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【eJudo’s EYE】「試合勘」や「メンタル」に総括を頼るべからず、原沢積年の課題が明確に見えた1分8秒/ワールドマスターズ・ドーハ2021評③

(2021年1月20日)

※ eJudoメルマガ版1月17日掲載記事より転載・編集しています。
【eJudo’s EYE】「試合勘」や「メンタル」に総括を頼るべからず、原沢積年の課題が明確に見えた1分8秒
ワールドマスターズ・ドーハ2021評③
文責:古田英毅
Text by Hideki Furuta

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ヤキフ・ハモー得意の「抱き勝負」からの小外掛、まっこう受け止めた原沢久喜だが大きく崩れてしまう。

2019年12月のワールドマスターズ・青島以来1年1ヶ月ぶり、久々の試合出場となった原沢久喜は既報の通り初戦敗退。ヤキフ・ハモー(ウクライナ)が背に抱きついて放った左小外掛を受け損ない、膝を着いたまま肩から畳に落下。この際肋軟骨周辺の筋肉を傷めてしまって「参った」。僅か1分8秒で終戦となった。

久々の実戦で試合勘が鈍っていたという事情はもちろんあるはず。井上康生代表監督も「試合勘の部分が出てしまった。より現場、実戦が必要な選手とは感じた」(1/16の帰国後合同会見)と敗因としてまずこの点を挙げている。ただ同時に「これからのプラン、取り組むことが1つ明確になった」とも語っており、相応見えたものがある模様。もともと今回は「実戦を経験すること自体、課題を見つけること、現在地の確認」とテーマを掲げて臨んだ大会でもあり、おそらく強化サイドには課題としてはっきり見えているものがあるのだろう。それが何なのか、こちらもファンの視点で検証してみようというのが本稿の趣旨である。

そして「試合勘」、あるいは原沢の不調時に必ず聞かれる「メンタル」にその因を求めることは、敢えてやらない。では試合勘があれば、あるいはメンタルが開いていれば原沢は今回優勝出来たのか、このあとも絶対に勝てるのか。決してそうではないはずだ。であればこういった「柔道」以外の部分の失敗に因を求め過ぎ、技術的検証に蓋をしてしまうのは危険な思考停止だ。本稿ではメンタルという曖昧な要素を廃し、純粋に原沢の柔道から見えたものを検証していきたい。短い試合時間でも見えることはある。むしろ原沢積年の技術的課題がよく表れた1分間だったと思う。

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2019年GPモントリオール。テディ・リネールのクロスグリップの大外刈を一瞬耐えた原沢は仰け反って崩落。

4つ語りたい。どれも不可分でベン図が重なってしまうのだが、まず1つ目は「受け」について。相手の技を、体だけで受け過ぎる。組み手や体捌きでそもそもの形を打開するのではなく、一瞬「体で耐える」ことに舵を切ってしまう。これは原沢の癖。ロジックに頼らず体の力に負う比率が大きいので、技の力や投げの論理性が閾値を超えると突如大きく飛んでしまう。それまでの力関係からすると意外なくらいに、堤が破れるように突然大崩れする。原沢の場合そもそもの閾値自体が高いので気づかれにくいのだが、これは例えば女子78kg級代表の濱田尚里と事情は相似。今回もハモーの小外掛を正面から体全体で受け止め、捩じり返そうとした瞬間に肩を固められたまま体を捨てられほぼ死に体で落下してしまっている。この「体で受けて耐えているがゆえ閾値を超えると突如決壊」ということでは2018年グランドスラム大阪でツブシンバヤル・ナイダン(モンゴル)の外巻込を受け損ねた「技有」失陥、2019年グランプリ・ザグレブ決勝でゲラ・ザアリシヴィリ(ジョージア)に食った帯取返「技有」がすぐに思い浮かぶ。2020年グランプリ・モントリオールでテディ・リネール(フランス)に食ったクロスグリップの右大外刈「技有」もそうだし、2020年東京世界選手権決勝でルカシュ・クルパレク(チェコ)に頭から突き刺された裏投(ノーポイントだがその後の試合に決定的な影響を及ぼした)も同じだ。体だけで受け止められるがゆえに相手の手数攻撃と印象点を許してしまった試合として、2018年選抜体重別決勝の小川雄勢戦を挙げてもいい。

この「体だけの受け」は、抱き着かれたときや組み際、切れ際、片手状態などの変則組み手の時に多い。上記では小川戦以外全てがそれである。原沢は組み力が抜群に高いので、きちんと2本持っているときには両手を効かせてしっかり受け切れる。この平時の受けの強さのために「2本持っていないときの受け方」の精査が甘くなっているのではないか。実はこれから語っていくことすべてに共通するのだが、これは原沢が強すぎるゆえに放置されて来てしまった弱点だと思う。

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2019年GPザグレブ決勝、ゲラ・ザアリシヴィリに食った帯取返「一本」。相手はクロスグリップからの後帯+横帯の変則組み手だった。

2つ目。1つ目と関連するのだが、勝負に「待ち」が多すぎる。相手の良い形を甘受して待ちに出、襲って来た技を体でまるごと受けてしまう。そもそも相手が欲しい形からの仕掛けなので、当然ながら襲ってくるのは得意技なり、その形にカスタマイズして「仕込んで来た」技ということになる。つまり特徴を最大限に生かした「強い力」が働く技や、開発に投下した思考量が多くロジックのレベルが高い技の可能性が高い。さきほど相手の技の力なり論理性なりが閾値を超えたときにいきなり堤が切れる、と書かせて頂いたわけが、この「待ち」はつまり襲ってくる技の威力を最大化してしまっていることになるのだ。考えに考えて来た曲技、あるいは渾身の一撃を「体」という基本装備(それも最後の砦)だけで受け止めることになっているわけだから、これほど危ういことはない。ナイダン戦(片手)、ザアリシヴィリ戦(クロスグリップ+横抱きで両手とも帯)、リネール戦(クロスグリップ)、クルパレク戦(横抱きベアハグ)、それに今回と、上記挙げた5つ全てが、変則組み手にこの「待ち」が掛け算されたものである。ほか、「待ち」に「相手が思考量を投下して来た技」が組み合わされたものの例として、太田彪雅に引き手の袖を一方的に持たれている状態のまま「手合わせ」に応じ、袖釣込腰から腕を拾いなおしての一本背負投というテクニカルな技を食ってしまった2019年の全日本選手権準々決勝を挙げてもいい。それでも原沢の体の力は抜群なので、大抵の場合は受け切ってしまう。上記挙げた例でもクルパレク戦はポイントを取られていないし、ナイダン戦もノーポイントが妥当(逆側に落ちたところを関節を極められ、回避のために自ら前転した)、今回も投げ自体のポイントはなかった。「ヒヤリ・ハット」で済んだケースがほとんどだ。ゆえに、この問題も、放置されてきた面があるのではないか。

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2本しっかり持って組み合ったときの原沢の受けの強さは折り紙つき。

原沢の体の力と組み力の強さゆえの、「待って、体で受ける」癖の放置。これにはやはり日本の稽古環境が影響していると感じる。国内の重量級相手なら「体で受ける」対応で十分。国内にガッチリ体を使った原沢の受けの「閾値」を超える技を打ち込んで来る相手はほとんどいない。危機感を感じる機会自体がないうえに実践の機会が圧倒的に少なく、従来日本の選手が採って来た、乱取り稽古を積むだけで自動的に弱点が鍛えられていくというような克服の方法論が通じない。目的意識を明確にし、ここに特化した練習を積むしかない。このあたりが、おそらく井上監督が考える「この先のプラン」に含まれているのではないかと推測する。

3つ目。リスク管理とプランニング。今回は、抱き勝負くらいしか原沢に抗する武器がないハモーに連続で抱きつきを許し、しかも抱いたら小外掛に来るしかないこの選手のまさに小外掛を正面から受けてしまっている。さすがにどうかと思う。「このあたりが試合勘(の欠如)だ」と言う向きがあるかもしれないが、では、たとえばテディ・リネールが久々試合に出て格下と対戦したとして、抱き勝負が得意な相手に背中を与えるだろうか。絶対にやらない。片手柔道が命の選手に、一本持たせっぱなしにするだろうか。まずありえない。いかに格下とはいえワールドツアーに出てくるレベルの超級選手にやりたいことをやらせてしまっては、何が起こるかわからないからだ。おそらく世界で一番体の力があるのはリネールだが、彼が体の力自体を使って相手の技を受けることは、ほぼまったくない。体の力はあってもそれは最後の砦。使わないに越したことはない。今回の原沢は、相手の力が最大化される状態(好きなように組んで得意技を打つ)を、一切の防壁を持たないもっとも弱い状態(体捌きや組み手での打開ではなく体の力自体)で受け止めたことになる。たびたびこれを起こしながらそれでもほぼ事故なく過ごしてきた原沢はまさにモンスターなのだが、いくらなんでもリスク管理の意識が甘すぎる。先に挙げた「体の力だけで受けて投げられた(崩された)」相手にナイダン、ザアリシヴィリ、ハモーと格下が3人も含まれていることに端的。コンスタントに成績を残すリネールやクルパレクとの差はここだ。

やや重複してしまうのだが、やはり試合の入り方や組み勝つまでの経路の設定といった、プランニングに問題があると感じる。原沢は常の試合でも組み遅れることが多い。明確なプランを持って能動的に仕掛けるというよりは、相手に応じてまず組み、やりとり数合を経て自分の形に至ることが多い印象だ。どう相手を潰すかのルートをハッキリ決めて、終始わがままに振る舞うリネールとはこの点対照的である。因として前述「2本持った時の圧倒的な組み力の強さ」に頼ってしまっていることはもちろんだが、そもそも「プランする」という意識の有無自体に問題があると思う。これまで1度敗れた格下たちとの対戦歴をみやれば、ナイダンとの再戦(2019年世界選手権)は完封しているし、2018年世界選手権準々決勝で片手からの右一本背負投「一本」で敗れたウルジバヤル・デューレンバヤル(モンゴル)にも、再戦となった2019年グランドスラム・デュセルドルフは2本ガッチリ持った状態からの内股2発(「技有」、「一本」)で圧勝している。かつて苦杯を喫したステファン・ヘギーも次回対戦(2019年世界選手権)ではまったく問題にせず内股と崩袈裟固による合技「一本」で一蹴。どうも、いちど痛い目にあった相手には明確なシナリオを持って戦う一方で、格下相手にはプランニングを甘くする傾向があるのではないか。原沢の「生」の状態の柔道が相手にある程度応じながら2本しっかり持つところに辿り着く、という鷹揚なものであれば(リネールは対極で、ロウな柔道そのもの自体が、相手に持たせず一方的に持って自分の形でしか戦わないという偏狭なものである)、なおのこと地力ベースの自動運転で勝とうとするのでなく、より毎回、厳しくプランを持って試合に入るべきではないだろうか。久々の実戦であればなおさらだ。これも前項2つと同じく原沢が強すぎるゆえに看過されてきた部分だと思う。

4つ目。この試合から原沢のフィジカル面について考えたい。この自粛期間、原沢はかなり体を鍛え上げて来たとのこと。大野将平らとともに行った天理大での「階段ダッシュ」はSNSでも紹介されて話題となった。こなすメニューは軽中量級選手並み、その身体能力は重量級離れ。大野の「超級選手で腹筋が割れているのは原沢とリネールくらいでは」とのコメントや各種証言からも、原沢にはフィジカル的に相当の上積みがあったと推察する。

ただ、おそらく鍛えこんできたのは大きく言って「瞬発系」の能力。おそらく攻撃で発揮される部分だったのでないかと思うのだが、残念ながら技を仕掛ける前に試合が終わってしまったので、今回その上積みをビビッドに感じることは出来なかった。コロナ禍に行ったトレーニングの検証は次回に持ち越しということになる。

ただ、敢えて言えば。あの小外掛を食ってポイントを失わず、そして怪我をしてしまったことにその錬磨のほどが強く感じられた。常であればあの捕まえられ方で、あの角度で重量級選手に体を捨てられて「一本」取られないわけがない。何度動画を見返しても、なぜ「一本」取られなかったのかがよくわからない。落下までの僅かな時間とあの狭い空間の中で身を捩じって膝を着き、上体だけの接地で済ませてしまった身体能力はまさに驚異的。ただし瞬間的に身を捩じれてしまったそのあまりの能力の高さゆえに、体の方が壊れてしまったということだろう(怪我が接地した肩ではなく、捩じれの影響が来る脇腹であることにも、これを強く感じる)。この期間に積んだトレーニングには一定の効があったのではないか。

ただしその一方で、これまでの原沢の体の作り方が「最重量級で、本格派スタイルのまま世界一を狙う」というミッションにあって果たして正しいものであったのかどうか、という根本的な疑問も感じてしまった。大外刈・内股系の本格派というスタイルは「力で力を封じる」宿命を負う一面があり、体格に劣る日本選手がこのスタイルのままで世界の頂点に立つことは極めて難しい。体格で負けず体の力自体でそもそも勝ち、その上で内股や大外刈といった真っ向勝負の大技で勝っていく。このやり方で超級世界の頂点に立った日本人は、おそらく篠原信一ただ1人だけではないだろうか。

リオ五輪までの出世期に周辺から聞かれたコメントには、原沢にも「そのセン」を踏ませようとした形跡がある。原沢の成長と出世が急激であったこと、彼が大学2年を過ぎるまで本格的なウエイトトレーニングをやったことがなく、自重トレや柔道自体を使った鍛え方で国際級まで駆け上がったという来歴からの「伸びしろ」も込みで、力で力を制する超本格派の誕生が想像しやすかったのだと思う。テディ・リネールという怪物の治世下という異常な時代、しかも右相四つという厳しい関係ではあるが、原沢ならその域まで辿り着いてくれるという夢を抱きやすい状況があったのだ。

あれから4年。確かに原沢が得た力は物凄い。あのグラム・ツシシヴィリを組むこと自体で根負けさせるほど体の力がある選手は世界を見わたしてもほとんどいない。しかし、相手の組み手に付き合ったとはいえ、ハモーあたりに振り回され、頭を下げられてしまう今回の絵は「力で力を制する」はずの本格派スタイルを貫いてきた選手の、五輪を直前に控えた姿としては疑問を感じざるを得なかった。圧倒しなければいけなかったはずだ。相四つでリネールと戦う本格派が今更こんなことをしていていいのか。積むべきは瞬発系の身体能力ではなく、我々が「ウエイト」と呼ぶような基本的なトレーニング、目指すべきはリネールやクルパレク以外が近づくのも憚られるような絶対的な力の獲得であるべきではなかったのか。それが、担ぎ技を持ち込まずに4年間を過ごして来た本格派のあるべき道だったのではないのか。

リネールの復活と圧倒的なフィジカルを目の当たりにして動揺したこともあるのだろうが、筆者の頭の中は1日中「これで良かったのか」「オーバートレーニング症候群の休止期間がなければ変わったのだろうか」「影浦心対策に時間を割き、本来あるべき本格派への対策を失った1年が痛かった」などとネガティブな問いで一杯であった。このフィジカルに対する一項、我ながら「リネール・ショック」の熱に冒された単なる譫言ではないかという感もあり、そもそも目指す地点が違うからその指摘は当たらないと言われてしまうかもしれないのだが、どうだろうか。アスリートとしての能力が高い原沢が瞬発系の能力を上積みすること自体はもちろん間違ってはいない。強化がこの先の原沢のフィジカル面をどうプロデュースしていくのかにも、ひときわ注目しておきたい。

以上である。色々生意気を申してしまった。ただ、選手を育てるのはファンという側面もある。私も含めたファンの多種多様な批評があること自体が代表の力を上げていくのだと考えて、お許し願いたい。ぜひ読者の皆さんも選手の戦いについて大いに分析し、語ってもらいたいと思う。議論があること自体が、日本柔道の力になるはずだ。

今回挙げた4つのうち、最初の3つはおそらく比較的短い期間で対応が利くものだ。強化がどのような対策を取るか、次回の原沢の試合がどう変わるか、楽しみに待ちたい。

※ eJudoメルマガ版1月17日掲載記事より転載・編集しています。

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