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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第104回

(2020年8月10日)

※ eJudoメルマガ版8月10日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第104回
毎日同じ事を聞かされ、同様の記事を読むと、別段感激もせずついには倦むようになる。
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嘉納治五郎師範

資料提供 公益財団法人講道館
copyright:Kodokan Judo Institute

※写真の無断転載および転用を厳に禁じます

出典:「我が講道館文化会員に告ぐ」
「作興」10巻8号 昭和6年8月 (『嘉納治五郎大系』1巻252頁)
 
人には「慣れ」というものがあります。そこには、当然<良い面>と<悪い面>があると思いますが、今回の「ひとこと」は後者について師範からの警鐘・・・なのでしょうか。

大正11年(1922)、講道館文化会設立以降、「精力善用」「自他共栄」の普及が、師範にとって生涯の大事業となりました。その普及活動の一環に、講演(講義)がありますが、師範存命中に講道館に入門、親しくその教えを受け、2013年に亡くなった故福田敬子女子九段が興味深い証言をしています。福田女子九段によると、師範の講話を「親父の長い話が始まった」と真剣に聞かない人もいたというのです。
 
講道館の道場における出来事と思われますが、「講義」を修行において欠くことの出来ないものとしていた師範にとって(第27回)、時間を割くのは自然なことだったでしょう。自らの考える講道館柔道の大切なことが修行者に伝わっていないと感じていればいるほど、熱がこもった話になったはずです。
ですが、「親父」という呼称に、敬慕を感じながらも、その話にうんざりしていた人が少なからずいた様子が、うかがえます。

そして、そういった実態を師範が知っていたことが分かるのが、今回の「ひとこと」です。

師範は、普及のために、筆をとり、あるいは、各地を飛び回り、自らの考えを伝え続けました。結果、<繰り返し聞かされたり、目にしていると、感動はなくなり、いやになったり、あきたりしてくる>という現実にも直面したわけです。
「精力善用」「自他共栄」は非常に簡単に覚えられ、その内容もある程度説明するは容易です(師範も「意味を説明することはやさしい」と言っています)から、その分、慣れが生じるのも早かったかもしれません。

ここで、筆者が師範はやはり「教育者」だと再認識したのは、「聞かない修行者が悪い」とか、「もっと真面目に聞け」といった他者(相手)の問題にしていないことです。この「倦む」状況に対して、自分がどうすれば良いか考えた末、師範は「日常人々がすることに結びつけることによって」、「精力善用」が人々に浸透するのではと、1つの方法を創案します。「精力善用国民体育」です。

「精力善用国民体育」は、は、当初、現在残されている「攻防式」と併せて「舞踊式」というもが発表される予定でしたが、結局、公開に至りませんでした(※)。結果、既に発表されていた「攻防式国民体育」のアレンジとして、今に伝わっていますが、この「国民体育」を使って「精力善用」を広めようとしたわけです。

過去、本連載でも触れている(第70回第99回)「精力善用国民体育」(講道館公式youtube)ですが、残念ながら、未熟な筆者自身の感覚では、身体の動きと「精力善用」の繋がりを実感するところに至っていません。ただ、当時すでに講道館柔道から失われていた武術性の復権だけではなく、精力善用思想普及のツールとして、期待していたのであれば、晩年の熱心な普及も納得します(※)。
「倦む」修行者たちの現状を理解していたということ、そして、その現状を他者(相手)のせいにするのではなく、さらなる工夫をしたということは、指導する立場の修行者(先達)にとって、学ぶべきことではないでしょうか。
 
さて、ここまでですと、指導する側に限定された話になりますが、筆者は、ここで受け手側からも、今回の「ひとこと」を考えてみたいと思います。
人は同じ話を繰り返し見聞きすると慣れてきます。それがシンプルで分かりやすいものであれば一層のことです。
話を聞いたり、見たりしたとき、「それは知っている」「それは聞いたことがある」「また同じ話か」で終わっていないでしょうか。「聞いたことがある」「見たことがある」。では、自分が実践出来ているのか?ということに、心が及んでいるでしょうか。
聞いたこと、読んだことを、それが有益と分かっていても、実践する人は、少なく、継続出来る人はさらに少ないという話があります。ネットで少し調べても、裏付ける数字が色々と出ています。どういった計算か分からないので、うのみには出来ませんが、いずれも実践・継続する人が、どれだけ少ないかを物語っています。
 
技の修得という体験知を元に考えると分かりやすいのですが、知っていることと、出来ることは違います。そして、知識を自らの技に変換するには、時間と努力が必要です。修行者は、そのことをよく知っているはずですが、「精力善用」「自他共栄」についてはどうでしょうか。

師範は「主義はただ知るだけでは足れりとしない。これを行ってこそ、真の価値が認めらるるのである」(本連載第16回)と、知ることだけでは不十分で、その実践にこそ、価値があるとしています。 「精力善用」「自他共栄」という言葉に「慣れ」を感じたとき、「では、実践できているか?」ということを、是非問うてみてほしいと思います。


※引用は、読みやすさは考慮して、『嘉納治五郎大系』から行っています。
※余談ですが、具体的なことが予定されながらも未完の仕事として、『柔道教本』の「下巻」や『青年修養訓』の続編『青年処世訓』といった本の発刊があげられます。一体どのような内容にする予定だったのか、出版されなかったことが惜しまれます。
※とは、言いながらも、好評ではなかった一面があったことが、うかがえる資料も残されています。トップダウン形式で大々的にはじまったものの・・・という実情もあったかもしれません。

著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

※ eJudoメルマガ版8月10日掲載記事より転載・編集しています。

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