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【連載】eJudoマンガ夜話 第5回 高い画力が”小よく大を制す”ファンタジー支える、女子柔道マンガの最高峰!「YAWARA!」

(2020年7月29日)

※ eJudoメルマガ版7月29日掲載記事より転載・編集しています。
【連載】eJudoマンガ夜話 第5回「YAWARA!」
高い画力が「小よく大を制す」ファンタジー支える、女子柔道マンガの最高峰!
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(C)Naoki Urasawa/小学館

世にあまたある柔道マンガを、「柔道」側からの視点でよもやま語って批評する「eJudoマンガ夜話」。第5回は柔道マンガ史上空前の大ヒット作「YAWARA!」(浦沢直樹/小学館)を取り上げます。アニメ化(最高視聴率は19.7%)に映画化、全国に沸き起こった女子柔道ブームと、一般社会にもっともインパクトを与えた柔道マンガ。この作品なくばそもそも女子柔道競技というジャンルが日本に根付くことはなかったかもしれない、という、柔道史上の大転換点となった作品でもあります。友達も家族も、まわりのみんなが当たり前に「YAWARA!」を読んでいたあの頃を思い出しながら、ぜひ再読の上でお楽しみください。

<<「YAWARA!」 あらすじ>>
「日刊エヴリースポーツ」記者の松田耕作は、ある日ひったくりの現場に遭遇し、犯人を鮮やかに投げ飛ばす女子高生と出会う。その少女の名前は猪熊柔。世界的に有名な柔道家である祖父・猪熊滋悟郎の英才教育を受けた天才柔道家であったが、本人は柔道に興味はなく、試合にも一切出たことがないどころか、柔道をしていることすら周囲に隠していた。この主人公・柔が「普通の女の子になりたい」という思いと、類まれなる柔道の才能の挟間で揺れ動きながら、バルセロナ五輪で2階級を制覇し、国民栄誉賞を授与するまでを描く。連載は小学館「ビッグコミックスピリッツ」にて、1986年から1993年まで。

語り手:東弘太郎 古今の柔道マンガを「やたらに読み込んでいる」柔道マニア。大メジャーはもちろん泡沫連載のギャグマンガや知られざる怪作まであまねく読み込むその熱量は少々異様。その造詣の深さと見識に編集長が惚れ込み、たって登場願った。競技では「三五十五とも粉川巧とも一緒にインターハイ出場」の実績あり。柔道マンガ内ノンフィクションで読んでみたいのは、やはり猪熊滋悟郎の「柔の道は一日にしてならずぢゃ」。柔が五輪連覇を達成したことで、増補改訂版が出たと予想します。もう1冊は西野に負けて虚脱状態になった三五十五に校長先生が渡した明治の文豪・今林誠一郎の日記「闘魂の書物」。三五は最後まで読んだのだろうか?

聞き手:古田英毅 eJudo編集長。自他ともに認める読書家でフィクション好き。ただし柔道マンガに関しても一貫して「いいフィクションは読む」「乗れないものは必ずしも読まない」という姿勢で接してきたため、このジャンルの積み上げは東氏に比べて薄め。まだ見ぬ良き柔道マンガを仕事で読ませてもらえるチャンスと、期待に胸を膨らませている。柔道マンガ内フィクションで紐解きたいのは「JUDOしてっ!」の「柔道娘大手柄」と、「YAWARA!」の「マリリンの大相撲夏場所」。まだVHSデッキが現役なので、後者、行けます。

     *     *     *

古田: ということで第5回で取り上げるのは「YAWARA!」。久々通読しましたけど、やっぱりもう、めちゃくちゃ面白いですね。のっけにまずはその一言を言わなきゃいけない。やっぱり格が違います。

東: あらためて読むと本当にそう思います。単純に楽しめることはもちろん、深く読み込めば読み込むほど作者がそこに込めているものの、…絵もそうですし、ストーリーもそうですし、意図の深さやこだわりに唸らされます。逆に言うと、柔道マンガのカテゴリーで語るのが申し訳ないくらい。一言で言って、古田さん評される通り「別格」ということだと思います。

古田: 柔道マンガという範疇で語るには収まらないくらいにフィクションとして物凄くレベルが高い、エンタテイメント作品として出来が良い。

東: 浦沢直樹さん、これが本格連載2作目なんですよね。

古田: 「パイナップルARMY」の次ということですよね?

東: 次であり、並行なんですよ。「パイナップルARMY」が始まって1年くらいして「YAWARA!」が始まったんです。

古田: 地方の中高生の間でも「パイナップルARMY」はかなり話題になっていて。この人は描ける!と皆が目をつけていたイケてる作家がなんと柔道のマンガ描き始めてくれたという感じでした。テイストの違いに、かなり戸惑ったりもしたものですが。…ではあらためて、「ビッグ5」の一角「YAWARA!」、お願いします。

東: はい。非常にフィクションとしてレベルの高い「YAWARA!」を「柔道マンガ」という目線であらためて読み込む、という趣旨で進めていきます。

古田: 恐れ多いところもあるので、このスタンスをまず確認しておかないとですね(笑)

東: はい。浦沢直樹さんの場合、既にそれぞれの作品に本格的な評論がたくさんありますし、そもそもご本人自身が創作についてこれまで何度もインタビューで濃く語ってきていますので、私たちが取り上げるのであればそういう文脈とはちょっと離れたところで、なるべく「柔道」のほうにフォーカスして喋りたいと思います。

古田: フィクション論ではなく、あくまで「柔道マンガ」評として語る、と。メジャーな作品ですので、今回もeJudoユーザーなら既に読んでいるという前提で進めていきましょう。

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猪熊柔本人は圧倒的な天才で、実質無敵。所謂「上昇装置」も作中では特に描かれない。
(C)Naoki Urasawa/小学館

「巨人の星」のパロディとしてスタート

東: さて。この連載の初回の「ヒット作の条件は」でお話した文脈に即して話しますと。まず最大の特徴は「主人公が天才的に強いが、柔道嫌いである」という設定。浦沢直樹さんはこの作品を「巨人の星」のパロディでありスポ根のパロディと位置付けてスタートさせた、と自ら語っています。そういう意味でいうと、スポ根の定番である「友情・努力・勝利」、つまりは努力して勝利を掴みたいという欲求がまず主人公である猪熊柔にないわけです。練習はするんですけど、それはあくまで幼少の頃から叩き込まれた習慣であって、誰かに勝つために特訓をしたりとか、対策をしたりとか、そういうスポ根の定番の行動律は、主人公の柔にはないんですね。

古田: ということは、この連載で常にチェックするところの「上昇装置」すら、

東: ない。あるいは「わからない」んですね。とにかく天才で圧倒的に強くて、柔道に関しては普通の練習を積みさえすれば勝ててしまう。そういう意味ではまさに「スポ根」の枠組みから外れているマンガですよね。

古田: 浦沢さんは、長期・中期・短期、さらにいまこの瞬間次のコマ、というようにいま読者の興味を掻き立てる対象、「願望のシナリオ」を常にたくさんのスパンで用意し続けてコントロールし続けていまけど、そこに「柔がどうやって強くなるか」というのはないわけですね。

東: そうです。本作での興味は「柔がどう強くなるか」ではなく、途中からは完全に、柔がどう柔道に前向きに向き合うかということになっています。

古田: 柔が柔道に戻ってくれるかどうかとか、戻すスイッチはなにかという瞬間的な興味はある。で、その先に「一本」というカタルシスがあるのを潜在的に僕ら読者は知っていて、どうそこに辿り着くのかという欲望でもってページを繰るという格好になっていますね。

東: 作品としてはもう1つラブコメディという要素がありますから、恋愛のほうがどう成就するかというのがカギになっていきますね。

古田: 幼少の頃から肉親に物凄い特訓を受けていて、もはや世の一般では計り知れないレベルにあるけどそれは隠している、というところまでではまったく星飛雄馬と同じなんですけどね。なるほど、父親が他チームの指導者になるところまで「巨人の星」と同じなわけか。すると本阿弥財団は中日ドラゴンズか(笑)。内包している要素は同じ王道だけど、描き方が違う。作品のスタンスとしてそこは見せないという格好ですね。

東: そうです。指向性としては真逆です。本人は別に柔道で頂点を極めたいとも思っていない。

古田: 逆側に振って作った、と言われると理屈ではわかりますけど、実際問題、これを週刊連載の晴れ舞台でやるのはかなりの思い切りですね。

東: この資料(「浦沢直樹 描いて描いて描きまくる」を取り出す)を読んでいて。極めて面白いなと思ったのは、浦沢直樹さんは「本質的に、人の成長なんか描いて面白いのか?」と発言しているんですね。どちらかというと「相変わらずしょうがねえな、こいつら」というのを描いているほうが楽しいと。で、そういう意味では、「YAWARA!」に出てくる富士子さんも花園君も、成長はしているしそういう意味での変化はあるんですけど、本質は変わらないわけですよね。武蔵山高校の面々もそうですし、風祭さんやさやかさんも終始一貫して、本質は変わらない。そういうところも含めて、浦沢直樹さんのやりたいことというのがちゃんと詰まっている、色々なところにそれが現れている作品であると思います。

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柔に人生を変えられた大財閥のご令嬢・本阿弥さやか。作品中では常に修行と特訓を繰り返すことに。
(C)Naoki Urasawa/小学館

「圧倒的天才と振り回される凡人」という構図、スポ根要素は「外注」

東: さて、この「強くならない主人公」である猪熊柔をどう考えるか。ここまで扱った柔道マンガで言うと、「からん」の高瀬雅も強くならない。高瀬の場合は非常に自覚的なファシリテーターですが、猪熊柔は、本人にそのつもりがないまま無自覚にファシリテーターの役割を担っているという感じがありますね。本人としてはまったく意識していないんですけど、圧倒的な強さと天才性ゆえにまわりが勝手に巻き込まれて、結果としてその人たちの変化を促してしまう。

古田: 武蔵山高校の柔道部とか、三葉女子大の仲間たちとか、本阿弥さやかさんとか。一貫して、猪熊柔がいることで大きく回りが変わっていくという構図ですね。

東: 意識的に周りに働きかけて変化させようとしているのが高瀬、一方、柔の場合はもう、技が素晴らしすぎるとか圧倒的に強いということで、相手に感動を与えてしまう。受け止める側が勝手に受け止めてしまうわけです。それで一番人生を変えられてしまったのが、ライバルである本阿弥さやかと、

古田: 友人の伊東富士子さんですね。

東: そう。この2人ですね。柔は、富士子さんにはともかく、本阿弥さやかのほうには何とも思っていないんですけど、さやかさんの方が勝手に柔をライバル視して、彼女のほうがスポ根の定番である、主人公がやるべき特訓をやり続ける。もう作品中ずっと修行しているわけです。

古田: この作品で一番練習しているのは、間違いなくさやかさんですよね。

東: 本来は主人公がやることなんですけど、主人公ではなくてライバルがやっているわけです。富士子さんも一緒で、本人がバレエを挫折したという来歴もあって、自分の情熱をこの人なら実現してくれると柔に期待して思い入れる。最初はあくまで応援するというスタンスだったところが、柔を柔道に戻すために自分も始めて、最終的にはその道で、当初はまったく考えてもみなかったオリンピアンという高みまで辿り着いてしまうわけです。そういう形で、構造としていわゆる王道のスポ根もののすべて逆をやる。これは浦沢直樹さん本人が、意図的にそうしていると語っています。

古田: 芯のところでクラシカルな線は外していないんですけどね。柔道マンガ史の流れ、スポ根ものがあって、その後ゲームチェンジャーとして「あるある」の部活動ものの「柔道部物語」が出てきて、という流れで見ると、小よく大を制すというクラシカルなファンタジーを見せる、という王道の魅力がある作品でもあるわけです。つまりは芯は外さず、見せ方をひっくり返したということですね。

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旧来型の主人公が為すべきことを次々周囲に託す形となった結果、中盤以降は圧倒的に「悲しい顔」が増える。
(C)Naoki Urasawa/小学館

東: そういう意味では、先ほど「強くならない主人公」と言いましたが、実は強く「なろうとすらしない」主人公なんです。

古田: まさにアンチテーゼ。

東: はい。スポ根のアンチテーゼというスタートですね。そしてこの構図の中で柔が、後半にいけばいくほど目立たなくなるというところがあります。スタートの時点では普通にミーハーな女子高生であったり、コケティッシュな魅力があるわけなんですけど。

古田: 普通の女の子である、という記号を纏わせるために、そういう部分を頑張って尖らせようとしている印象がありました。

東: 途中からはひたすらある意味「耐える人」。

古田: 「耐える人」。なるほど。

東: お父さんが見つからないことに対しての困惑であったり、恋愛がうまくいかないことや就職活動に対する戸惑い。圧倒的に、ちょっと困ったり、悲しい顔をしている場面が増えます。

古田: ふと再読するとどうしても中盤以降を手に取ることが多くなるので、こうして頭から通読すると「こんな子だったっけ?」と初期のキャラクター設定に戸惑うことがあります。

東: そうですね。特に社会人になってからは初期のキャピキャピしたりコケティッシュな魅力もあるという面がそぎ落とされて、常に「薄幸な運命に耐える」感じのキャラになっていますね。

古田: 実は主人公っぽくないんですよね。

東: その源泉が何かというと、この人は柔道に関しては圧倒的に天才なんですよね。でも本人はそこに無自覚で、プラス、無価値だと思っているんですよね。

古田: 無価値。なるほど。

東: 自分があまり価値をおいていないところでなんだか物凄く評価されてしまって、でも、私が本当に求めているものってそこではないんだよな、という戸惑いを抱えている。女子78kg級の濱田尚里選手が寝技で勝って賞賛されてもあまり嬉しそうでないのと同じですね(笑)。本当は投げて勝ちたいのにと、周囲の評価と自分の志向の違いに戸惑う。唯一柔道に関してこの人が楽しいなと思えるのは、自分が本気を出せる、天才性を発揮できる強敵と会ったときにだけスイッチが入るという。

古田: 本阿弥さやかが強くなった物語の最終盤、初めてスイッチを「入れてあげる」様は、さやかさんが強くなった証明として説得力がありました。

東: 作中でもずっと語られているんですけど、本質的には、誰も柔の悩みは理解できないんです。そういう意味では孤独なキャラクターなんですね。

古田: 悲しい顔が増えるのもむべなるかな。

東: この「悲しい顔が増える」…、孤独であったり、従来の主人公像と違う「耐える」キャラクターであることには、自分ではなく周囲を変えていくという物語の構図がかなり影響していると思います。つまり、従来のスポ根の物語づくりや主人公像、いい柔道マンガのなりたちに必要な要素を周囲に仮託していく形が、この造型に繋がっているとみることができるんですね。

古田: なるほど。これは鋭い。当初のキャラクター像と変わって、柔道では天才少女だけど他の部分ではちょっとか弱い女の子だ、という方向の造型に落ち着いていくのは、他の要素がそぎ落とされて、その部分に収斂していったと捉えられるわけか。

東: 柔本人にあまり主張させないぶん、脇のキャラクター、ライバルのさやかであったり友人の伊東富士子であったり、彼女らに本来主人公がやるべきことを振り分けているんです。古田さんが以前仰った、旧来のスポ根マンガで得ていたカタルシスはそういうところに振っているわけです。

古田: 柔はスポ根ものの主人公ではまったくないんだけど、「YAWARA!」という作品全体としては「スポ根」から得られるものはすべて得ていると。

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バレリーナを目指していた伊東富士子。本作ではMVP級の活躍。
(C)Naoki Urasawa/小学館

東: たとえば本阿弥さやかが山籠もりをして、特訓をして、で、挙句掴んできたのが「黄金の左」という。

古田: まさに旧来のスポ根主人公だ(笑)

東: しかも、それを、待って、待って、この一瞬こそはというタイミングで出す。ところがあっさり天才に切り返されてしまうという(笑)。また、このあるべき役割の分担という文脈で外せないのはやっぱり伊東富士子さん。本作ではMVP級の活躍です。

古田: 彼女を主役に作品が成立する勢いですよね。

東: はい。富士子さんに仮託したものでいうと、やっぱり柔道を始めるきっかけ、豪快な美しい「一本」に人生を変えられるという経験、それから技を習得していく喜び。さらに、猪熊柔本人は本質的に強すぎる人なので、試合で負けることもほぼほぼないわけなんですけど、伊東富士子のほうは初心者スタートなので足りないものがいっぱいあって、ゆえに試合の中での凸凹も描けるわけです。このあたりが、我々柔道人がビビっと来るというか、惹かれる要素をちゃんと押さえているんですよね。

古田: 東さんがのっけの「ヒット作の条件は?」で仰った、柔道のカタルシスは「一本」にあり、「YAWARA!」という作品はこれをしっかり踏まえているので、決めるべきところでは躊躇なくスパスパ秒殺「一本」を決めるという指摘がありましたね。柔がこの「カタルシス」を与えてくれる一方、そしてあまりの強さゆえに負けるという描写も許されないため、僕たち柔道人が柔道フィクションに求める「過程の面白さ」は、周りの人物たちに担わせていると。これはまさに納得です。

東: また、富士子さんに関しては素質、上昇装置と、設定が本当に上手なんですよね。まずバレエをやっていたという素質部分の設定が秀逸。

古田: 世の捉え方は「芸術」なんですけど、バレエダンサーは紛れもないフィジカルエリートですからね。肉体として要求されるレベルが桁違いですから。体幹、バネ、重心、柔軟性、身体把握能力。

東: そうなんです。俗にいう「バレリーナとはケンカするな」ですね。

古田: ?浅学で恥ずかしいのですが、そんな言葉があるんですか?

東: 大山倍達さんが「アメリカに『バレリーナと喧嘩するな』ということわざがある。」と仰っていたそうです。リズム感覚に優れ、体が柔らかくバネが発達していて、スピードがあり、瞬間的な判断力に長けている。だからバレリーナが喧嘩すると天下一品だ、と。

古田: なんと大山倍達!(笑)。いいなあー。そこで喧嘩が基準なのも、「時代」と「極真」が匂うなあ。

東: 浦沢直樹さんが大山倍達さんを知っていたかどうかはともかく(笑)。バレエダンサーは体全体がバネですからね。リフトもあるから、そういう意味での腕力もある。バランスもいい。ちょっと殴ったり蹴ったりの技術を覚えれば相当喧嘩は強いだろうなと、納得させられるものがあります。

古田: こうした素質に加え、挫折経験。そして道具立ては「血染めのトゥシューズ」。さらに猪熊滋悟郎と柔という名伯楽の指導を受けてと。

東: 極めて、スポ根パロディですね(笑)

古田: 彼女の存在によって団体戦、そして「女子の友情」という、マスなファンに共感されるファクターを入れられたのも大きかったですよね。アニメが放送されてから思ったのは、まさに、たとえば母親世代の柔道をしていない女性も含めて、マスが共感出来る要素がてんこもりなんですよね。メジャー要素満載の作品だったんだなとあらためて気づかされました。…「女子の友情」を正面から描く作品って少ないじゃないですか。私、この文脈だと映画版の「トットチャンネル」が好きなんですが、ああいう感じで、素直に女子の友情っていいなと思える。アニメ放送が始まったら、柔道にさして興味のない母親が下宿に電話してきて「富士子さんの内股、凄かったわねえ」とか言うんですよ。こりゃ凄いなと思いました。

東: うちもあの時間帯は、きょうだいで見ていたな。

古田: 彼女は恋愛という要素も担っていますよね。

東: それも、「成就する恋愛」ですからね。柔道漫画でありながらラブコメディであるというこの作品の要素からすると、柔本人の恋愛の成就はどうしても最後になるわけですよね。

古田: この構図を採る以上、主人公であれば当然ですね。

東: そうなると、そういう展開は脇に負わせるしかない。富士子さんは本当に上手く機能したなと思います。

古田: 主人公の恋愛は「どうせまだまだ成就しないんでしょ」という読者の無意識的な予見に抗えないところがある。本命との恋愛成就を読者に期待させながら、同時に強くストレスを与える構図になっているわけです。それでも瞬発力を持たせるために、さやかさんと風祭さんがいたり、

東: 邦ちゃんもそうですよね。

古田: 彼女が物語の一線に再浮上してくるタイミングなんかは、いずれも真骨頂ですよね。ユーゴスラビア世界選手権のあたりとか、話が落ち着きつつあるところ、出来あがりつつある関係性に安閑とせず、常に物語の土台を揺らしていく。…まあ、そうは言ってもまだ成就「しない」のを読者が知っている中で、周囲にそれを負わせていき、もっとも近い距離にいる富士子さんの恋愛は成就してしまう。上手いですよ。

東: 富士子さんに関しては、これも浦沢直樹さんが意図的に仕掛けたそうなんですけど、出産して、ママさんアスリートとして復帰する展開まであるわけです。当時、ママさんアスリートはほとんどいなかったですからね。

古田: 富士子さんが妊娠していると聞きつけて猪熊邸の前に集まったマスコミの振る舞いに、時代を感じました(笑)

東: もう、酷いこと言ってますからね、あいつら。今だったら絶対に許されない(笑)

古田: 柔道マンガとしての「柔道との出会いと上昇」を担い、スポ根要素の挫折や特訓も引き受け、ラブコメディ文脈では恋愛の成就を担当し、共感要素としての団体戦や「女子の友情」を背負い、なおかつ社会と時代を先取りする「ママさんアスリート」の役割も務めた。あらためて、MVPは富士子さんですなあ。

東: 初期の猪熊柔と、その後周囲に役割を託してキャラクターが変化していくというところに少しだけ話を戻したいんですが。…変な話をしてしまうのですが、この作品、連載スタートから7話連続で「パンチラ」があるんですね。

古田: 先ほどの「柔ってこんなキャラクターだっけ?」同様、久々通読すると戸惑うポイントですね。あれ、こんな線のマンガだったっけ?と。

東: これはなんなんだろう、と思っていたんですけど。資料を読み込んでいたら、浦沢直樹さんは野部利雄さんのところでアシスタントを1年くらいやっていたことがあるそうなんです。

古田: (爆笑)「弥生の大空」メソッドだったか!

東: 時系列的にも、「弥生の大空」のほうが先に始まっていますしね。

古田: メジャーになりうる要素が、質、量、方向とてんこ盛りで揃った作品ですが、初期にはそれにセクシャルなものも持ちこもうとしてみたということですね。

東: 方向性を定める中で、スタート時点では仕方がなかったのかもしれません。

古田: 中途でこれは必要ないと踏んだ。

東: セクシャルな要素がなくなっていったのは、アニメ化されたことも大きいと思います。19時半からのアニメですから、家族でみんなで見られるものという枷が掛かっていったのではないかと。これはご本人からも言及があってですね。アニメ放送しているときに小学生の女の子からファンレターが来て、原作を読んだら風祭さんのベッドシーンがありました、浦沢さんのマンガにこういう場面が出てくるとは思わなかった、とてもがっかりした、と。浦沢直樹さんは、自分は小学生のために描いているわけじゃない、だったらそうでないところに行けばいい、と。これが次回作の「HAPPY!」の出だしに繋がったりするわけですね。1話目からソープランドが出てきますから。

古田: そういうことだったのか!

東: さっそく、よみうりテレビの方から「アニメ化出来ないじゃないか」と電話が掛かってきたそうですよ(笑)。本人的には「MONSTER」以降が自分の描きたかったものだそうです。

古田: 「YAWARA!」の次に「HAPPY!」なのに。

東: あれは完全に意に沿わないもので。編集者から「YAWARA!」みたいなものを描いてくれと言われて。本人はミステリーをやりたかった。スティーブン・キングが流行っていたころでもあり、そういうものをやりたかったと。で、今度は「YAWARA!」の構図をすべて裏返すという描き方をしたんですね。

古田: クリエイターというのは、業の深い生業ですね。

東: 浦沢さんは本質的にマンガに求めるものが高いんですよね。常に未開の地を自分が切り開いていかねばならない、そうでなければ面白くないし、長期連載なんか続けられないと明確に語っています。

古田: セクシャルな要素で言いますと、一枚フィルターを噛ませたコメディファクターとしてではありますが、途中からマリリンこと小田真理が出てきます。出演作の中では「マリリンの大相撲夏場所」が観たいなと思いました(笑)

東: ものすごい多作ですよね、短い間に(笑)。ご指摘の通り、途中から、ああいうお色気路線は全部マリリンに託した格好になりましたね。ある意味外注路線と言えるかもしれない。

古田: これぞスポ根という特訓はさやかさんと富士子さん、ジャンルとの出会いと上昇、恋愛の成就は富士子さん、お色気はマリリン、ですね(笑)。猪熊柔には突き詰めたい要素だけを残した感じ。外注システムの採用によってヒロインとしての聖性を保った感じすらあります。

東: まさに。猪熊柔は聖女というか、なんの汚れもない存在になっていった形ですね。

古田: スピリッツは少年誌ではないですから、描くべき場面を描くという手もあったわけですが、敢えてそうしなかった。負けることのない強い主人公像、侵されることのないヒロイン像、クラシカルな紅一点主義を外注システムによって貫けた。聖性を保ったまま主人公として書ききった、と。

東: 最終的にそう収まりましたね。

古田: それが東さんご指摘の「悲しい顔が増えている」「耐えるヒロイン」という像に繋がるわけですね。なるほど、のっけにこれを読み解きの鍵として提示くださったこと、納得です。

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48kg級が超級を投げる。このおとぎ話に説得力を持たせるのは、圧倒的な画力の高さ。
(C)Naoki Urasawa/小学館

圧倒的な画力がファンタジーを支える

東: 次は、画力についてですね。世にあまたある「YAWARA!」批評の中でも、柔道的な画力について書いたものはほとんどないと思いますので。

古田: 今回の山場になりそうですね。

東; 柔道フィクションのオリジンである「姿三四郎」は小説ですが、作者の冨田常男本人が柔道経験者ということもあって、技の説明を読めば柔道関係者ならどういう理屈で投げているかはちゃんとわかるようになっているんですね。それがある時期から、例えば「柔道一直線」に代表されるように、必殺技の名前の語感とビューンと飛んでいく絵に収斂してしまうようになる。

古田: ウーム。歌舞伎ですな。

東: で、浦沢直樹さんはやっぱりそういうことはしないと。見てきちんと納得してもらえるものを描きたいという姿勢で一貫している。「柔道部物語」の小林まことさんとの違いは、ご本人が柔道をしていないこと。にも関わらずあれだけ描けるんです。

古田: むしろ、半端にやっていたという作家さんに比べて、「これないでしょ?」と冷めてしまうようなディティールは、ほぼまったくないですよ。

東: 単純に言うと、48kg級の猪熊柔が無差別の相手をボンボン投げるというのは現実にはありえないファンタジーなわけです。そこの一点に置いて、そんなのリアルじゃねえよと敬遠しちゃう柔道人もあの時期私の周りにいたんですけど。

古田: えー!本当ですか!?勿体ない!こんなにスコアの高いフィクションを。ちょっとそれは読書リテラシーが低いというか、エンタテインメントへの感度を疑ってしまうなあ。

東: 「あるある」で勝負出来て共感しやすい「柔道部物語」が同時代にあったということは割り引く必要があると思いますけどね。

古田: 私ははっきりディティールには厳しいほうで、コレジャナイ柔道描写にはすぐ冷めてしまうんですけど、「YAWARA!」には一切そういうことはないですよ。現実にはない大会があるとか多少ストーリー上の現実乖離があっても、総体としてのフィクションとしての出来が良すぎるので、「これで成立して欲しい」「先を読みたい」という読者としての欲求が細かい突っ込みを遥かに超えます。増して、絵に違和感を感じたことはないなあ。

東: 確かに古田さんが仰る通り、フィクションとしての出来が高い、そのわくわく感があるからファンタジーを受け入れられるというところはあります。ただ、もう1つ。それを超える要素として、圧倒的に画力が高いということを挙げたいんです。48kg級が超級を投げるというファンタジーが不自然に見えない絵なんですよ

古田: なるほど!

東: ご本人もインタビューで語っておられるんですけど、そこをマンガ的に強調しすぎず、48kg級が超級を投げても納得できる絵というのを目指したと。

古田: 藤堂さんを大内刈で真裏に投げる絵とか?

東: あれも見事でしたが、一番端的にいうとやっぱり一本背負投ですよね。相手の懐に飛び込んで投げるというところ。その絵の説得力の高さですよね。相手がいかに崩されて、そこに柔がこのタイミングで入って、とほぼすべてまったく無理がないんですよね。ファンタジーなのに荒唐無稽に見えない。

古田: 絵の説得力か。なるほど!

東: 「大樹の道」(かざま鋭二)であったり「走れ!!天馬」(吉田聡)であったり、他のジャンルできちんと高い評価を受けて実績のある作家さんが柔道に参入してきたときに、これまで話してきたいい柔道マンガの条件とは逆のパターンで、柔道の畳以外の部分は魅力的に描けているのに、肝心の柔道の描写が「乗れない」ことがままあります。それは体重の移動であったりとか、無理のない崩しであるとか、柔道の技の具体的なキモがやっぱり描けていないんですよね。

古田: 読み手の僕がビジュアル認識能力が低い人間というのもあるのでしょうけど、「YAWARA!」の柔道描写はあまりに上手で無理がなく、逆にそこを言語化して気づけないくらいしっかり描けていたということだといま肚落ちしました。凄く上手いなとは思っていましたけど、荒唐無稽を成立させてしまう装置として「絵」の説得力が極めて大きい、というところに思い至りませんでした。この高い画力がなければ、「YAWARA!」はまったくもって成立しない。…私はもと怪獣映画マニアなんですが、あのジャンルでは特撮のレベルが高くて説得力が追いつく限りは、広げる風呂敷は大きければ大きいほど面白いわけです。説得力のある絵が作れるかどうかと、創り得るファンタジーのジャンプ力の高さが直結しているジャンルなんですね。その方向から考えると、「YAWARA!」で起きている現象はまさに納得です。…画力というリアリズムを手立てとして、普通であれば手の届かないファンタジー世界を成立させてしまうという文脈でいえば、実は「YAWARA!」も、たとえば「PLUTO」と同根なのかもしれないな。

東: 小林まことさんや河合克敏さんは実際に柔道をやっていた方だから、勘どころがわかるじゃないですか。この技でこう決めるためにはこの崩しが必要だとか、理屈が体に入っている。浦沢直樹さんが凄いのは、ご自身がやったことがないのに、玄人筋、柔道に愛がある人間から見てもちゃんと納得してもらえるものを描かなければダメだというプロ意識でもって、実際にその高さまで表現を突き詰めていったことですね。凄みを感じます。

古田: ものすごく端的に言って、やってない人が描いた絵とは到底思えないですよ。

東: このあたり、連載初期の1991年に、斉藤仁さんとの対談で話しているんですよ。「近代柔道」誌の「一本お願いシマッス!」の枠で。

古田: 懐かしい!(笑)

東: その時一番苦労したと語っているのが、やはり、いかにリアルな感覚を表現するかだと。どういう体勢のときに重心がどこに掛かるか、どういう技を掛けるのかが実感としてなかなか掴めないと。これはその通りだと思うんです。やっていないんだから。で、どうしたかと言うと、まず教本の写真を手本にしたと。教本は基本解説だから、投げ終わった後も、投げた方がしっかり立っている。で、最初は浦沢さんも、投げた方が平然と立っているほうが漫画の読者にもわかりやすいだろうと思った、と。

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連載初期は、自らは立ったまま投げ終わる教本通りの形が多かった。
(C)Naoki Urasawa/小学館

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それでも第1話からなんと「水信肩車」を披露。貪欲な取材姿勢が垣間見える。
(C)Naoki Urasawa/小学館

古田: 確かに、初期の柔の投げは残身がしっかりしているものが多かったですね。話の展開的に実力差のある相手が多かったというのはあるんですけど。

東: そうなんです。それは感覚として決して間違っていなかったし、話の展開にもピタッと嵌っていたんです。で、インタビューではこう話しているんですけど、・・・でも第1話から「近代柔道」の技術連載とかは利用していて。

古田: あ!肩車。

東: そう。新潟の水信健さんの肩車ですね。

古田: のっけから「水信肩車」。大技使うなあ。

東: あれを路上で披露する。柔道マニア的に言うと、相当の筋力がないとできないぞというところなんですが(笑)。

古田: こんなんで投げたら相手死んじゃいますよ(笑)。

東: まあ、平たく受け取ると、幼少の頃からこんなレベルの技まで叩き込まれているんだぞ、とそういう設定が見える表現になっているわけです。

古田: 東さん、かなり寛容な受け止め方ですね(笑)

東: (笑)。まあ、今回読み返してみて受けた印象ですね。本質的なところでいうと、浦沢さんは「パイナップルARMY」の連載当初のファンレターで「銃に愛情がない」とか「手榴弾が爆発するメカニズムがわかっていない」とか指摘されたことがあったそうです。それで、やっぱり、自分はまったく銃や武器に愛情はないけど、愛情を持っている人が読んだら興ざめさせてしまうんだと。全てに精通した状態でいられる努力をしてキチンと描いていかねば読者は離れていくんだな、と。…凄いプロ意識ですよね。

古田: 凄い。もう、永島慎二(※「柔道一直線」を作画、中途で降板)に聞かせてやりたい。

東: ほんとです(笑)。「柔道一直線」の、単に調べりゃ描けるでしょというところまで流して描いているあのいい加減さとは対照的で。そういうところもスポ根マンガへのアンチテーゼなのかもしれないですね(笑)。終始そういう真摯な態度で週刊連載をこなしていった。目の前の仕事に対して誠実に全力を尽くすということを、物凄い打席数の多さでこなしていったということですね。

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伊東富士子の得意技、「白鳥の湖」こと大内刈。
(C)Naoki Urasawa/小学館

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富士子さんの大内刈は常に芯を食い、深くエネルギーをぶつけている。コツの掴みようが半端ではない。
(C)Naoki Urasawa/小学館

浦沢直樹の描く投技は「芯を食う」

東: 浦沢さんの絵で特に上手いなあと思うのは、伊東富士子の大内刈ですよね。柔の一番の決め技である一本背負投を推す人が多いんですけど、あの大内刈はなかなか描けない。

古田: まさしくですね。ガッチリ芯を食っている。技のキモがわかっている絵ですよ。

東: 実は大内刈で上手い絵を描く人ってあんまりいないんですよ。投げとしては大きくないじゃないですか。背負投みたいに円を描いてボーンと飛ぶわけじゃないので、絵としては地味になりがち。では大内刈の一番のポイントは何かというと、相手の懐にボンと入ってエネルギーをぶつけるところ。それこそ、柘植俊一さんが昔「匕首を持って飛び込む」と表現していたような。

古田: 匕首を持って鳩尾を抉るという表現、ある世代以上の人は結構使うんですよね。私もそう教えられました。今も私、初心者にはまず低く抱き着いて相手の重心を捕まえてエネルギーをぶつける練習をさせたりします。…この技、柔道やっていない人はどうしても「刈ること」にフォーカスしてしまって、技の芯を外しちゃうんですよね。刈るのも大事だけど、まずその技のホネを覚えないと。

東: そしてこの技、手足が長くて、バレエ出身の伊東富士子の特徴に実に合っています。

古田: 本当にそう。‥‥ちなみに、長年全日本選手権のプログラムの編集をされていて、eJudoの「全日本選手権予想座談会」のレギュラーでもある林毅さん、「YAWARA!」には結構力を貸していたそうなんですよ。

東: あっ!そうなんですか!誰かしら優れたブレインがいるんだろうなと思っていましたが。

古田: 林さんが「近代柔道」編集部にいたころ、浦沢さんの担当の編集さんから度々相談を受けていたそうです。どういう展開にして勝たせたら納得できるか、とか試合展開上のアドバイスが多かったそうですが、伊東富士子の大内刈は過去の写真をたくさんピックアップして、説得力があるこれぞの絵を選んでファックスで送ってあげていたそうです。

東: これは納得だなあ。

古田: 浦沢直樹の絵が芯を食っている、というところで私的体験をお話させて頂きますと。教え子の小学生の女の子たちの大内刈が突然打ち揃って良くなって、遠間から実に鋭く飛び込んで投げることが頻発したことがあるんですよ。まだちゃんと教えていないはずの内股まで掛けて、しかもしっかり投げ切る。聞くと、首をかしげながら、みんなで「YAWARA!」を読んだんだからかなあ、と。

東: なるほど!

古田: 読んで柔道始めたくなる率ナンバーワンマンガが「帯をギュッとね!」だとすると、読んで投げが掴めるマンガナンバーワンは実はこの「YAWARA!」かもしれません。

東: そう思います。…そこに「白鳥の湖」であったり「くるみ割り人形」であったりと、従来の必殺技テイストが加味されているのも嬉しいですよね。

古田: リアルな納得感と、スポ根的必殺技属性の両立(笑)。要素の詰まった技ですね。…こういった芯の食いっぷりも見事ですが、浦沢直樹さんの投技で、お、と思うのは、技の入り、崩した時点でどのグレードの決まり方をするかパッと伝わること。地味ながら「効果」「有効」「技有」それぞれが決まる絵が実に適切であるということも言っておきたい。

東: あ、それは本当にそうなんですよ。

古田: 河合克敏さんの「帯をギュッとね!」の序盤なんかはちょっと戸惑っているところが見受けられて。「手を1回着かせる」ことで保険を掛けてる場面がよくあるんですけど、浦沢さんはそこはスコっと納得出来る絵を描いてくれていますね。回転の高さとか落ち方はもちろん、入ったときに「一本」が想起されるかどうか、崩しと掛けのところからちゃんと、次のあるべき絵が想像される絵が出来ている。…これに絡めてなんですが、絵だけでなく、「掛かるポイントがある」ことを伝える演出が鋭い。解説の山下さんや犀藤さん、猪熊滋虎郎だけが「お、これは掛かりますよ」と同時に身を乗り出すところとか、猪熊柔本人と滋虎郎さんだけが「いまだ」とわかっちゃうところとか。私たち取材をしている立場の人間からすると、その瞬間分かる人だけが分かるというのは非常に実際の柔道の皮膚感覚に近いし、柔道を知らない人にも「何かそういう、専門家にしかわからない大事なポイントがある」「それが柔にはわかるんだ」ということが伝わると思うんですよね。これは決まるな、というガイドをミニマムに、それも私たち柔道人が納得できる形で、柔道を知らないマスな読者向けにやってくれている。

東: それ、実は浦沢さんやっぱりインタビューで喋っていて。

古田: おお!

東: 読みます。…「『YAWARA!』の取材で行った柔道の体重別選手権とかVTRに録ってあるんだけど、審判席のはじっこで試合を見ながらずーっと取材をしている自分が映っているのね。こうやってこうやってこう、あ、この瞬間か、とぶつぶつ言いながら。だから僕もう、強いと思ってたもん。こうやった瞬間にこうだな、絶対に倒せるなと思ってたもんね」と。だから相当やっぱり、視覚の認識力が高いんですよね。

古田: なるほど。

東: 子どものときにアニメの「巨人の星」を見ていると、作画チームが分かってしまったそうなんですね。(※註 『クイック・ジャパンvol.81』 2008年12月22日発行「絵に関しては子供の頃から異常に敏感だったし。例えば小学生のとき、アニメの『巨人の星』を見てると、4、5チームで作画しているのが分かっちゃうんですよ。それで、「ローテーション的に考えると来週はあのチームが作画だな。来週は良い場面だけどあのチームで大丈夫かな?」とか心配するような、イヤな子供だった(笑)。」)本人が色々なインタビューで語っているんですけど、画像の認識力が異常に高い。資質なのか、訓練なのか。まあ、我々が「巨人の星」見ていても、絶対そこまではわからないじゃないですか。

古田: ちょっと無理ですね。…試合を大量に見せると、柔道わからない人でも勘の良い方は「いま、いま!」と言うようになる。説明させると理由は明確じゃなかったりするし、もちろん言語化出来てはいないんですが、なんとなくわかるようにはなる。浦沢さんはそれをきちんと像として残してアウトプット出来る人なんでしょうね。

東: 本人もそこには自信を持っているようです。

古田: 「いま掛かるぞ!」ということでは、昨年世界選手権の解説でご一緒した小野卓志さんが凄かった。私も僭越ながら相当試合の数を見ているんですけど、小野さんが「次は小内刈で投げます」と言うと3秒後に決まる、というようなことが続くのには感嘆しました。一流にしか見えない世界があるんだな、と。つまり一連の場面はその一流にしか見えない世界があるというのを表現として見せてくれているんですよね、ずいぶんこなれた、優れた演出ですよ。その「お!」という場面を、優れた画像認識能力と高い画力でもって、一般の人にもわかる形にディフォルメして提示してくれるわけだから、うちの教え子たちが突然技が上手くなるわけですなあ。

東: そういうことですね。

古田: すごいトランスレ―ターですよ。

東: 浦沢さん、中学校では陸上部だったんですよね。凄くきつい練習をして、物凄く走っていたらしいんですけど、その中でマンガも描き続けていた。で、基本的に肉体への信仰があるんですよ。えーと、自ら語ったセリフとしては「ニューアカデミズムやら後のオタク文化に対して、陸上部の走り込みと腕立てで鍛えてきた人間としては、体を動かして汗水流さない頭でっかちの文化はダメだという思いが、確かにずっと強くあります。以前より今の方が強いかもしれない。」(『クイック・ジャパンvol.81』より引用)…で、肉体への信仰が凄く強い。今でも手書きで作画していたりして。だから、その肉体への信仰がスポーツを描くときの身体性の高さと結びついているのかなとは思います。

古田: 画像認識力の高さだけでは、こうやって技の芯を食うところまでは辿り着けない気がしますからね。そういう人だから私たちにアピールしたのかもしれないですね。

東: 技の画力でいうともう1つ、巴投をキーポイントにしているところも上手ですよね。5歳でお父さんを投げるというときに、背負投や一本背負投だと不自然なんですよね。巴投ならまだしも、そのタイミングに天才性を感じるというような解釈が出来ますから。

古田: まあ、当初回想シーンに出てきた絵は柔がこんなん(片手を上げる)して立っていて、巴投の残身っぽくはないんですけど、後からちゃんと「巴投であった」ということで決着をつけてくれましたよね。投げた後に立ち上がったところなんだろうな、と後付けで脳内修正出来る(笑)。

東: 実は一番最初に柔が技を披露するのも巴投なんですね。で、さやかさんとの最終決戦では、それが決め技に繋がっていくという。まあ、ああいうところも、当初の時点でどこまで計算していたかはあるんですけど、非常に上手だと思います。

古田: 描くものが面白いから情報も人もブレインも集まり、自らも成長出来るという好循環が生んだ、化学反応だと思います。技の選択の上手さでいうと、伊東富士子の大内刈と通じるものがありますね。

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最終決戦にジョディが用意した必殺技は移腰。チョイス自体にセンスが溢れる。
(C)Naoki Urasawa/小学館

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三葉女子大の白帯たちが決める投技にも注目。体重36kgの日陰今日子が決める出足払、絵の説得力半端なし。
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東: 技の選択。最後のバルセロナ、テレシコワの柔対策は裏投なんですが、ジョディは移腰なんですよね。

古田: あの技の選択は良かった!

東: チョイス自体にセンスを感じます。

古田: ジョディらしい体格を生かし、一般的すぎる王道技でなく、しかも奇襲技でなく、真っ向から破壊する技。陳腐さがない。…やっぱりよほどいいブレインがいたんだろうなと思ってしまいます。

東: ジョディがカナダ出身ということで、

古田: あっ!なるほど、そこかっ!

東: プラス、志道館の中村(浩之)先生が教えた技なのではなかろうかと妄想してしまうわけです(笑)

古田: 正しい!妄想として正しいですよ。カナダ勢が強いという作中世界には中村先生の影響を思い浮かべないではありませんでしたが(笑)

東: 本阿弥さやかとの最終戦はじめ、寝技も頑張って描いている。(頁を広げて)岡野功先生の「ねずみ取り」まで披露しています。

古田: 技の絵の上手さでは、三葉女子大のチームメイトたちの技にも注目してもらいたい。促成栽培の初心者でもこの位置、この技なら投げられるよという絵に仕上がっているんですよね。キョンキョンの決めた出足払が片手外れているのなんかかなりいいです。私たち柔道人の視点から見ても、いちいち「弾みで獲った」「タイミングで投げた」ことがちゃんと伝わるんですよね。柔道始めて1ヶ月の素人集団が筑波大がモデルのチーム(筑紫大)のレギュラーを投げるというのは、ある意味、48kg級の天才が無差別を投げる以上のファンタジーですから、これも画力が高いがゆえに描くことを許されたおとぎ話ですよね。

東: 確かにそう思います。

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海外選手の描き分けの心得ぶりは、柔道ファンにはたまらない。
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東氏イチ押し、1試合だけ登場するアノーの造型は見事。
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古田: 画力ということでは、海外選手の造型もかなり「わかってる」。

東: いいですね!

古田: 決して毎回個々の選手に関して濃い説明があるわけではないんですが、セリフで説明しなくても、この人が出てきたとちゃんとわかるようになっている。無差別の面子って連載中一貫してあんまり変わらないじゃないですか。その中で、キューバのマルチネスとか、中国のちょっと高鳳蓮っぽい選手とか、立ったビジュアルと少ない試合シーンで、どういう選手かちゃんと伝えられているんですね。別に注目しているわけではないのにその後、あ、またこの選手が出て来たか、と、どういう柔道をするやつなのか、ちゃんとキャラが立ってわかるようになっている。説明セリフに頼らず、枚数を費やさず、画力が伝える情報量が非常に多いんだなと思いました。文字情報とかストーリーと並び立つくらいの情報量がある。

東: はい。…無差別に出てくる選手をバーッと並べて国籍当てクイズをやると、結構な確率で当たると思うんですよね。

古田: そう思います!(笑)

東: ブラジルとキューバは悩むかもしれないけど、ああ、これはソビエトだろうなとか。

古田: 上手に、我々が描く「あの国の選手像」を具現化していますよね。

東: 細かく言うと、そう、これ。バルセロナ五輪で、テレシコワに初戦で負けるフランスのアノーとか。(コミックスを開いて見せる)

古田: あああ、これはフランスっぽい。フランスの超級っぽい!出色だ!

東: でしょう(笑)。テレシコワとかマルチネスはわかりやすいんですが、これをフランスだというのは、相当うまいですよ。

古田: 柔道見てれば見てるほど納得、ゆえに見ていない人にも説得力があるという。同じフランス、48kg級はあの美人ちゃんのマルソーですからね。アノーは、この点の上手さでの極まりだな。…テレシコワは、作られたロボットが戦いを通じて変わっていくという内面は「ロッキー4」のイワン・ドラゴ、見た目はブリジット・ニールセンが演じたドラゴ夫人を思い出してしまいます。当時の僕らのソビエト像の凝集だったなあ。

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本阿弥さやかとの最終戦。地味ながら自然、かつスピーディーな展開の寝勝負。
(C)Naoki Urasawa/小学館

柔道展開の納得感、フィクションとしての上手さ

古田: 画力の高さが「柔道側」視点での納得感に至る最大の武器である、という話をしてきたわけですが、先ほど出てきた技のチョイスとか、展開上のリアルさもかなりのものですよね。

東: はい、リアルに近い納得感という部分で言うと。浦沢直樹さんのインタビューにあったんですが、最後の本阿弥さやか戦とバルセロナ五輪の試合に関しては、「当時の全日本の柳澤コーチに『教本になる』と言われたんです」と。

古田: !?

東: あの柳澤先生にして、そこまで言わせるという(笑)

古田: サービス発言であろうと割り引く必要はあるかもしれませんが(笑)、確かにそのくらいよく描けていますよね。本阿弥さやか戦は、本阿弥が猪熊を前に出させておいて、巴投。これが必殺技と思いきや、巴投から本命の寝技、さらに引込返から寝技と攻めまくります。抑え込み、絞技を狙い、腕を出させて関節技を狙い。で、ポイント先行するものの、柔が昔父親を投げてしまったトラウマを乗り越えて逆に巴投で「有効」。自分の得意技で獲られて、なおかつポイントで追いつかれて度を失った本阿弥が思わず前に出てきたところを一本背負投に捉えて「一本」。…書き出すと展開も非常に筋が通っていますが、さきほど東さんからご指摘あった通り、この試合は特に寝技の描写が素晴らしいですね。腕をフックして起点にしての攻防、抑え込み・絞め・関節技3つを行き来する本阿弥の攻め。

東: ここは本当に上手いですよね。…たとえば小林まことさんですら、平尾が上から被られたときに背中に瞬間移動して絞めを決めちゃったり「それは無理」というのがあるんですが、ここでの攻防は実に自然です。

古田: 三五十五1年生秋の高校選手権県予選、江南戦ですね。あれは強豪校のレギュラーが絞められて「参った」しないでしょ!そこは落ちるまでやるよ!ということも含めて物凄い違和感があった(笑)。…本阿弥さやか戦の寝技の攻防は柔道マンガ史上屈指じゃないでしょうか。寝技の攻防って描く側にとっても難しかったり読み手を信頼できなかったりして、やたらに説明がついて柔道側からするともどかしくなりがちなんですけど、ここはスピーディですね。ストレスなく読める。

東: やはり画力が高いし、ここまで積み上げてきた自信もあるのでしょう。おそらく柔道を知らない人でも戸惑わずに、面白がって読めると思います。

古田: 打席数を重ねて、最終盤までくるとここまで思い切って、レベルの高い攻防をわかりやすく描ける。そういう意味では、「YAWARA!」の柔道描写の極まりというべき試合かもしれませんね。いかにブレインがいたとしても、なかなかここまで共感できる攻防は描けない。

東: 先ほども出ましたが、やっぱり体を動かすのが根底にある人だというのが匂いますよね。

古田: 消化の仕方にそれが見え隠れする気がします。

東: このシーンに限らず、柔道の本質的な理不尽さ、やられたら体は痛いし心も折られるしというあのリアリティは、頭でっかちではなかなか描けないと思います。

古田: 滋悟郎さんが、決勝を前に金縛りになっている花園くんを「歯を食いしばれイ!」と両手ビンタで解放してやるところなんか、私の周りの柔道人にはエラく受けるわけですが、「クイック・ジャパン」で特集される尖った文化人がサクッとこれを描くわけですからね(笑)

東: 祐天寺監督が打ちこみ100、と書くと滋悟郎さんが「500」と書き直して「げっ!」となる。「ワシはそうやって鍛えてきた!」と。特訓しているところとか敢えて描かないんですけど、私たちの中にある練習とか「量」への信頼が当たり前にある。

古田: 猪熊柔の異常な量の練習自体を強調することは敢えて避けても、それが前提にないと上がっていくことに説得力が持てない、と当たり前に考えているわけで、そこは信頼できます。…バルセロナ五輪が教本になるというお話。ジョディ・ロックウェル戦に至る展開はいままで溜めたものを一気に吐き出す形で、もはや大会の進行自体にカタルシスがありましたが、やっぱりそう言われると、試合展開自体もかなり見せますね。

東: ジョディを最後に投げたのは後の先なんですよね。

古田: 内股入ったところに対して。

東: このあたりも非常に理屈に適っている。小さい柔が超大型のジョディを投げるには相手の前に出てくる力を生かすしかない。

古田: 前技を乗り越えてその力を変換して投げるという組み立ては、作品中結構多いですよね。これが実に説得力あります。

東: 小さいものが大きいものを投げる、ある意味極意的なものですからね。

古田: そういうところでも、勘どころを掴むのが上手いんですね。

東: 技自体のリアルさの話をもう少しすると、一本背負投の入りが、古賀稔彦さんのやり方だったりする場面があります。

古田: 「いった!いった!いった!」というアナウンサーの声に、古賀稔彦vsステファン・ドット戦の興奮を覚えるシーンはありましたが。

東: バルセロナ五輪のテレシコワ戦なんかはまさにそうですね。古賀さんが、全国高校選手権で旭川竜谷高の安藤弥選手を投げた試合などは、まさにこんなイメージでした。古賀さんは片襟背負いだったと思いますが、右足を差し込み、瞬時に左足を回し込みながら、相手を引っ張り込む。これで50kg近い体重差のある安藤さんから技有りを奪いました。その時の映像が思い浮かびましたね(笑)

古田: マニアック(笑)!丁寧な取材、勘どころを理解する肉体的感性、そして画力の高さが、リアルなファンタジー世界を支えたというところですね。…東さん、「柔道側」ということで喋ってきましたが、ここで、少しだけ、フィクション自体としての上手さ、ストーリーテラーとしての浦沢直樹さんの凄さというところにも触れておきませんか?

東: そうですね。ほとんどの柔道マンガというのは極めてシンプルで、次々にライバルが出てきて、それにいかにして勝って上のステージに上がっていくのかという太い一本の糸でもって話を紡いでいく。「YAWARA!」の中にも、もちろんそういう路線もあるんですけど、もう1つ柔本人が関心があるところで言うと「お父さん探し」というストーリーライン、あとは「恋愛」ですよね。

古田: こうして並べると、それだけで大河マンガが一本成立するくらいの大きな要素を詰め込んで、同時並行で進めていることがよくわかりますね。

東: そうなんですよ。3つの大きい縦糸を上手く編み込んでいきながら最終的に着地させる。しかもその間に、たとえばユーゴスラビアの時の松田さんの珍道中であるとか、バルセロナの加賀くんの誘拐事件とかを展開する。まさに息もつかせない。

古田: 再読しながら柔道史、恋愛史、お父さん探し史というジャンル別時系列表を作ってみたのですが、まあ、これだけ縦糸がしっかりしていてしかも絡み合うのだから、それは物語を動かしやすいですよね。さて、次はどのライバルを消費するか、でもそれももうバレてるしな、というような「勝負史」オンリーの貧しいフィクションとは段が違い過ぎます。読者は情報を知っているのに登場人物は知らない、というような情報の取り回しも実に上手くて、読者の願望のコントロールが巧み。虎次郎さんが預けた手紙がなかなか松田さんの手元に渡らず柔がピンチに陥るとか、富士子さんが怖くて花園くんからの留守電を聞けないとか。こと、ミクロからマクロまで、このあたりの作劇の王道の抑えっぷりは、まさにレベルが違うというしかありません。小さい興味を折り込みながら中期の願望を抱かせて、長期にはさきほどの縦糸3本がしっかりある。まあ、面白くならないわけはないと言っちゃいたいくらいの豪華さです。常に来週が楽しみで、かつ、ブランクがあっても縦糸の繋がりが切れないから、結構すぐ入って行けちゃうという。

東: 3本の糸が絡み合い、収束していくバルセロナ五輪は凄かったですね。

古田: 松田さんはバルセロナ五輪の48kg級の試合を1試合も観れていないんでしたね。

東: バルセロナ五輪はクライマックスじゃないですか。普通の柔道マンガであれば試合会場の中に完全にフォーカスしていくところが、

古田: まさかの二方面作戦、加賀邦子さん誘拐劇。松田さんはそっちのドラマに取られちゃう。

東: 全然予想出来ない展開ですよね。しかもそれが柔道にも柔の不安という影響があり、恋愛でも、加賀君に「私の白馬の王子様は耕作だったの」と勘違いさせて、とここまでの大きな縦糸2つを揺らして、収束に向かわせている。

古田: あれが無差別の競技開始の数時間前ですから凄い。読者はついにジョディ・ロックウェルと戦ってのオリンピック女子無差別金メダル獲得と、いよいよこの2人の恋が成就するんじゃないかという予感の2つを抱きながら、この最終ステージを見守るという。全巻通じて、僕ら読者が安住できそうな人間関係が出来上がるとすぐさまそれを大きく揺さぶってくる、週刊連載ならではの瞬発力とそれをひたすら続ける貪欲さがあるわけですが、その極まりですよね。複数のファクターを手を変え品を変えブチあてていく貪欲さと真摯さ、これは超人的だと思います。

東: 画力のところでも話しましたが、この打席数でやり続けるところがなにより凄い。

古田: 1回だけ全力を出すことと、これを何回も、当たり前のように続けていくことのハードルの高さはまったく違いますからね。

東: 資料によると同時連載時は月に6回締め切りがあって、毎月約130枚仕上げていたそうです。

古田: 「YAWARA!」は原作なし。それで、ストーリーを考えるところから始めてこの仕事量。超人だ。……怠惰な自分が恥ずかしくなってしまいます。

東: そうなんですよ。前回河合克敏さんを切るワードとして「誠実さ」というのを挙げましたが、浦沢直樹さんはこの点でさらに上を行くなあと。週刊連載で、この物量で引っ張っていく、それを物凄い数の漫画家さんがそれぞれ熱量を持って続けているのが日本の漫画という文化なんですね。

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柔は国民栄誉賞を受賞。日本の女子柔道の勃興期、こういう展開が夢を持って受け入れられる時代の素地があった。
(C)Naoki Urasawa/小学館

「YAWARA!」を超える女子柔道マンガはもう描けない?

東: あとは、ジャンル的な話を言い出しますと。「女子柔道もの」というのは、ある意味、ほぼほぼ、これを超えるものを描くのはもう難しいだろうなと思います。

古田: トドメをさしてしまった感はありますね。

東: それも、いきなりね。…作品自体の到達点の高さはもちろんのこと、時代背景が大きかった。アニメ化、映画化、社会現象としての「女子柔道ブーム」まで巻き起こしたあのメガヒットには、やはり田村亮子という、「YAWARA!」を想起させる選手が実際に出てきたという追い風がありましたから。

古田: 確かに。

東: リアルタイムの皮膚感としては、小さい選手が大きい選手を投げて荒唐無稽に見えないという部分の裏付けとしての、古賀稔彦さんの存在も大きかった。現実世界で、体重無差別の全日本選手権に出て、投げることは出来なかったけど大きい選手と存分に戦って決勝まで進んだ。実際にこういうことがあり得るんだと皆が思ってくれたから、「YAWARA!」的なファンタジーが成立したという事情は、多分にあります。田村亮子、古賀稔彦という現実世界での魅力的な選手の登場というファクターが、作品世界の成立に大きな影響を与えていたわけですね。これは、「柔道部物語」にも「帯ギュ!」にも言えることなんですけど。このシンクロは、その時代の柔道というジャンルにとっても、それぞれの作品にとっても、非常に幸せなことだったと思います。

古田: 古賀さんの存在がいかに大きかったかは、当時の柔道フィクションにおける一本背負投の評価の高さにも見て取れますね。「帯をギュっとね!」でも「YAWARA!」で、僕たちがいま思うよりもずっと、一本背負投という技の評価が高いじゃないですか。このすぐ後に始まった「大樹の道」でも主人公が異常にこだわる技が一本背負投でした。で、僕たちもその時代は、一本背負投という技の位置を非常に高くおいていました。これは間違いなく古賀稔彦さんの影響だと思います。この間の回で粉川巧の柔道を「切って切って一本背負投で、今から見ると決して良い柔道じゃない」と話しましたけど、あの時代、一本背負投は、小さいものが大きいものを投げる代名詞的な免罪符として、見る側のコンセンサスがあったんですよね。「切ったり守ったりの過程はもうどうでもいいわい」というくらい、一本背負投という技は、小が大を投げる技として立っていた。「YAWARA!」でもそうですが、つまりは、「一本背負投」という記号は、旧い意味での「必殺技」なんですよね。

東: その通りだと思います。つまり、今後「YAWARA!」を超える女子柔道マンガがなかなか出て来にくいだろうなというのは、この作品にはある意味「時代と寝た」部分、まずはなんと言っても田村亮子というアイコンが現実に出現したこと、さらには古賀稔彦さんが必殺技・一本背負投を具現化して一般社会に認知させていたというブースターがあったからですね。そして、女子柔道競技自体がまだ草創期にあったことも大きい。

古田: 勃興期の熱量がブームに寄与した、現実とフィクションが互いにいい影響を与えたというのは確実にありますよね。あの頃、女子柔道はまごうことなき「新しいスポーツ」であり、世界にヒロインを送り出したいとすべての日本人が思い入れられるジャンルであり、なおかついままで出来なかったそのことがどうやら出来るかもしれないという、希望一杯の注目競技でしたから。

東: そうすると、女子柔道というジャンルが既に成立していて、到達点がどのくらいかも知れ渡って、しかも明らかに衰退していく中で、ここからの作品が新しい何かを提示できるかとなると。やっぱり相当難しいと思います。

古田: もはや女子無差別にリアリティはないことが根付いてしまい、上昇していくための制度もがっちり固まっていて、常識の枠を超えて「一夜にしてアイドル」みたいな出世をリアリティもって描くのも難しい。現実に競技者もどんどん減っている。確かに夢を見るには苦しいジャンルですね。

東: 「YAWARA!」の中でも部活動がありましたけど、女子柔道としてはこのあと部活ものとして「そばっかす!」(きくち正太)がありました。現実の競技史で言うと、女子柔道部の活動が盛んになり始めた頃の作品ですよね。縮小再生産の印象は否めませんが、先行の成功作品を良く研究していて、極めて丁寧で、よくまとまった作品でした。時代はさらに下り、描き得る世界はさらに狭くなってしまった。そういう意味では、今連載している「もういっぽん!」(村岡ユウ)などは、このままいくと「そばっかす!」も越えられないし、ましてや、「YAWARA!」に迫るなどはちょっと考え難い。どこを目指して、何をエンジンとして上がっていくのか、志が問われるところですね。

古田: 「YAWARA!」は時代の状況や現実のスターの登場とも息が出来ていた、それが起爆剤にもなったが、その再現はもはや難しい。後世もはや迫りがたい事情があると。

東: そういうことですね。…さて、だいぶ色々話しましたが、そろそろ締めとしましょうか。古田さん、何か語り残したことはありますか?

古田: そうですね。……僕も松田さんのように、猪熊虎次郎に褒められるような記事を書きたいとは思いました(笑)

東: 再読してみて、伝えることが何かを生む、ということに新鮮さは感じましたね。人の心を動かせるようなものを書けるか、作れるか。

古田: この仕事を始めるにあたって特段意識はしませんでしたが、折に触れ、松田さんのことは思い返していましたよ、やっぱり(笑)。伝えることで人の心を動かしたり、行動させたり出来るかと。終盤、柔が、松田さんが書いた自分の記事を読んで立ち直る場面がありましたよね。柔に力をもらっていた松田さんが、自分の書いたもので今度は柔に力を与えるという構図も良かったですが、それ以上にまあ、自身の仕事に照らして心揺らされるものがありました。

東: 私も。河合克敏さんにせよ、浦沢直樹さんにせよ。今回色々資料になるものを読ませてもらって。…まあ、自分ももっとちゃんと仕事しないとイカンなと思いました(笑)。いい機会を与えて頂きました。

古田: 同感です。オリンピックが延期になって呆然としている自分が恥ずかしいです。

東: この方たちの思いや熱量を見るにつけ、そう思います。実際に彼らが残したものは、圧倒的に面白いわけですからね。

古田: 週刊連載で残したものが、これだけ隙がなく、何十年経っても語るに足るというのは凄いことですよ。

東: 凄まじいですよ。いい刺激になりました。

古田: 柔道専門誌側からみた「YAWARA!」ということでお話頂きました。ありがとうございました!

東: ありがとうございました!

※ eJudoメルマガ版7月29日掲載記事より転載・編集しています。

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