世界選手権の代表は誰がどう見ても決定しており、となれば敢えて「負け代表」のリスクを冒して試合に出る必要はないし、僅か2か月後に本番が控えるというただでさえ調整の難しい状況で、わざわざ怪我のリスクを負うこともない。細かい事情は選手によって異なるだろうが、少なくともこの選択は責められる筋のものではない。そしてファンの大方がそう思っているはず。この選抜体重別の出場如何に関わらず世界選手権の代表は彼らに決まっていて、それをファンなら誰もが「自明」と悟っていたということだ。

つまり「最終選考会」という選抜体重別の看板はとっくに崩壊している。崩壊しているだけならまだしも、この壊れた看板をあくまで下ろさずゴリ押し、無理やり担ぐことで、業界に欺瞞を強いている。前述の通り、強化サイドは決まっているものを決まっているとは言えず、選ぶ可能性のないものに「ない」とは言ってはならない。選手は怪我をしたと嘘をつき(全員が試合に出られないレベルの負傷を負ったとは誰も思っていないはず)あくまで苦渋の決断という形で大会を欠場する。

簡単に言って、嘘をつく業界が社会に信用されるわけがない。嘘をつかねばその世界で生きていけないのだとしたら、責められるべきは当人ではない。嘘をつかせる、その原因のほうを排除すべきだ。

加えてここで強調したいのは「わかりやすさ」がいかに大事かということだ。さきほど競泳の池江璃花子選手の五輪代表権獲得を例に挙げたが、同じ柔道でいえば、昨年12月に行われた「66kg級代表決定戦」がなぜあれほど社会の関心を集め、その戦いぶりが人々の琴線に触れたのかに思いを馳せて欲しい。両雄の奮闘はもちろんだが、間違いなく「勝った方が代表」という、これ以上ないほど、究極にわかりやすい構図がファンの共感を呼んだからだ。「8名の選手が最終選考会に進むが、勝っても絶対に選ばれない選手が何人も含まれていて、一方で欠場しても選ばれることが決まっている選手がいる。この事情は14階級それぞれ異なる」。この業界人でも理解の難しい構図が、薄目で遠くから時々試合を眺め、ひたすらわかりやすさを求める世間一般に通用すると思うのは、控えめにいって無謀である。

連盟からの「絶対に最終選考会の看板を外すな」というプレッシャーに対して、強化はその枷の中でなんとかフェアな選考を行うべく、慎重に選抜体重別の力を削いできた。早期内定制度の拡充、選考試合を重ねることでの状況の積み上げと都度の丁寧な選考過程の説明。それがコロナ禍+突然の世界選手権という非常事態の不意打ちを受けて鎧が全て剥がされてしまったというのが今回の様相なわけだが、これは結局、どんなに武装しても、構造的な矛盾までは乗り越えられないということと捉えるべきだ。今回の「なぜ佐々木を選べないのか」という不信は、既に代表選手の資格がない阿部一二三が素晴らしいパフォーマンスで優勝を飾った2016年選抜体重別、どんなに説明をしようが、火消しに回ろうが「なぜ阿部を五輪に選ばないんだ」という世論の集中砲火を浴びた、あのケースの再現だ。そしてこれは、またすぐに、そして絶対に、繰り返される。柔道はいつまでも、「不明瞭な選考をする競技」との誤解を受け続ける。

いますぐ選抜体重別と最終選考会のリンクを解くべきだ。もう強化にも選手にも嘘をつかせてはならない。壊れた看板を無理やり掲げるこの欺瞞のために、どれだけ長い間柔道競技がその評判を貶められたのか、いったいいつまでこんなことを続けるのか。様々な事情があることはわかるが、それでもあくまで選択権を持つのは全日本柔道連盟である。

選抜体重別は再編し、最終選考会とのリンクは解く。最終選考会は別途必要がある階級のみを、資格がある選手だけで行う。これに勝る改革案はなく、このほかの方法はもはや考えられない。連盟はいますぐにでも、動き出すべきだ。

以上である。長々、わかりにくい拙文にお付き合いを頂いたことに、感謝を申し上げる。

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