PAGE TOP ↑
eJudo

【eJudo’s EYE】渡名喜の成功とビロディドの失敗、それぞれの「再現性」を考える/ワールドマスターズ・ドーハ2021評①

(2021年1月17日)

※ eJudoメルマガ版1月17日掲載記事より転載・編集しています。
【eJudo’s EYE】渡名喜の成功とビロディドの失敗、それぞれの「再現性」を考える
ワールドマスターズ・ドーハ2021評①
文責:古田英毅
Text by Hideki Furuta

eJudo Photo
「待て」が掛かるとビロディドは深くため息、しばし立ち上がれず。

各階級評に先んじて、いくつのトピックを選んで簡単に「評」を書いていきたい。まずは女子48kg級準決勝、渡名喜風南が宿敵ダリア・ビロディドに勝利した一番について。

まず渡名喜がしっかり戦ったことは論を待たない。ただしビロディドがコンディション不良であったこともまた間違いなく、勝敗はこの掛け算の結果。そしてより項の値が大きいのは後者の方ではないかと考える。準々決勝までの渡名喜の好調さとビロディドの頼りない戦いぶりを見て「これは渡名喜が勝つな」と思ったファンは多かったと思う。疲弊しきって冴えのない動きの中、それでも地力の高さによる「瞬間芸」で形上は「一本」を継いで勝ち上がる。程度はだいぶ違うが、戦前に抱いたこの感じは、あの2020年2月のグランドスラム・パリにおけるテディ・リネール対影浦心戦と近いものがあった。

この試合の評は、ビロディドの不調にフォーカスする方が芯を食う。そして以後の戦いを考える上でも建設的。たとえコンディションの不良があったにせよ、ビロディドが犯した数々の失策からは彼女の考え方の癖や自己理解の深度といった、その本質が垣間見えるからだ。もう1度渡名喜はビロディドに勝つことが出来るのか。両者の成功と失敗それぞれを検証し、その再現性について考えてみたい。

試合を見ていない方のためにまず常の戦評の形で簡単に様相を記す。

eJudo Photo
ビロディドの大外刈を渡名喜が反転して逃れる。ここからの寝勝負を起点に渡名喜の「技有」が生まれた。

渡名喜風南〇優勢[技有・背負投]△ダリア・ビロディド(ウクライナ)

両者左組みの相四つ。渡名喜は引き手側からアプローチ、やり取り数合を経てビロディドが右引き手一本で袖を持つ良い形を作る。ビロディドここから釣り手を片襟に入れながらの左大外刈。相手の裏側まで抜け出る深い技だったが、この体格差にあっての片襟技では上体を拘束し切れず、力の圏外に抜け出た渡名喜は反転してうつぶせに逃れる。ビロディド引き手を離さぬまま背後から襲い掛かって寝勝負を選択。渡名喜すぐさま立ち上がるが、ここで絞めを狙ったビロディドが追いかけ、両脚で渡名喜の胴を挟むという決定的なミス。立ったまま受け止めた渡名喜は背中に相手をくっつけたまま左袈裟掛けに体を捌き、左一本背負投の形で倒れ込む。ビロディドが腰から落ちて攻防は継続、いったんは「待て」となったが、映像チェックを経てこれに「技有」。ここまで試合開始から僅か21秒、残り時間は3分39秒。
ビロディドは追撃態勢。やや前傾しながら接近し、まず引き手で袖をしっかり抑える得意の状態からの攻撃構築を目指す。これに対し渡名喜はあくまで釣り手を落とすことで対抗。ビロディドが引き手で左襟をまず抑えると右手をクロスさせて袖を抑えて落とし、すぐさま引き手を相手の釣り手に絡ませて袖を絞り込む。結果として渡名喜のフィールドである両袖の形、それも互いに腰をやや引いた「綱引き状態」が増える。小外刈の得意な渡名喜にとってはもっともやりやすい形。中盤にはこの形のまま膝を屈したビロディドを渡名喜が大きく前に2度煽り出す攻防も現出。ビロディドは正座で相手を拝む形のまま煽られるたび大きく前に滑り、「待て」を貰うとため息をつき、なかなか立ち上がることが出来ない。


eJudo Photo
渡名喜が抱きつきの大内刈、ビロディドは頭をはたいて捌き、左払巻込まで繋ぐ。

ビロディドは両袖を切り離しては度々釣り手をクロスに入れるが、渡名喜これには明らかに準備があり、1度目のこの攻撃(2分すぎ)には瞬間相手の懐に飛び込み低く抱き着いて対抗。左大内刈襲来の気配を感じたビロディドは慌ててこの形を止める。直後ビロディドに袖口絞りの「指導」。同じ攻防がもう1度、そして3度目となった3分10秒過ぎの攻防では渡名喜が本命の抱きつき大内刈まで歩を進めるが、予期したビロディドは渡名喜の首裏をはたき落として捌くと、流れを止めずに鋭い左払巻込。渡名喜左肩を持っていかれてしまって危機であったが、膝を着いてこらえる。

残り時間僅か、ビロディドが釣り手を一瞬奥、次いでクロスに入れて思い切った左払巻込を放つも互いが前傾姿勢のため距離が遠すぎて効き切らず。膝を着いた渡名喜が胴を抱える形で技を止め、そのまま制して抑え込みを狙う。ここでタイムアップ。ビロディドは仰向けのまま顔を覆って悲嘆。審判に促されようやく開始線に戻る。


組み手の細かいやり取りや攻防のディティールはだいぶ省いているが、大枠こんな感じである。

まず渡名喜の側から。後半形を乱して2度の払巻込を許す(少々組み手が雑になっていた)危うい場面こそあったが、非常によく戦った。相手の釣り手を徹底的に落とすという大方針に則った組み手の手札の数々、圧を食いにくい立ち位置の調整、そして窮した相手が当然採るであろうクロス組み手に対しての攻防一致の「抱きつき大内(刈)」という対抗策、と事前に準備して来たであろうことがかなり出せていた。もちろんビロディドの不調に助けられた部分はあるが、少なくとも「取られなかった」ことに関しては渡名喜の準備勝ちの側面も強い。収穫十分の試合であったと言えるだろう。

ただし、もろ手を挙げて喜ぶというわけにもいかない。まず、実際にどう取るかという攻撃の出口戦略がまだ見えてこない。挙げた「技有」ポイントは相手のミスによる僥倖。小さい渡名喜がビロディドのあの長い体を制して投げるためには深く懐に入り込む必要があるわけだが、その具体的な道筋と決めるべき技までが見いだせたという戦いではなかった。クロス組み手に対する攻防一致の「抱きつき大内刈」は十分必殺技になり得るはず(無差別における「足持ち大内刈」と同様、低い重心が非常に良く生かされている)なのだが、2度の小出しを経て読まれてしまったか本命の3度目には捌かれ、どころか左払巻込の襲来というこの試合もっとも危ないシーンまで技を繋がれてしまっている。63kg級の田代未来とクラリス・アグベニューの関係同様、「しのぐところまでは歩を進めたが、どう勝つかという出口が具体的に見えたというわけではない」というのが妥当な評価と思う。

ただし。これまで決して作戦立案・遂行力が高いとは言えなかった渡名喜が、「策」という面で成功体験を得られたことは非常に大きい。立てた策が奏功したという手ごたえは間違いなく次の作戦の推進力になる。また、経験をきちんと糧にしていることが確認出来たのも良かった。3分半の殿戦というハードタスクを冷静にこなしきれたのは、間違いなく2019年東京世界選手権決勝、あと「指導」1つで逆転勝利というところまでビロディドを追い詰めた経験があったから。リードしても舞い上がらず、相手の猛攻を受けても動揺することなく、淡々と試合を進められていた。具体的な戦術面で言えば、「抱きつき大内」を強く意識付けたことは、ビロディドの組み手の手札のうちもっとも厄介な、遠間からのあの長い釣り手の襲来に対する抑止力となり得る。実際に使うかどうかはともかく(リスクが高い)「ある」と思わせておくのは悪いことではない。勝負論的なステージでは、精神的に未熟なところのあるビロディドに「1度負けた相手」というストレスを刷り込んだ点も大きい。得たものあり、さらに次回への布石も打った。意味ある戦いであったと言えるだろう。

続いてビロディドに関して。相当な隙を見せた一番であったと思う。体力面と知力面、とくに後者にこれまでにない課題を感じさせた大会であった。

まず体力面。あまりにも疲れ過ぎ。これはもう減量苦と断じて良いだろう。そもそも身長173センチの選手が、何年も48キロ級に留まれるものではない。おそらく2020年夏に東京五輪を終えたあとは階級を上げるはずであったのだろうが、これをさらに1年延ばすことになった影響は我々が考える以上に大きいようだ。精神的な負担もかなりのものがあると見受けられる。控えめに言って、1年に何度もベストコンディションを作れる状態ではないはず。下手をするともう国際大会には出ず、五輪ただ1回にターゲットを絞って調整することもあるのではないだろうか。

そして知力面。不可解な挙動が多かった。これまでのストロングポイントをことごとく、自ら崩していた。

ビロディドの強さは、まずなんといっても長身であること。柔道競技、いや、格闘技における「強さ」の要素として身体的記号を超えるものはない。いわんや、男子の中量級選手なみの173センチという身長で女子最軽量級を戦うビロディドにおいてをや。これまでのビロディドはこの自身最大の長所に非常に自覚的であるように見えた。つまり背筋を伸ばして相手に対峙することをすべてのベースに据えていた。遠間にあっては相手に体幹へのアプローチを許さず、間合いを詰めたときには一気に大内刈で投げ切ってしまう。組み手で絡みつかれても絶対に中間距離を許すことなく、切って背筋を伸ばして(出来れば引き手一本を持って)は遠間、いざ一方的に持てば極端な近間での一撃と自分の強さが最大化される姿勢と距離でしか戦っていなかった。

しかるに今回は、小さい渡名喜に付き合ってたびたび前屈。渡名喜にとって一番嫌な「離れて(あるいは極端に近づいて)背筋を伸ばす」という自身のベースを貫けていない。柔道は対人競技なので、得意不得意ではなく相対的な自分の強さをぶつけること、今回であれば小型選手に対して長身選手が長身であること自体をぶつけることがもっとも強い。背筋を伸ばし、上から圧し、腰を寄せていくことが小さいものにとってはもっとも嫌なアプローチのはずだ。それがアドバンテージを自ら消してしまう「前屈」という選択。何が面倒なことがあってもすぐさま「背筋を伸ばしてもっとも背を高くする」基本形に立ち戻ることで全てを解決してきたビロディドが、まったくもって自分を見失っているように見えた。自分のストロングポイントを、相手にぶつけられていない。

これに関連して。組み手争いに付き合い過ぎた。これまでのビロディドは組み手で絡みつかれるととっとと切り離し、この「背筋を伸ばして遠間」のベースに立ち戻ることを徹底していた。面倒なら1度最初から全てをやりなおしてもいい、というこの割り切った行動原則が彼女の強さを支えていたわけだが、今回はやたらに把持にこだわり、渡名喜との組み手パズルに付き合い続けた。なんとしても引き手で袖を絞り続けるために、渡名喜が後に引いた手をみずからの腕を伸ばしてまで深追いし、ためにたびたび姿勢を崩した。

この2つを掛け算して起こったのが「前屈して両袖を持ちあう綱引き状態」。渡名喜の最大の得意技は小外刈で、この技は相手と自分が連結されていて、かつ相手が腰を引いてくれているときに最も掛かりやすい。長身選手が小型選手に対してわざわざ縮こまり、両袖を持ち合って(完全に連結されている状態)、さらに腰を引くという極めて剛体ができやすい状態で「綱引き」を挑む。小外刈ファイターの渡名喜と戦う上ではまさしく最悪の形である。ビロディドはこの悪手を、1分6秒から、1分半過ぎから、1分46秒から、と立て続けに3度も受け入れている。ビハインドの状況で組み手をやり直すタイムロスを惜しんだのかもしれないが、これは明らかな判断ミス。無事で済んだのが不思議なくらいだ。

なぜこれが起こったのか。まず、渡名喜が自粛期間に徹底的に行って来た体幹トレーニングが生きたという仮説が考えられる。ビロディドが切りたいときに容易に切らせなかった。ただ、決勝のディストリア・クラスニキ戦(相手のパワーをまともに受け、組み手を切り離すことがまったく出来なかった)を見る限り、この観測に寄りかかりすぎるのは少々無理がある。

まずビロディドのコンディション不良というフィジカル的な事情があるのは間違いない。そもそも前述ビロディドの「行動原則」は圧倒的なフィジカルによって支えられているものなので、コンディション不良でこれを失うことはまさに致命的なのだ。

これを大前提としてもう1つ、昨年10月のグランドスラム・ブダペストにおける52kg級参戦(と敗戦)の影響があるのではないか。これまでのビロディドの良さを支えていたのは、荒々しい組み手。あまり丁寧でない、過程を飛ばした一種乱暴な組み手が長身という身体的記号、そして階級のレベルを超えたパワーという長所を最大化していた。しかし相手のパワーが一段あがる52kg級ではこの良い意味での「雑さ」は通用しなかった。あのアンドレア・キトゥの内股透を呼び込んだ直接的な因がまさに組み手の粗さであったことを考えると、これはあくまで想像だが、以後のビロディドは52kg級フィールドの経験を糧に「組み手をきちんとやる」ことに思考のリソースを注ぎ込み過ぎてしまったのではないだろうか。今回は両手で一気に持てばいい場面でも片手ずつ順に繰り出して丁寧に持とうとすることで逆に渡名喜にバーターの機会を与え、組み手の進行に楔を打ち込まれてしまっていた。普段は決して付き合わぬ48kg級の濃やかな組み手世界に自ら降りてしまった格好だ。背筋を伸ばして遠間から一気の襲来というシンプルな行動原則を以て一種雑に、荒々しく振る舞うことで生かせていたパワーや上背がほぼ死んでしまっていた。

まさに自滅。もはや体力の消耗による判断力の低下までが疑われる。その極まりが、既に立ち上がっている渡名喜の背中に食いつき直しての両脚挟みという暴挙であり、その末に待っていた「技有」失陥ではなかっただろうか。

以上、体力面、知力(戦術)面と今大会でビロディドが見せた隙を挙げて来たわけだが、もう1つ。精神面の未熟さを挙げたい。敗戦後の2度の「礼」は酷かった。顔を上げぬまま会釈まがい、試合場を出るときなど相手に背中を向けたまま足を止めず首だけで振り向き、少し頭を下げただけである。負けたらとっとと人前から消えてしまいたい。世界チャンピオンとして恥ずかしい振る舞いだ。これまで幾度か犯している「髪掴み」の挙を思い出させた。3位決定戦勝利の後に見せた涙も迂闊。五輪を控えたこの時期、一杯一杯のメンタルの揺れを敵に見せて良いことがあるとはまったく思えない。また、いったん敗れたあとに立ち直り、一転集中した試合を見せるというこの繰り返し(GSブダペストに続く)も良くない。優勝する力がある選手が、1度負けても自分を取り戻してしっかり銅メダルを確保する。これが出来る選手は間違いなく一流だが、これを繰り返してばかりの選手は二流である。

と、だいたい言いたいことは以上である。

ビロディドが精神的に未熟であること。そしてどうやらこれまで彼女を強者たらしめてきた方法論は決して多角的なシミュレーションによる論理的補強を経たものではなく、たった1つの強い行動原理を貫くことで保たれていたものであること、そのことで細部までが上手く回っていたこと。そしてその行動原理がいかに大事なものであるかに対してどうやら決して自覚的ではないこと。つまり己の戦い方に思った以上に客観性を持てていないこと。これらの項に173センチの選手が48キロ級で戦うというそもそも無理のある設定を掛け算すれば、「ビロディドの失敗」は十分再現性があるものと考えられる。

渡名喜のディフェンスは自覚的な方法論に基づくもので、相手のコンディション不良に支えられた側面はあるものの、これは十分に再現性がある。

渡名喜の攻撃(ポイント奪取)は相手のミスに支えられた他動的なもので、再現性は薄い。

ビロディドの不調は、精神的な未熟さと自己理解の意外な浅さに起因するもので、かつ恒久的な減量の厳しさ(無理のある階級設定)という排除し難い背景を抱えるもの。であれば、再現性は、ある。

以上である。もちろん五輪でのビロディドはこれ以上ないコンディションで仕上げてくるであろうが、渡名喜にとっては、十分刃を入れる隙が見えた大会であったと思う。

渡名喜のディストリア・クラスニキ戦の敗戦についてはあらためて、各階級評で書かせて頂く。

※ eJudoメルマガ版1月17日掲載記事より転載・編集しています。

→eJudoトップページに戻る
→「ニュース・マッチレポート」に戻る
→「書評・DVD評」に戻る