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アン・チャンリン ロングインタビュー②「必殺の一撃を突き詰める必要はない、プロセスとバリエーションがもっとも大事」

(2020年9月6日)

※ eJudoメルマガ版9月6日掲載記事より転載・編集しています。
ロングインタビュー「世界王者アン・チャンリンの過去、現在、そしてこれから」(全3回)
第2回 「必殺の一撃を突き詰める必要はない、プロセスとバリエーションがもっとも大事」
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2018年バクー世界選手権で優勝、ついに世界の頂点に立ったアン。
(写真提供:AN CHANGRIM official supporters)

2018年バクー世界選手権73kg級王者アン・チャンリン(安昌林・韓国)選手のロングインタビュー、第2回をお届けする。韓国渡航までの経緯と思いを追った前回に続き、今回は得意技の背負投を端緒として、その柔道観を中心に話をお聞きした。

(聞き手・古田英毅)
※インタビューは7月下旬に行われました

―――ここでいったん、柔道スタイルやポリシー、アン選手の現在地についてお聞きしたいと思います。基本的なことからですが、龍仁大学卒業後、いまの所属や立場から教えてください。

スウォン市役所所属を経て、いまは別の自治体、ナミャンジュ市の職員というのが社会的な立場で、OK BANKのスポンサードを受けて活動しています。強化選手は全員選手村で合宿生活を送っており、強化に入り続けている限りはここに住んで、稽古を続けるという形ですね。

―――代表の選抜は、変則の非常に厳しいトーナメントが行われると聞きました。

いまはその制度は廃止されていて、高校生以上全カテゴリの選手がオープンで出られる予選が、年2回実施されます。基本的にはここで優勝した選手が海外の大会に送り込まれます。2位の選手でも優勝者と同等の力があったりすれば出られることもありますし、オリンピックの出場ポイントがある選手は3位でも出られる場合があるんですけど、基本的には、国際大会に出られるのは1位の選手だけです。

―――厳しいですね。韓国代表の試合を見ていると、ここ数年かなり雰囲気が変わったような気がしますが、練習も相当厳しいですか?

おそらく軍隊式の厳しい練習をイメージされるかと思うんですが、さきほどお話した通り、リオ五輪後はこれを大きく見直しました。最近は選手が自主的にやるという雰囲気が非常に強くなっています。かつては24時間体制でコーチが横について練習させるという感じで、問答無用の激しいトレーニングをしていましたが、いまは監督も代わって、自主性を重んじるようになって、選手たちが1人1人考えて自分でやるようになりました。監督やコーチの変化というよりは僕たちのほうが変わったという感じですね。コーチはコーチ、自分のことはあくまで自分で考えてやらなければならないと、選手たちに自覚が芽生えた。特にリオでボロ負けを経験している僕たち7人はまったく変わったと思っています。自主的にやることはもちろん、目の前の1試合ではなくて4年間を通して考えられるようになった。これは確実に階段を1つ上がった部分だと思います。リオに出た7人に関しては、かなり気持ち的にも余裕が出来ているかなと思います。

―――ここ2年くらい、外から見ていると韓国のトップ選手の怪我が多いように思えますが、このあたりについては?

2016年までは怪我しても「出ろ」と言われる状況があったわけです。いまは大韓柔道会側で怪我を考慮して練習させないとか、試合を回避させてくれたりと配慮してくれるようになったので、外から見ると欠場が増えたということですね。自分自身の裁量で体調管理を出来る幅が広がっているので、試合を休むことは増えましたが、むしろ怪我は少なくなっていると思います。

―――2018年のバクー世界選手権で優勝した後に怪我をして、2019年東京世界選手権は欠場。日本のファンも非常に心配していました。この期間について教えてください。

2019年に首を怪我してしまったんですね。もともと頭から突っ込む癖があったし、中学校の頃からブリッジで着地して回転して逃げるというのをやっていたりしていたこともあり、強い衝撃を受けるたびにムチ打ちみたいな症状が出るようになっていた。もちろん普段からケアはしていたんですが、疲労がたまると出てくる。僕としてはいつも通りのことだからと練習を続けながら治していたところが、2019年春のスペインの合宿で海外選手と激しい稽古をしている中で、一週間の間に3回くらい首を突っ込んで強いダメージを受けてしまった。ここで稽古を休めばよかったんですけど、せっかくの機会で勿体ないと思って続けてしまった自分がバカでした。首の力が抜けない状態になってしまったんです。力を抜いたら痛いという状態になって、ずっと力を入れていなければいけなくなった。で、痛みが引いたところでウエイトトレーングをやろうとしたら、左腕だけ10キロのダンベルすら持てなくなっていた。力を入れたくても入らない。すぐに病院で診てもらって、首のヘルニアだと診断が下りました。注射して、基本的には保存療法で治すしかないと言われたのですが、僕としては、癖にならないようにしっかり治した状態で、かつとにかくすぐに練習に臨みたかった。接骨院をやっている父の知り合いで、すごく有効な手術方法を持っている方がいるという話を聞いて、その方にお願いすることにして大阪で手術することになりました。で、 9月に手術して、即効性のある方法だったのですぐに本格的に柔道を始めることが出来ました。その後かなり練習量が積めたので12月のワールドマスターズを復帰戦に考えていたんですが、一番良い状態だった11月に今度は足首の靭帯を切ってしまって。それでマスターズも出られなくなって、本格的に柔道を始めたのが1月、グランプリ・テルアビブの3週間くらい前ですね。試合をすることでしか養えない感覚的な部分もあるので、ひとまずこの大会にはどうしても出たかった。なのでここを復帰戦に選んだ。…まあ、怪我に関してはこんな感じです。

―――2月のデュッセルドルフの戦いぶりを見る限り、ほぼ完全という印象でした。

そう考えて頂いてよいと思います。いまは怪我もなく、良いコンディションです。

―――テルアビブでは、珍しく、変則の相手の奇襲技に嵌ってしまいましたね 。怪我の影響はありましたか?(※マルティン・ホヤックの変則谷落で崩されてブリッジで耐えてしまい、一本負け)

自分は普段から凄く研究するタイプで、試合前も箇条書きにまとめたメモを見返します。でもこの日は1回戦で「技有」取られる場面があって、「今日はちょっと緊張しすぎているな。やっぱり試合を離れていたからな」と、浮足立っているのがわかった。なので、今日は相手のことを気にせず自分のやりたいことをやろう、自分が課題としていることをきちんとやろうという方向に切り替えたんですけど、

―――その時の相手が、まさに研究してるかどうかが勝負の変則技選手だった。

そうです。いつもならメモ帳を見てから臨むはずなんです。谷落もわかっていたんですよ。サギ・ムキが一発食らった試合も見ていましたし。投げられた瞬間、あーそうだった、コレ(腕を固める動作)をやる選手だったと(笑)

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多種多様の背負投を使いこなすアン。写真は2016年グランドスラム・パリ決勝。デニス・イァルツェフを屠った一撃。

―――なるほど、やっぱり聞いてみるものですね。事情、よくわかりました(笑)。…次に、アン選手の技と柔道について。僕たちは現役ナンバーワンの背負投遣いはアン選手だと思っていますので、まず背負投を取っ掛かりにしたいと思います。背負投を掛けるに際して、もっとも気を付けていること、大事にしているポリシーは?

ありがとうございます。でも、僕自身は、背負投はまったく上手いと思っていないんですよ。もう少し言うと、「背負投」単体は上手くない。僕の背負投は、たとえば大野将平さんの内股や羽賀龍之介さんの内股みたいに、来るとわかっていても投げられてしまうような威力のある技、相手が普通に構えているところにドンとまっこうから投げにいけるような破壊力のある技ではないんですね。技自体には破壊力がないので、背負投までの「過程」が自分の中では一番大事。タイミングを一番重視しています。これは背負投に限らず、他の技でもです。とにかくタイミング重視です。全ての技はタイミング。

―――背負投のバリエーションをたくさんお持ちですけど、その中から状況に応じて適切な技を選ぶのが大事ということですか?

そうです。相手の姿勢だとか試合の状況によって、入る種類も、パターンも、違ってきますので、その中できちんと嵌めていくのが大事。完全にプロセス重視です。

―――そのパターン、もし宜しければ1つだけ紹介してもらえませんか?

そうですね。…簡単に言えば、例えば相手の意識を防御に向けないことですね。

―――面白い!

あまり詳しくは言えないんですけど、防御に意識を行かせないように作れれば、僕のように背負投が下手でも十分投げることができます。そのタイミングさえきちんと理解すれば、技のセンスや破壊力がなくてもじゅうぶん相手を投げられると思います。

―――例えば、相手の意識が攻めに掛かっている一瞬を作るとか、そういうことですか?

そうです。人間って、特に試合中は2つのことに意識を向けるのは難しいんです。防御もして、他のこともやって、という風にはなかなか出来ない。

―――組み手とか、重心とか、こちらの足の位置とか、集中すべきホットなトピックを敢えて相手に与えるということですね。

そうそう、まさにそういうことです。…あまり詳しくは言えないんですけど(笑)。

―――面白いです!…バリエーション豊かな背負投、子どものころからこうやって覚えて来たとか、その来歴、「順番」を教えてもらえませんか?

僕、実はちゃんと背負投を教えてもらったのは、韓国に来てからなんですよ。大学の試合でも、組み手と逆の右の背負投とかはしていると思うし、高校時代に「韓国背負い」も一応やっていますけど、あくまで「みようみまね」という感じ。中学、高校、そして筑波大で、しっかり、背負投はこうだよと付き切りで手取り足取り教えてもらった経験はなかったですね。ちゃんとした左の背負投はほとんどやってなかったです。やっていましたけど、なんというか、どの技が得意というよりは、なりゆきで勝つような選手でしたね(笑)

―――そうなると、日韓の背負投に対するアプローチの違いについてもお聞きしないわけにはいきません。

韓国と日本では、背負投の教え方が全く違いますね。…すごく簡単に言うと、日本の背負投は縦に投げることを優先してまっすぐ入ることを凄く意識するんですけど、韓国人はちょっとずれて斜めに腰を入れて、とか細かい部分に物凄くこだわる。日本の教科書的な教え方はこう上に引き上げて(しゃくる動作)股の中に入りましょう、という大きな枠を理解させることが入口だと思うんですけど、韓国の場合は「はい、腕をブランブランして」(両腕をふるわせてリラックスする形を見せる)、それから「腰で入りましょう」と腰を相手の膝の前に腰を入れるイメージを持たせたりという感じ。投げるための細かいディティールからいきなり入る感じですね。正直言って、担ぎ技の細かい部分や教え方については韓国人のほうが一杯ノウハウを持っているのではないかと思います。

―――もろ手で仕掛ける左背負投とか、右襟を掴んで掛ける「韓国背負い」とか、こちらから見るとこれが得意技かなと思う技もあるんですが、そういう意識はあまりないんですね?

そうですね。みんな同等ですね。どの形であっても投げれば一緒かなと思います。特にこだわってこれが好きです、これが得意ですというものはないです。いま仰った「韓国背負い」もまあ、得意ですけど、あれだけではない。最近ではあまり「韓国背負い」を使っていないですし、逆に「韓国背負い」があることがフェイントとして機能して他の技が掛かるという場面も多いです。

―――フラットであること自体が武器。

そうです。簡単に言えば、100パーセントの技術がなくても、70、80パーセントの技術を5個持っていれば、100パーセントの技2つとかよりは全然上だと思っています。

―――なるほど!

そして、どんな技でも70、80のラインには結構持っていきやすいんですね。もちろん100パーセントを目指すんですが、技術というのは、70パーセント、80パーセントまで育てるというところまでなら意外とすんなり出来るものなんですよ。これが40、50になるとさらに、かなり高い確率で持っていける。僕はそっちのほうが大事だと思うんです。最近のルールを見ていると、40、50、70、80の技をたくさん持っているほうが良いと思いますね。1つの技の残り20パーセントを完璧に詰めるという難しい仕事に時間を費やし過ぎるよりは、一定以上のレベルの技をたくさん育てるほうが、ルールに合っていると考えています。

―――理想としている背負投の遣い手がいたら教えてください。

ソン・デナム(宋大南)コーチです。背負投の調子が悪かったり掛からないなと思ったら、必ず彼の動画を見ます。高いのも低いのも、左も右も出来るし、非常にレベルが高い。…ジョン・ギュヨン(全己盈)先生という存在もいるんですけど、あれは、凄すぎてなかなか真似出来ないですね(笑)。かなり難しい。

―――ソン・デナムさんの背負投はどういうところが凄いですか?

選手時代を見たり、実際に教えてもらって感じたことなんですが、体がものすごく柔らかいんですね。脱力が上手い。そして教え方がシンプルで理解しやすかった。彼の背負投は、簡単に言えば腰が一番大事。腰で入る背負投。背負投への理解ということで言うと、彼は僕とガク・ドンハンの担当コーチだったんですけど、練習の時は背負投をするなと言うんですよ。

―――??

僕もその通りだと思うんですけど、担ぎ技は体に物凄く負担が掛かるんです。肘だとか、腰だとか。彼自身が凄く怪我が多くて、それを克服してきた選手であったこともあって、本気で背負投を掛けさせることには凄く慎重でした。試合まであと何回練習できる、という時になってようやく「きょうは背負投掛けてもいいよ」とか、そんな感じです。その代わり、色々な状況での背負投の投げ込みを何種類もやっていました。僕は、今も練習ではあんまりやりません。ガク・ドンハンなんかは試合でも掛けない(笑)

―――その話が出たので少しだけ脇道に逸れますが、ガク・ドンハン選手が背負投を使わなくなったのは、私たちの間でもかなり話題になっていました。2019年の初頭から世界選手権まで、試合ではほとんど掛けなかったのでは?

怪我が多かったというのは考慮していたと思います。ただ、練習でも背負投を掛けないでいると、大外刈や内股など他の技のレベルが上がってくる。

―――彼の内股はもはや専門職レベルですよね。

それだけ、背負投以外に力を割いて練習しているんだと思います。

―――戦後の競技柔道の中で、背負投は色々な選手によって改良が加えられ、多種多様な発展をしてきました。背負投の歴史的な系譜の中で、自分をどう位置付けていますか?

その質問には、韓国と日本の背負投の違いという面からお話すべきなんでしょうね。…僕は日本の背負投をやろうと思ったら出来ますし、日本の選手みたいな入り方も持っている。でも、僕の背負投はやっぱり韓国風ですね。僕のルーツを見てそういう質問が出てくるんだと思いますけど、背負投に関しては完全に韓国です。日本の選手の背負投は本当に上手ですね。で、これに関連してなんですけど、日本の選手で本当に背負投が上手な選手って、「韓国背負い」は出来ないんですよ。秋本啓之さんとか、粟野靖浩さんとか本当に背負投を縦に綺麗に決められる技術レベルの高い選手は、いったいに「韓国背負い」があまり上手くないです。おそらくまっすぐ投げることに特化しすぎて、横で投げたりとかその概念から外れる投げ方を出来る人が少ないんじゃないかと。上手い選手であればあるほどそういう傾向があります。これに比べると、韓国の選手はそもそも背負投の打ちこみだとか、基本形の背負投が上手い選手自体があんまりいないんですよ。実際に投げるためのディティールから覚え始めるから。でも、ゆえに、変則の背負投だとか「投げる」ということが上手。

―――斜めに入ったり、横に転がったり「背中をつかせる技術」。

そうです。そう考えていくと、僕の背負投はやはり韓国の背負投です。

―――「縦に投げる」ための大きな法則から学習を始めると、威力は増すけどなかなかその大きな枠から外れられない。なるほど。…いま背負投を練習している日本の子どもたちに何かひとつアドバイスをするとしたら?

「肘は絶対怪我しないでください」ですね(笑)。肘、肩に負担が掛かる技ですのでその点は十分注意して。

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2016年2月のグランドスラム・パリ準決勝、秋本啓之から背負投「一本」。本人いわく、これが「生涯ベスト背負投」。

―――これまで決めた「生涯ベスト背負投」は?

(秋本)啓之さんに決めたやつです!(笑)

―――2016年のグランドスラム・パリ! 2発目ということですよね?

1発目で「一本」だと思いましたけど、2発目も嬉しかったですね。なにより、ソン・デナムコーチと考えた作戦がかなり嵌って、もうその通りになったことが快感。会心の一発でした。

―――最初の一撃、会場からも「イッポン!」と声が上がっていたのを覚えています。…なるほど、一貫していますね。プロセス重視なわけですね。

そうです。自分の考えたプロセスが、きちんと嵌った一発でしたから。2か月前のグランドスラム東京で啓之さんに負けて、それで作戦を組みなおして、それが嵌ったという経緯も嬉しかった。

―――いま自分の柔道でもっとも課題としていることは?

技術的な部分で言うと、相手と背中を持ちあった状況、奥襟を持った状況でのバリエーションをもっと増やすということです。日本人選手相手だとある程度これもやってはいるんですけど、大きく見て、自分に足りないところはまずそこかなと思っています。練習では出来ても、試合ではなかなか勇気を持って出せなかった。リオ五輪の前から取り組んで来たのですが、最近ようやく自信を持って出来るようになってきました。

―――この先のスタイルをどう設計しますか?

全姿勢、全体勢で相手を投げられる、そして抑え込める柔道を目指したいです。

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初めての国際大会がチェリャビンスク世界選手権。ロシアの大応援団が陣取る会場の雰囲気に戸惑ったという。

―――ありがとうございます。ここで、第1回に引き続き、アン選手のこれまでを紹介するという形で、韓国渡航後のビッグゲームについてひとことずつ、特にリオ五輪とバクー世界選手権についてお伺い出来ればと思います。大野将平選手との6戦については別途振り返って頂きますので、のちほど詳しく。…2013年まで日本にいて、翌年春に韓国に渡るなり、いきなりチェリャビンスク世界選手権の代表となりました。

まず、あの大会に出たのは全員2軍だったんですよ。

―――地元の仁川でアジア大会があったから。

そうです。1軍がアジア大会。僕たち世界選手権組は2軍でした。とはいえ僕はその前の国内選抜でバン・ギーマン(註・仁川アジア大会代表、同年のGSパリでは優勝していた)に勝って優勝していたので、結構自信を持っていた。ただ、この世界選手権が実は自分にとって初めての国際大会だったんですよ。右も左もわからず、バカでかいアリーナでロシアの応援団が凄くて、国際大会というのはこういう雰囲気なのかと。1回戦は自分の得意な小内刈で投げて勝って、次のサギ・ムキ(イスラエル)にも勝てるだろうという感じだったんですが、終了間際にやられてしまった。はっきり言って経験不足でした。浮足立っていましたね。最初だし、まあ大丈夫、これからだという感じではありましたが、結構へこみました(笑)。

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韓国渡航から8か月、世界ジュニア選手権で優勝を果たす。

―――すぐに世界ジュニア代表に選ばれて、優勝します。日本ではさすがアン、やっぱり来たぞ!という感じでした。準決勝でボルタボエフ(ウズベキスタン)、決勝が日本の山本悠司選手。振り返るといかがですか?

全員ほとんど知らない選手で、研究も出来なかったので、普通にいつも通りやろうと臨んだ大会でした。世界選手権を経験していたので、これはちいさい大会だなと感じられるくらいの余裕がありましたね。アメリカだったんですけど、その年は会場の規模も小さくて。

―――ホテルの宴会場というか、ホールでやった年ですね。

そうです、そうです。普通に試合をしていたらきちんと投げてしっかり勝てたなという大会でした。世界選手権の経験がかなり生きた大会だったと思います。…この2か月前のアジア大会後に区切りと言うか、代表が世代交代という形になって、66kg級にアン・バウルが入って、73kg級に僕が入ったんです。で、そうやって強化の対象になった瞬間にコーチにシゴかれまくって。毎日死にそうなくらい追い込まれた。「練習中は3秒以内に技を掛けろ」とか。

―――さきほどお話のあった、目を覚ますのも憂鬱だった時期ですね。昭和だ!(笑)

そんな感じでした(笑)。ただ、そういう練習がこの世界ジュニアの試合の中ではかなり生きましたね。いまでも、たまに練習の中で自分にルールを設けてやることがあるくらい、この時期の猛練習は身になりました。たとえば、バテたときにあれこれ考えずに上下左右と技に入れるようになっていた。そういう意味では、ターニングポイントになった時期であるのは間違いないです。

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地元韓国で行われたグランプリ・済州でシニア国際大会初優勝。決勝はサギ・ムキを破った。

―――その後すぐに地元のグランプリ・済州でシニア国際大会初優勝。この大会は面子が結構きつかったと思うんですけど。

ヤバかったですね!(笑)

―――ツァガンバータル、ガンバータル、ファンティシェル、決勝ではムキ。あのころの済州はかなり当たりはずれがある大会だったと思いますが、この年の73kg級は骨太でした。

シニアの大会は負けた世界選手権以来でしたし、一戦一戦しっかり戦おうという姿勢でした。ツァガンバータルとかはもうかなり名前もあって、動画で見て(勉強するような)選手でしたから、おお!ツァガンとやれる!という感じでテンションが上がりました。ガンバータルのことはよく知らなかったんですが組んでみたらメチャクチャ強いし。結局延長戦で勝って、ファンティシェルは、当時はさほど強さを感じず、しっかり勝てて。

―――決勝では、ムキにリベンジ。俺いけるぞ!と思えた大会なのでは?

まさにそういう大会でした。国際大会を見ていると、最初から勝てる選手と、最初は全然ダメだけど後から勝てるようになる選手というのはハッキリ分かれるわけです。そのまま勝てない選手というのもいる。そういう評価の視点に照らして、ああ、俺の柔道は海外の選手に対して適応性があるな、これから先はやっていけるなというのがハッキリわかった、そういう手ごたえを感じた大会でしたね。でも、この頃、…ひょっとすると翌年のアスタナの後だったかもしれないんですけど、キム・リーマンと先輩後輩であるという縁で、浅見八瑠奈さんとお話したことがあるんですよ。その時に突然「アン君、いま海外の選手に余裕で勝てると思うでしょう?」と聞かれたんですね。で「はい。全然怖いとは思わないですね。ヨーロッパの選手にも怖さを感じないです」と答えたら「絶対後で勝てなくなる時期がやって来るから、その時にブレずにちゃんと練習できるように、良かったことやダメだったこと、ちゃんと具体的な言葉でまとめておいたほうがいいよ」とアドバイスしてくれたんです。その時は何言ってるんだろうとか、浅見さんにもそんな時期があったんだな、くらいにしか思いませんでしたが、後からその通りになりましたね。まさにそういう時期が来ました。浅見さんのあの言葉を覚えていたから、乗り越えることが出来た。いまでも感謝しています。

―――そのあと、2014年のグランドスラム東京で3位、2015年に入ってグランプリ・デュッセルドルフ、アジア選手権とこなして、ユニバーシアードでも優勝して、アスタナ世界選手権では昨年に引き続いて韓国代表。ついに銅メダルを獲得するという充実の期間を迎えます。…時に、ずっと気にしていたんですけど、アジア選手権の決勝で橋本壮市選手を投げた、股中の体落と内股のミックスみたいな技、あれは具体的に練習している技術ですか?

韓国人選手がかなり使う技です。結構広まってて、あの頃は自分覚えたてだったんですが、すぐ使えましたね。橋本先輩が奥襟にあまり強くないこともわかっていたので。上手く決まりました。

―――技名称をつけるとしたら?

「帯投げ」という感じですね。ワン・キチュンが海老泰裕さんを投げている動画が今でもウェブで観られると思います。僕、あの技はワン・キチュンに習ったんです。背負投で目標にしているのはソン・デナムですが、柔道スタイルとして目標にしているのはいまでもワン・キチュン。柔道スタイル的に初心に戻らねばならない時、スランプの時などは彼の動画を見るようにしています。

―――ユニバーシアードでは優勝、アスタナでは見事銅メダル獲得。この2大会の感想は?

ユニバーシアードはあまり有名でない選手が出ていたりしていたし、勝敗自体のハードルはそれほど高くなかった。ただ普段の国際大会と総合大会というのはまったく違うんですね。自国開催の盛り上がりの中で戦えたことも良かったし、なにより他競技の選手と一緒に選手村に入って、そこから試合に出るという経験が出来たことが大きかった。そこで上がったコンディションそのままにアスタナに乗り込んだという感じです。このあたりになるとかなり自信もついてきました。

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2015年8月のアスタナ世界選手権で3位。この大会は絶好調。「こうやって技に入れ」と聞こえる声の通りに投げ続けたという。

―――アスタナ世界選手権の出来は凄かった。

はい。もう、メチャクチャ調子が良かったですね。個人ももちろんですけど、団体戦でも調子が良かった。ガンバータルを投げて「一本」、イアルツェフにも一本勝ち、そして中矢力さんに一本勝ちでしたから、かなり手ごたえがあった。

―――ケンカ四つとはいえ、パワー自慢のサインジャルガル・ニャムオチルを2発ブチ投げた試合には度肝を抜かれました。

あれはかわいそうだったんですよ。僕はそれまで全部「一本」で勝って来ていて体力的にまだ余裕があった。世界選手権は1日に男女1階級ずつですから、予選ラウンドはすぐ試合が回ってくる。それで僕が待機しているときにサインジャルガルが全然来なかったんです。僕は急かせるためにワザと早めに入場していたんですよ(笑)。で、あと1回呼んでこなかったら失格にしますよというところで、彼は汗だくの状態でダッシュで来て、ハアハア言ってるところで試合が始まった。だから「はじめ」が掛かった瞬間に投げたんですよ、袖釣りで(笑)。よし、これで行けるなと思いました。

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2015年12月、グランドスラム東京決勝で秋本啓之と戦う。明けて2月のグランドスラムパリ準決勝と併せたこの2連戦はまさに歴史のターニングポイント。名勝負だった。

―――これも「プロセス」かもしれませんね(笑)。この頃が、アン選手が「韓国の強豪」という位置づけから、「日本勢最大の敵」として認識され始めた時期だったと思います。ここからGPアブダビ、GP済州と連勝して、そして秋本啓之さんとの2連戦がやってきます。2015年12月のグランドスラム東京、2016年2月のグランドスラム・パリ。東京では敗れましたが、パリでは背負投「一本」で鮮やかに勝利。

(秋本)啓之さんに勝つということは自分の柔道人生の中でも大きな目標だったので、それは嬉しかった。あんまりそういうことには思い入れないタイプなんですけど、大学のときにずっと面倒を見てくださいましたし、前年度のグランドスラム東京では付き人もしていましたし、本当に尊敬できると思っている柔道家の1人だったので、正直言って複雑な気持ちでもありました。「勝ってしまった」という感じでした。

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リオ五輪初戦。いま思えばこの段階から平常心ではなかったという。

―――この2戦を経て、日本のファンは、リオの最大の敵はアン選手だという共通認識を得ました。では、2016年8月、リオデジャネイロ五輪についてお話頂けますか?

リオ…。それまでと同じようにかなり厳しいトレーニングをして、2週間前に現地に入って、時差もちゃんと対応出来て、試合の直前まで緊張もあんまりなかったんです。ほとんどの試合では1回戦は緊張するんですけどこのオリンピックではそういうこともなくて。あんまり変わらないなと感じながら1回戦を勝ったんですけど、いま思えば、…韓国背負いを出したじゃないですか。あの時点で楽しようと思っていましたね、僕、たぶん。

―――なるほど。

おそらくは、大野さんとの試合に向けて、すぐ勝って、すぐ休もうとか、今思えばそういうことを無意識に考えていたんだと思います。で、2試合目でファンティシェルとやって。ファンティシェルはかなり得意なタイプなんですよ。どうやったら負けるんだろうというくらいに力の差があると感じている相手だったんですけど、「はじめ」が掛かって、まず左の袖の絞り合いをしたときに、絞り負けたんですよ。相手がピストルグリップで持っていたこともあったんですけど、いままでまったく絞り負けたことのない相手に、絞り負けてしまった。僕が持てなくて、相手にだけ持たれている状況。「指導」は相手に行ったんですけど、その瞬間に「うわ、やばい」「やりにくい」と思ってしまった。で、とりあえず1回「韓国背負い」を挟んでポイント取ってから試合を進めよう、まずリードした状況を作ろうと思ってしまった。僕はその頃、必ず絞り合いをやってまず優位を作ってから持つという手堅い手順を踏んでいたんですけど、この場面では韓国背負いを狙っていきなり襟を持ちに行ってしまった。そして、あとから試合を見ると、僕のいちばん得意な大技のための「プロセス」を踏むこともなく、なんの前触れもなく、なんの予備動作もなくいきなり韓国背負いに入ってしまい、それを待っていたかのように返されてしまった。そこからは頭が真っ白です。どうしたらいいんだ、ヤバい、俺のオリンピックがここで終わってしまう、と。小内刈とか袖釣込腰を掛けることは掛けるんですけど、もう体と心がバラバラの状態。これでは技も決まりません。そのまま終わったという感じです。

―――全階級を通じた、あの五輪最大の番狂わせのひとつでした。

すべてにおいて甘かったですね。でもあの時勝たなくてよかったと思います。人間としてもそうですし、その後の柔道人生においても、あそこで半端に勝ってしまっていたら成長がなかったと思います。そういう意味でも、大きな負けでした。

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2017年ブダペスト世界選手権で銅メダル。五輪の失意から立ち直った大会だった。

―――その後、2017年に入ってグランドスラム・パリとアジア選手権をこなし、ブダペストの世界選手権では銅メダルを獲得。

…ブダペスト世界選手権までは、1年前のオリンピックの後遺症が残っていました。俺は勝てるのかな、また世界と戦えるのかなとメンタル的にもかなり上下していましたね。ブダペスト、大会自体はオルジョフ(アゼルバイジャン)に負けて3位だったんですけど、正直に言って、自信が取り戻せた大会でした。また俺はやれると思えました。

―――2018年、グランドスラム・パリ3位を経て、5月のフフホトでは優勝。後者では片袖の背負投「技有」で、前年のパリで初敗北した橋本壮市選手と戦い、きっちり勝利しています。

(橋本)壮市先輩に苦手意識はそんなにもともとないですし、フフホトでも普通にいつも通りやろうかなと。パリ(変則の内股透を食って敗戦)では試合をなあなあというか、詰めてやっていなかったですね。練習もそうだし、試合に関しても、なあなあでやってしまっていた。そういう感じの時はだいたい負けるんですね。いつも通りに、でもしっかり詰めてということが出来た試合でした。

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2018年バクー世界選手権でついに世界の頂点に立つ。写真は決勝、橋本壮市を相手に決めた小外掛「一本」。
(写真提供:AN CHANGRIM official supporters)

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優勝決定直後。

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3週間前にアジア大会を僅差で落としたばかりのアンは悲願の世界一達成。畳を降りると一転、思わず涙にくれる。

―――そして、バクー世界選手権でついに金メダル獲得。ハイライトです。振り返ってみていかがですか?

ジャカルタのアジア大会で大野将平選手に負けて銀メダル。これだけやって負けて、さらにもう1回大きい試合があるのか、すぐにもう1回やらなければいけないのかと悩んでいて、直前まで、ガーッとモチベーションが上がることがなかった。あのままだったら危なかったと思います。ただ、そのとき交流を持っていた石井慧さんに「モチベーションが上がらない」と相談したら「そのままやればいいじゃん。オリンピックでもないんだし、(そういう状態で)世界選手権どれくらいやれるか試してみればいいじゃん」というアドバイスを下さったんですね。それを聞いてかなり気が楽になって。で、この大会は本当に自然体というか、プランゼロで臨みましたね。

―――決勝までの勝ち上がり、すごく良かったですよね。結果的に強敵はツェンドチル・ツォグトバータル(モンゴル)くらいであったかもしれませんけど、充実が感じられました。

この選手と当たるだろうなという強豪が、全部負けて来たんですよ。初戦も本当だったらカナダのマルゲリドンのはずが、逆転負けして、チェコの選手が出て来たし、ツェンドチルも、オルジョフとやってバテバテですぐ試合だった。シャフダトゥアシビリ(ジョージア)も負けて来ましたし、運が良かったですね。

―――とはいえ外から見ていると凄い強さ。単に調子良さそうというより、力が有り余っている感じでしたよ。

そうですか!(笑)。ありがとうございます。コンディションも良かったし、何よりメンタルが良かった。楽な気持ちで戦えていました。今思えばですけど、もちろん戦略や戦術を作るのは大事なんですけど、作ったらばあとは何も考えない、その境地で戦えたのが良かったんじゃないですかね。

―――初めて立った世界の頂き。どんな感じでしたか?

直後は興奮して覚えていないんですよね(笑)。世界一になったんだという実感は、1日くらいは湧かなかった。

―――まわりの扱いは変わりましたか?

世界チャンピオンという肩書が出来たので、回りの選手や、韓国の社会の中での扱いは変わりました。ただ僕の中では、勝ったと言ってもこれはオリンピックのチャンピオンではないので、あくまでこれはこれという感じ。1ヶ月くらい経つとなんでもなかった。

―――アン選手は、一貫して自然体ですね。

何事もそういう感じ、いつも通りでないといけないと思います。でもこの世界選手権の後に体調を物凄く崩してしまって。ちょっと練習してもオーバーワーク気味になってしまうというか、すぐバテるような感じになって。そこから1ヶ月くらいきちっと休んで、回復を図りましたね。

―――あのジャカルタをやって、世界選手権で勝つというのを1ヶ月でこなしただけでも超人級ですよ。

<<続く>>
第3回は、大野将平選手との6戦の振り返り、そしてパンデミック下のアン選手と韓国代表の現状について語って頂きます。9月8日に配信の予定です。

取材協力:AN CHANGRIM official supporters

※ eJudoメルマガ版9月6日掲載記事より転載・編集しています。

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