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【新連載】eJudoマンガ夜話・第1回「ヒット作の条件は?」

(2020年5月14日)

※ eJudoメルマガ版5月11日掲載記事より転載・編集しています。
eJudoマンガ夜話・第1回「ヒット作の条件は?」
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語り手・東弘太郎氏の書架の一部。柔道人にはこれだけのフィクションを「人一倍楽しめる」ポテンシャルがある!

稽古自粛期間のお供に、ぜひ「柔道マンガ」を―。
自主稽古もよし、トレーニングもよし、勉強に勤しむのであればなおよし。でもせっかくだからより柔道を知り、色々な形で柔道を楽しむことがあっていい。ここまで一生懸命柔道をやってきた人間だからこそ、その知識や経験をベースに、実際に「やる」こと以外でより深く柔道を味わえる。そんな発見のある期間でもあってもらいたい。そのための手立てを用意したい。
この観点からeJudoでは複数の企画を準備しているところですが、そのひとつとしてこの「eJudoマンガ夜話」をお送りします。古今の柔道マンガを1回1作取り上げて紹介し、それについてよもやま語って批評するという対談連載企画です。隔週を目途に更新の予定です。

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語り手:東弘太郎 古今の柔道マンガを「やたらに読み込んでいる」柔道マニア。大メジャーはもちろん泡沫連載のギャグマンガや知られざる怪作まであまねく読み込むその熱量は少々異様。その造詣の深さと見識に編集長が惚れ込み、今回たって登場願った。競技では「三五十五とも粉川巧とも一緒にインターハイ出場」の実績あり。好きな女性キャラは「柔侠伝」の駒子。今気になっているのは本宮ひろ志版の「姿三四郎」中途でのキャラクター造形変更の背景に何があったか。

聞き手:古田英毅 eJudo編集長。自他ともに認める読書家でフィクション好き。ただし柔道マンガに関しても一貫して「いいフィクションは読む」「乗れないものは必ずしも読まない」という姿勢で接してきたため、このジャンルの積み上げは東氏に比べて薄め。まだ見ぬ良き柔道マンガを仕事で読ませてもらえるチャンスと、期待に胸を膨らませている。好きな女性キャラは「からん」の高瀬雅。結婚するなら高瀬で、付き合うのなら「花マル伝」の山咲純。

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聞き手を務めるのは編集長・古田英毅

ヒット作の条件は?

古田: 「eJudoマンガ夜話」という新企画を始めさせて頂くにあたり、古今の柔道漫画を読み込んでいる東さんをゲストにお招きすることとしました。

東: よろしくお願いいたします。

古田: 毎回1作品、柔道マンガを紹介してよもやま語ったり、分析したりという企画の対談連載です。便宜上対談という形を取るのですが、時折このトピックで2人で話をするにつけ、東さんが先生、私が生徒というくらいの知識量の差があると感じ入っております。ですので、語り手の東さんにお話頂いて、私が感想を述べる形になるのではないかと。ここまで柔道とフィクションの両方に造詣が深い方とじっくりお話出来る機会はなかなかないので、私も非常に楽しみです。

東: 私はマンガ評論の専門家ではないので、評論の王道やあるべき議論の作法からは離れるかもしれないですし、必ずしも正しくないのかもしれませんが、そこはご容赦頂いて。

古田: もちろんです。マンガそのものというよりも柔道に特化した、あるいは傾けた批評がこの企画の旨味になっていくででしょうから、そのあたりは気にしすぎる必要はないかと思います。…あらためて読者の皆様にこの企画を説明いたしますと。あまたある柔道マンガ、たとえば殿堂入りクラスには皆さんご存じの「柔道部物語」(小林まこと)、「YAWARA!」(浦沢直樹)、「帯をギュッとね!」(河合克敏)、「花マル伝」(いわしげ孝)、「柔侠伝」(バロン吉元)などあるわけですが、

東: いま挙げられた作品、まさに「ビッグ5」と言ってよいかと思います。

古田: この企画ではこれら大メジャーマンガはもちろん、知られざる、実は非常に数も多い柔道マンガについて毎回1作品紹介し、その魅力についてよもやま語ったり、分析していきたいと思います。で、初回ははまず序章として「ヒット作の条件は」と題し、柔道マンガが魅力的なものとして成立するために何が必要なのか、何が作品の生死を分けて来たのか。これをお話し頂くことで、読者の方々にこの先の評価の「基準」をまず示してみたいなと。
 

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語り手の東氏。顔出しは「またいずれ」とのこと。

柔道マンガ固有の構図、実は「バトルシーン」に頼れない

東: はい。・・・まず柔道マンガ、それに限らずスポーツマンガの基本的な構造としては、強敵に出会って、それを倒すために何らかの練習なり特訓なりをして、で、その成果を試す場がやってくると。基本的には、その繰り返しなんですね。

古田: 柔道に限らず、少年スポーツマンガの王道構図ですね。

東: 週刊なり月刊なりのマンガ連載、エンタテインメントとしてやっていく以上は、主人公が、あまり内省ばかりしていても面白くないわけです。

古田: 大河ドラマ的面白さに先んじて、まずは毎回読者をひきつける瞬発力が求められる。

東: そうするとこの「強敵と出会う(課題の設定)、練習や特訓(課題克服のための努力)、試合での戦い(課題を乗り越えられたか)」という繰り返し、これはエキサイティングなルーチンですから、一種不可欠なものと規定してしまってよいかと思います。ただ、その繰り返しだけだとどうしても単調になるので、もう1つの要素としてその合間の部分。日常生活であったり、キャラクターの造形が深まっていく方向の描写を加えることで厚みを増していかねばならない。この部分が非常に重要です。

古田: その後やってくるバトルが魅力的になるような世界観が築けるような、キャラクターに感情移入できるようなディティールがしっかり提示できるかどうか。

東: そういうことです。それで、ここからは柔道固有の事情がこの大きな構図にどう影響してくるかという話になってきます。まずひとつ考慮しなければならないのは、柔道が個人競技であること。たとえば、「ドカベン」みたいな野球漫画のように、相手の個性に応じて集団の中の誰かが活躍することでストーリーに変化を加えるというような有機的な展開が仕組みづらい。バトルシーン自体でストーリーに変化が起こしにくいので、相手の凄さや誰と戦うか自体ということに寄りかかりがち。そうするとどうしても、敵の“インフレ”が起こりやすくなるんです。

古田: なるほど。少年マンガの禁忌でもある、安易に「前の敵よりも強い敵」を出してしまうことを繰り返す無限ループが、宿命的に起こりやすいジャンルであると。

東: はい。さきほどの「ドカベン」で言うと、決して敵がどんどん強くなるというわけではない。ただ相手に色々なタイプがあって、簡単に言うと相手の打線が強くて投手の里中がピンチになると他の選手が打つほうで頑張るとか、逆に1点を争うような展開だと里中の踏ん張りがキーになったり。

古田: いわき東高校の緒方のフォークが打てないと、悪球しか打てない岩鬼がいきなりホームランを打ったり。

東: というようなバトルそれ自体の中で変化があるというシナリオが個人競技ではなかなか作りにくい。・・・そして柔道の特徴、もう1つは「試合時間が短い」ことです。これは例えば、同じ格闘技マンガの一大ジャンルであるボクシングものとの大きく違うところですよね。

古田: ボクシングはラウンドがありますものね。

東: そうなんです。ラウンド数がたくさんあると、そこで展開を作りやすい。伏線を張って回収するというようなことが1試合の中で仕掛けやすいわけです。

古田: 確かに。矢吹丈とホセ・メンドーサの1試合で1巻まるごと使うというのは柔道競技ではちょっと考えられない。右目が霞んで当たらないはずのパンチが当たる、カーロス・リベラがリングサイドに来てホセが動揺する、矢吹のパンチがコークスクリューになる、矢吹の不死身ぶりにホセの精神が蝕まれていく。てんこ盛りです。

東: はい。圧倒的に強い相手でも、長く戦っているうちに心理的に揺さぶられたり、スタミナが切れたりして徐々に展開が変化していく。こういう機微を4分なり3分なりの試合時間で、説得力を持って描くことはなかなか難しいですよ。

古田: ちょっと脇道にそれますが。短い時間はもちろん、柔道は競技特性として、非常にアップセットが起こりにくい競技でもありますよね。

東: おっしゃる通りです。

古田: たとえば野球は離れた力関係でも、色々な要素で補ってアップセットを起こしやすい競技。プロ野球で優勝するチームの勝率が5割から6割の間、こういう競技はあまりない。マンガ云々を超えてそもそも試合自体がリアルにドラマチックな競技ですよね。一方柔道は基本的には強いものが圧倒的に強いし、力関係が離れていれば勝負はあっという間に終わってしまう。個人競技、アップセットのリアリティが薄く、かつ試合時間が短くてそもそも変化がつけにくい。・・・話を戻しつつ横滑りさせますが、試合時間の短さでいうと「YAWARA!」は秒殺が多いですよね。

東: そうなんです。仰る通りです。

古田: 盛り上げに盛り上げた本阿弥さやかとの大一番が一瞬で決着したりする。あれ、マンガとしても面白いですけど、僕たち柔道人のリアリティに沿っているんですよね。「実際こういうもの」というリアルさがある。

東: あと、これはもう少し後でまとめてお話した方が良いかもしれないんですけど。柔道の技術の構造上、勝負をつけるには「組んで、投げる」という手順が必要なんですよね。寝技ならばなおのこと。立っても、寝ても、かなり手数が掛かる。

古田: なるほど。文脈に関係ない一発が出せない。

東: はい。いきなり車田正美的な必殺技一発「BAGOOOON!」とはいかないわけです。そこにある程度のリアルティがないと、読者の側が柔道に興味があって詳しければ詳しいほどストレスを感じてしまうわけです。

古田: 専門性が強い競技でもあるので、「リアリティ」は柔道をしたことのない作家がこのジャンルに参入する上で非常に怖がる部分だと思います。経験者に軽んじられないようにディティールを描き込もうとすることで、ネーム過多になったり頭でっかちになってストーリーテリングのテンポが保てなかったり、もっとも大事な「マンガとしてのバランス」が崩れてしまうケースが多々ありますね。自明のものを一生懸命描き込むことでかえってリアリティを失なってしまったりすることも多い。

東: そこのリアリティであったり、技術をどう描くかは作品の個性と密接に関係がありますね。
 

主人公、感情移入の糸口をどう設定するか?

東: リアリティ、構図。いずれにしても、共通して向くべき方向は「共感してもらえるか」というところですね。読者が主人公に感情移入してくれるかどうかがものすごく大事。

古田: ここからはキャラクター、「主人公の設定」というところに話が移るわけですね。

東: はい。大沢在昌さんの「小説講座 売れる作家の全技術 デビューだけで満足してはいけない」という作品の中に「小説というのはストーリーの進行によってキャラクターに変化を生じさせるもの」「ストーリーが登場人物を変化させていく。この変化の過程に読者は感情移入する」というわかりやすい解説があるのですが。物語というものの必然として、主人公が変化していく、成長していくというのがストーリーを進めていく上でのベースになります。まあ、マンガだと例外的に1話完結の読み切りで時制が動かないものもありますけれど、柔道マンガは基本的にはほとんどがストーリーマンガです。そうすると柔道を始めたときからいかに成長していくかというのが物語の主筋になるわけで、その変化や成長に対して読者がしっかり感情移入していけるか、共感していけるかというのが大きなポイントになります。

古田: 言われてみると成功していると言われている柔道マンガはことごとく、非常にその点が上手ですね。

東: そうなんです。個々の作品によって上手な要素は違うんですけど、観察ポイントとして共通しているのは、まず1つこの「スタート」ですよね。柔道を始める、つまりは連載が始まるところでの主人公の柔道との出会いかた、そこからどこに向けて成長していくのか。

古田: 柔道を始める「動機と時期」。

東: そのスタートがあったうえで、いかに適切なライバルと出会い、目標が設定されていくか。言ってしまえば当たり前なんですけど、その1つ1つに違和感なく感情移入出来るかどうかですね。…たとえばまあ動機として一番典型的なのは「いじめられっ子が強くなりたい」。ボクシングの「はじめの一歩」なんかはそうですよね。柔道では意外と具体的にいじめられていることがスタートのきっかけになるマンガというのはあまりないのですが、「弱い自分が強くなりたい」ということになりますかね。「花マル伝」の花田徹丸が強烈なライバル木元旭の出現によって強くなりたいと思ったり、だまされて入ったけど反発心から強くなりたいと思ったり。

古田: 三五十五ですね。

東: そういう初心者から始めるパターンがまずあります。また、初心者から始めないパターンもやっぱりあって。

古田: 「帯をギュッとね!」とか。

東: 典型例だと思います。今まで中学で柔道をやって来て、今度は新しい場所でやろうと。そうすると違うモチベーションが生まれますよね。中学校時代に出会ったライバルたちと今度は同じ学校で、何か新しいことが出来るんじゃないかという衝動や期待感。これは非常に共感しやすい。

古田: フックがうまく行っている例ですね。

東: それが失敗したのは、たとえば先日古田さんと話し合った「ひかる!チャチャチャ!」(みのもけんじ)ですよね。

古田: いずれこの作品には1回まるまるを割くことになるのではないかと思いますが、あの出だし。連載開始時に「これは厳しい」と思わざるを得なかったですね。

東: 平成の時代に「亡き父へのあこがれや思い」でスタートするのはやはり違和感があった。

古田: 時代錯誤というのが率直な感想でした。同じ「週刊少年ジャンプ」のスポーツもので言えばこの年に「SLAM DUNK」の連載が始まるわけですから。

東: 時代や絵柄とのマッチングなど色々ありますが、結局何かというと「乗れない」という一言になりますね。共感出来ない。スタートできちんと読者への共感を仕組めるかどうかは非常に大きい。

古田: いま「初心者で始める」「経験者が新たな環境で始める」という2つのスタートパターンをさらったわけですが、後者の変形、「YAWARA!」の“最初から強い”というパターンは面白かったですね。仕組み自体が意外だというのもありますし、その、本人が頑なに見せようとしないその強さを「見せて欲しい」という読者の本能的な欲求を掻き立てるものがあったと思います。見たい、が読者を引っ張るエンジンになりました。

東: 「YAWARA!」の場合は主人公の中に、強いんだけど柔道は好きじゃないという柔道に対しての反発があり、いま仰られたようにどういう柔道を見せてくれるのかという期待感もそうですし、この子がどう柔道に向き合っていくんだろうという興味を掻き立てますよね。この作品も極めて自然に共感へのルートが出来上がっていると思います。

古田: キャラクターの造形と感情移入の糸口。・・・先ほど「ひかる!チャチャチャ!」は時代的に違和感があったという話が出ましたが、たとえば「柔道讃歌」(原作:梶原一騎/画:貝塚ひろし)の巴突進太なんかはやはりあの時代は共感を得られていたんですかね?

東: 「柔道一直線」(原作:梶原一騎、作画:永島慎二・斎藤ゆずる)と「柔道讃歌」というのは極めて梶原一騎的な世界。梶原一騎的世界観の物語が全盛で王道であった、あの時代までは受け入れられていたんじゃないですか?「巨人の星」もそうですけど、「親の因果が子に報い」というか。

古田: キャラクター造形の方でいうと、実は私の初見は平成になってからなのですが、主人公がやたらに粗暴で素直にびっくり、というかちょっと呆れてしまいました。「侍ジャイアンツ」に構図が似ているとよく言われる作品ですが、巴突進太も番場蛮も、あの荒っぽくて無軌道な振る舞いに当時の男の子たちは感情移入出来たということですよね?いま見ると違和感がありますが、あれはあれでしっかり時代と息が出来ていたということなのか。

東: 昭和40年と50年代、あるいは西暦1980年代を境目に、だいぶ違いが出ているとは思います。

古田: 「ひかる!チャチャチャ!」はただでさえ絵柄がほんわかしていて古めなのに、持ってきた構造までもが古かった。掛け算でさらにその特徴が際立った感じでした。

東: 絵は迫力あるんですけどね。

古田: 染谷が出足払で転がされる絵なんかはスピード感も重量感もあって、太った選手がズルっと転がるリアリティがよく表現出来ていた。

東: これは次のトピックに繋がるんですが、あの作品の最大の失敗は、特訓とバトルの繰り返しになってしまって、インフレに次ぐインフレに陥ってしまったことですね。
 

キモは「日常」の描写

古田: 週刊連載テコ入れの典型パターンに嵌ってしまった。

東: のっけの「構造」の話に戻るわけですが、柔道の場合、競技特性的にバトルシーンだけで引っ張るのは難しいので、作品が成功するポイントは、バトルと日常のバランスが取れるかどうかなんですよね。日常の描写でどれだけ世界観を作って、読者に面白がってもらえるか。

古田: おっしゃる通りだと思います。

東: 主人公とライバルって基本的に最強を目指さなきゃいけないじゃないですか。これはもう、ほぼ必ず。

古田: はい。

東: だけど柔道だと、柔道部だと群像劇になるわけですが、脇を固めるキャラクターというのは必ずしもナンバーワンを目指さなくてもいいわけですよね。

古田: なるほど。脇役のセットの仕方で厚みが変わってくる。

東: うまく行っている例でいうと、「花マル伝」では杉矢であったり加藤であったり同級生をうまく主人公にした回が何回かありました。彼らには彼らなりの目標があるんですよね。杉矢だったらいじめられっ子だった自分を変えるとか、加藤だったら後輩とレギュラーを争う中で、柔道は好きだけどレギュラーまでは望んでいなかった自分がそれじゃダメだと変わっていったり。「そばっかす!」(きくち正太)では、主人公の同級生で緊張に弱い「しんぶんし」こと和嶋静が弱い自分に打ち勝ちレギュラーの座をつかむ。そういうところが出てくると厚みが出ます。

古田: 脇役にもきちんと感情移入出来る物語がある。

東: 失敗する例は、主人公がひたすらただ最強を目指し、それで練習する、バトルをする、勝つ、の繰り返し。ひどい場合は、チームメイトの名前すら分からない(笑)

古田: のっけにお話されたとおり「バトル自体を描く」ことだけで引っ張るのが難しいジャンルですからね。バトルがバトルそれ自体で魅力的でありえることが非常に難しい。

東: だから余計に、それを支える世界観のほうを魅力的にしていかないといけないわけです。

古田: 柔道経験者が読んで「乗れない」マンガが多いのは、決して細かい柔道の技術が描けていないからでなくて、柔道マンガがバトルだけでは成立させにくい、そもそもそういう高いフィクション偏差値が求められるジャンルであることに秘密がありそうですね。あの金字塔「柔道部物語」ですら後半はバトル中心で息切れしたと感じています。

東: それでいうと抜群に上手いのが「YAWARA!」ですよね。

古田: 浦沢直樹さんはとにかくマンガ自体が上手い。こういう構図を知り尽くしていると感じます。

東: 柔道を描くときは長引かせずにスパスパ試合を終わらせる。柔道のカタルシスはやっぱり「一本」を取るところだから、その瞬間への収斂に集中していますよね。そこに至るまでの細部、練習であったり柔道を離れての恋愛というところに、その瞬間を引き立たせるための仕掛けがきちんと企まれ、仕組まれている。

古田: クロアチアからユーゴスラビアまで松田さんがタクシーに乗って駆け付けるのに単行本ほぼ1巻分「間に合うかどうか」で引っ張って、

東: そうそう。

古田; 着いたところで秒殺「一本」というのがありましたね。あれなどはこの構図からいくと真骨頂かもしれないですね。

東: ああいう展開って、普通のスポーツマンガの発想からはなかなか出てこないですよね。しかも、いままでここで話してきたような必須条件はことごとくきちんと押さえているわけですよ。相手もだんだん強くなってくるし、それを描く上での技術的な上積み、たとえば本阿弥さやかが寝技強くなるとか。そういうことも当たり前に押さえた上でそこまで描ける。凄まじい力量です。

古田: さやかさんの「黄金の左」が1回しか出ない、一発だけで勝負が終わってしまったのもすごかった。あれも、相手にも物語があって、きちんと強くなって、それでいて勝負は一瞬で終わる。条件、リアリティ、カタルシスへの収斂と申し分なかったですね。
 

「強さのインフレ」をどう避けるか?

東: ではここで「ライバル」の話に移りましょう。強さのインフレをどう避けるかというのがこのジャンルの大きな命題です。

古田: 「避ける」というとネガティブなニュアンスに聞こえるかもしれませんが、むしろこの観点から帰納して設定を考えたほうがうまく行くかもしれないですよね。あまたの成功例、失敗例をみるにつけ、そのくらいこのジャンルのマンガにとっては大事なことだと思えます。

東: うまく行っている例を考えると、実はライバルの数を、そんなに出していないんです。

古田: あっ!なるほど!

東: 「柔道部物語」でいうと、初期の樋口と、途中からの西野の2人だけですよね。「花マル伝」も究極的には木元だけです。「帯をギュッとね!」でも最初に藤田を出してしまって、都度出てくる敵は実はスモールステップ。俯瞰して考えると、最終的に藤田と戦ってどう勝つかというために、それぞれのキャラクターと戦って成長しているんだな、とわかる。最初にドーンと高いキャラクターを設定することでインフレに陥らずに済んでいるわけですよ。

古田: これはわかりやすい。納得です。「YAWARA!」もそうですよね。

東: はい。最終的にはジョディ・ロックウェルと本阿弥さやかの2人です。・・・そしてこういう終生のライバルというのは、相手の側も成長させないといけないんですよね。

古田: いま名前が挙がった登場人物は皆きれいにその項を満たしていますね。

東: 相手が成長しないまま成立するというのは・・・・それこそ「グラップラー刃牙」の範馬勇次郎くらいしかいないかもしれない。

古田: ダハハ!(笑)

東: あのくらい超高く設定しておかないと(笑)。この場合「底が知れない」というのがポイントで、もう成長なんか要らない。まあ、あれは例外として、高校の部活動とかリアルに近いところでやるのであれば、ライバルのほうもきちんと成長させないと寸詰まりになってしまう。成功している作品はそのあたりがやはり上手く企まれています。

古田: ・・・この「インフレ」という部分を制御できずに惜しかった、というような作品としては?

東: そうですね。例えば「どうぎんぐ」(斉藤邦和)とか、絵も非常に達者なんですよ。達者なんだけど、基本的にバトルの繰り返しによるインフレ構図をずっと続けてしまっているからやっぱり持たなくなってしまうんですよね。週刊少年チャンピオンの漫画が続いてしまうんですけど、「いっぽん!」(佐藤タカヒロ)とかもそうですね。ギャグを混ぜるんですけど基本はやっぱりバトルなんですよ。

古田: なるほど。絵の上手さやギャグといった、通常のマンガであれば非常に大きな要素がある程度満たされていても、「バトルに頼るかどうか」「ライバルのインフレに陥らずに済むかどうか」という構造的根幹に関わる要素は乗り越えられない。こう考えるとこの2項、柔道マンガというジャンルの、まさに大黒柱であり、根太ですね。

東: インフレの話を続けますと、負けた相手に対する目配せがあるかどうかが結構大事で、これがないとさらに厳しくなります。ライバルが出ました、倒されました、次の試合では主人公の新たな敵にそのライバルがサクっと負けてしまう、みたいなことの繰り返しになりがち。そうなるとやっぱり厳しいです。このパターンに陥ってしまう作品、実は相当多いですね。

古田: 少年マンガの嵌りである「バトルの繰り返しと強者のインフレ」、他のジャンルであればバトル自体を描き込んでその魅力に寄りかかることがもう少し出来る可能性があるけど、柔道は競技特性的にそれが難しい。より、周辺の設定や厚みが求められるジャンルであるわけだ。

東: そうです。繰り返しになりますが、常のスポーツマンガに増して、より丁寧に世界観を作ることが求められるわけです。キャラクターでいうと、仲間に対してどういう視線があり、どういう設定が仕組めるかですよね。恩師であったり先輩・同期・後輩であったり。日常が魅力的に描けているかどうかが非常に大きい。

古田: そこだけで勝負するくらいの厚みが欲しい。

東: 柔道経験者は肌感覚でわかると思うんですが、結局大会での勝った負けた以上に、その後良い思い出として残るのは普段の練習だったりするわけです。2時間、3時間練習したあとにジュースを飲みながらだべることであったり。日常を描くというのは、試合や大会以上に「あるある感」というか、読者の共感を得やすいポイントになるんですよね。もしかしたら、そこの部分に関しては、作者が実際に経験しているかどうかが大きいかもしれない。

古田: 確かに、試合以上に経験がものをいうところなのかもしれません。この業界の人が圧倒的に支持するのはなんといっても「柔道部物語」ですが、この作品の吸引力は三五十五が強いから、西野とのライバル関係が面白いからというよりは、ディティールが実際に部活で柔道をやって来た人たちの肌感覚に近いかことにあると思っています。

東: 特に前半はそうですよね。練習のきつさとか、「セッキョー」みたいな理不尽さ。あの、あるある感が非常に効いている。

古田: あれがあるから、その後どんなに飛躍しても素直に「凄い!」と受け入れられる。「ジョジョの奇妙な冒険」は第1部の中途までが地に足着いた怪奇譚だから、第2部で進化の常識を超える生物が出て来たときの衝撃がリアルなものとして味わえる。西野が人間としてありえないくらい強くても、その西野に三五が勝って全国優勝しても、ちゃんと現実と地続きで捉えて興奮することが出来るんですよね。

東: 「帯ギュ!」もそうなんですよね。特に前半はバトルではなくて、部活でくだらないことをしたり、日常がしっかり描かれている。あれは少年サンデーの懐の深さなのか、連載初期にはほとんど柔道しない回が続いたりします。そういうところをどれだけきちんと描けるかですね。

古田: 私と東さんの間でイチオシとして度々話題に挙がる「からん」(木村紺)なんかはまさに日常を丁寧に描き込むことが全て。そこに注力し切っています。

東: 「からん」はある種極北だと思うんですよね。バトルにまったく頼らないのに実に面白い。それが「からん」を数ある柔道マンガの中でオンリーワンたらしめている、最大のポイントだと思います。
 

「上昇装置」をどう仕組むか?

東: 「スタート」と「キャラクター」をやってきました。読者の共感、納得を得るための次の課題として、「上昇装置」をどう設定するかというのがあります。

古田: 人は理由なくいきなり強くならないですからね。インフレしまくった「ドラゴンボール」の孫悟空だって「精神と時の部屋」で修業するという上昇装置が組まれている。

東: そうなんです。急激な成長にはそれを裏打ちする理由が必要になります。まあ結局もともとの素質とどういう練習をするかという2つの項の掛け合わせになるわけですが、三五十五だったらひょっとこ口に象徴される異常な集中力プラス、夏の合宿であったり、もと名選手の五十嵐先生が受けをやってくれたり。

古田: 地味かもしれませんが、岬商の面々が「綱登りで強くなる」も十分説得力がありましたよ。私たちそうやって強くなってきたわけですから。

東: 「花マル伝」の花田だったら、家がもともと酒屋さんでビールケースを運んでいたので基礎体力があって。

古田: 木村政彦の「砂利運び」だ(笑)。

東: そうです(笑)。その上で理不尽な先輩の特訓や「ヘルリンク」が上昇装置になった。ちょっと異色なところでいうと「そばっかす!」の日乃本一は実家が蕎麦屋なんですよね。で、子どものころから蕎麦打ちを仕込まれていて握力とか腕力が異常に強い。それに合宿やボクシング修行がプラスされて納得感のある上昇装置が組めたわけです。ベースである「素質」の部分にこういう地の生活というか、家業に根差した生活体力がうまく組み入れられていると説得力が出てきますね。

古田: 木村政彦もそうですし、稲尾和久が伝馬船の櫓を漕いで手首と足腰のバランスが鍛えられていたとか、そういう実際の逸話が頭にありますから読者の側も乗りやすいですよね。・・・上昇装置というところで言うと、そこに特化した「柔のミケランジェロ」(カクイシシュンスケ)は野心的でした。絵を描くのが上手い子が、異常なまでに「重心を見る」資質があるという。作品の評価は分かれると思いますが、柔道フィクションにおける上昇装置が数々使い古されていく中で、このアイデア一本で斬り込んできたのは面白かった。

東: 失敗例として度々挙げてしまって恐縮なんですが、「ひかる!チャチャチャ!」みたいにここを「親が一流選手だった」ということで組んでしまうと、なかなか共感しにくい。

古田: 「母親が女三四郎」で読者が乗れた時代もあったわけですから、

東: そう。いい悪いでなくて時代にあっているかどうかですね。

古田: キャラクターはもちろん、この上昇装置という部分でも時代と呼吸が出来ていなければいけない。新たに柔道マンガを始めるのであれば、この一項に関してはワンアイデア何か光るものを持って参入してきてほしいですね。
 

「必殺技」は要るのか?

東: この「上昇装置」からの流れで、「必殺技の有無」というところに進んでみたいと思います。

古田: スポーツマンガにあっては、このあるなしがフィクションの性格を大きく分けますね。

東: 柔道の場合には源流として「姿三四郎」以来の「山嵐」というものがありますから。

古田: スタートに山嵐がある以上、一種宿命的なものがあるわけか。史上「鬼巻き込み」「大噴火投げ」「巴二段投げ」と、現実との乖離度はそれぞれ異なれど、この文脈に連なるものは枚挙に暇がありません。

東: だけど、山嵐であっても、そこには理屈の裏付けがあるわけです。そもそもが小説ですから、こういう技で、こう崩して、というのがきちんと描き込まれている。そこからいきなり車田正美的な世界にはいけないわけですよ。そこをいかに料理して、必殺技に説得性を持たせるか。

古田: 必殺技に頼るか否かが問題ではなく、その必殺技に、世界観に見合った説得力があるかどうかが大事ということか。

東: そうです。そうすると、位置づけとしては実は必殺技というよりは、「理にかなった得意技」なんですよね。

古田: あっ!(笑)。現実の柔道の講話みたいになりますが、言われてみるとその通りですね。

東: 結局三五十五といえば背負投だし、猪熊柔も背負投。最後の最後はそれで決めるんですけど、それはそこに至るまでの駆け引きがあった上での最後の一枚絵であって、最初からそれを出せば水戸黄門の印籠みたいに全て解決、というものではないんですね。

古田: みんなが、それで決めて欲しいと思っている技。

東: それを声高に必殺技だと名乗ってやるのかどうかでだいぶ印象が違います。あとは、たとえば山嵐であっても、「山嵐やれば勝てるんだから最初からそれを出せよ」と思われてしまうとやっぱりダメなわけじゃないですか。

古田: スペシウム光線の陥穽に陥ってはならない。

東: そこに行きつくため、出せるまでのところに色々な攻防や駆け引きがあって、最後決めるところだけ山嵐というのはありだと思うんですけどね。以上考えると、必殺技というよりは、いざというときに頼れる最大の得意技というのがあるべき解釈であり、この言葉のまっとうな評価だと思います。

古田: 凄い技であることとその技が出る条件が読者に理解され、バトルの中でそれが整うかどうかが焦点になる展開は魅力的ですよね。マンガではなくノンフィクション小説ですが、増田俊也さんの「超二流と呼ばれた柔道家」で、堀越英範さんが持ちさえすれば必殺技の背負投が掛かる、ということを徹底的に読者に理解させた上での超大物・古賀稔彦さんとの大一番、あそこでの「組めない。まだ組めない。組んだ。」のリフレインなんかは素晴らしかったですね。

東: あと、必殺技でいうと、そもそもいわゆる「魔球もの」というのがジャンルとして既に絶えているわけです。

古田: 全盛期が昭和30年代終盤から50年代前半という感じですかね。

東: 野球だったら魔球、柔道だったら必殺技で魅力的なフィクションが成立していた時代というのがあったわけです。これが野球であれば「ドカベン」や「キャプテン」あたりから潮目が明らかに変わった。柔道だと「柔道部物語」以降はもう、そういうものはなかなか成立しにくいわけです。

古田: 魔球・必殺技構図は飽きられた。

東: はい。消費しつくされてしまったということだと思います。

古田: 新しい魅力というのは「これまでの流行り」や「陳腐化したスタンダード」に対するカウンターカルチャーそのものですからね。時代背景と切り離しては考えられないですね。

東: そこまで考えた上で。柔道マンガには「理にかなった得意技は必要だけど、必殺技は不要」。こうまとめて良いかと思います。
 

今回のまとめ

古田: 長い時間ありがとうございました。私自身もなんとなく感じているだけであった「柔道マンガ」というジャンルに対する評価の視点が、だいぶはっきり整理された気がします。

東: かなり駆け足ではありましたが。

古田: 今回のお話をまとめてみたいと思います。講義を受けての、生徒側によるメモ作成ということで。


●スポーツマンガの基本構造確認

(1)「課題設定(ライバルの出現)→課題克服のための努力(練習)→課題を乗り越えられたか(試合)」の繰り返し

(2)(1)にプラスして、競技を離れた部分での登場人物の掘り下げ(日常の世界観の構築による共感獲得)。

●日常の世界観の構築が他スポーツマンガ以上に重要

理由:柔道の競技特性により、バトルシーン自体の魅力に頼り得る比率が低い

・個人競技である(複数のメンバーの個性を組み合わせて展開を作るのが難しい) 
・試合時間が短い(伏線と回収というような有機的展開が1試合の中に仕込みにくい)
・決着に複数の手順が必要(いきなり必殺技それ自体を見せ場にすることが難しい)

世界観を作るには:感情移入の入り口を適切に設定し、共感を得られねばならない(※後述)。
失敗パターン:日常の描写で世界観が作り切れず、単調なバトルと修行の繰り返しに陥る


●世界観を構築する(≒共感を得られる)ための注目ポイント

 ①柔道を始める動機 <初心者/経験者/最初から強い>
 ②上昇装置をどう定めるか?
※急激な成長には納得のいく理由が必要
※キャラクター造形に密接に関連
・基本は「素質」と「環境」2項の掛け算
・「素質」の部分に生活に根差したものがあるとわかりやすい

 ③必殺技の有無 
※「理にかなった得意技」の程度設定と描写力が世界観を分ける

 ④畳を離れたところでの日常描写の巧拙、厚み(後述)

●日常描写の注目ポイント

 周辺の人物(仲間・恩師・先輩・同期・後輩・恋人)の描き込み≒周辺の人物にも感情移入し得る物語があるか?

・主人公(とライバル)とは違う目標が設定できる
・主人公の成長のきっかけや気づきになり得る

●「ライバルのインフレ」をどう避けるか?

※実は作品における最重要ポイント

・終生のライバルは早めに登場させ、かつレベルを高く
・以後のライバルはそこに到達するためのスモールステップに。
・終生のライバルも成長させることが大事。

●次回以降も使用するターム

 ・「ビッグ5」・・・「柔道部物語」(小林まこと)、「YAWARA!」(浦沢直樹)、「帯をギュッとね」(河合克敏)、「花マル伝」(いわしげ孝)、「柔侠伝」(バロン吉元)


東: ほぼ過不足ないかと思います(笑)。以上挙げさせていただいた視点を軸に、毎回柔道マンガを論評したり、味わっていったりしたいと思います。

古田: はい。長い時間、ありがとうございました。

東: では次回。第1回目はきょうのお話にも出て来ました「からん」を取り上げてみたいと思います。

古田: 来ました!この連載の姿勢を示すにはこれ以上の作品はありませんね。

東: はい。良いところ、そして弱点と、「柔道マンガ」の可能性を存分に語り得る作品かと思います。

※ eJudoメルマガ版5月11日掲載記事より転載・編集しています。

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