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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第99回

(2020年4月27日)

※ eJudoメルマガ版4月27日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第99回
私がこの国民体育を考察した理由は、一面に今日まで行われている柔道の形・乱取の欠陥を補おうとするにあるのだから、平素形・乱取を修行するものも、そこに留意してこの体育を研究もし、また実行もしなければならぬ。
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嘉納治五郎師範

資料提供 公益財団法人講道館
copyright:Kodokan Judo Institute

※写真の無断転載および転用を厳に禁じます

出典:「精力善用国民体育と従来の形と乱取」
    柔道2巻6号 昭和6年6月 (『嘉納治五郎大系』8巻214頁)

本連載では、これまで嘉納師範が構想していた講道館柔道が勝負(武術性)を重視していたこと(第4回第22回第29回第70回など)、また、師範が生きていた頃から、その理想と実際に行われている柔道には隔たりがあったことを紹介してきました。

そんな状況の打開策として(だけではありませんが)、師範が考案したのが「精力善用国民体育」です。晩年の師範の肝いりで全国展開がなされ、世界規模での普及も考えられていた「形」です。
残念なことに、師範の熱心な普及にもかかわらず、戦後は廃れてしまいます。現在は、時々、講道館の鏡開式で披露されるものの、一部でしか受け継がれておらず、知る人も少ないのが実情です。師範、晩年の熱意を考えると、寂しい限りです。
 
今回の「ひとこと」で「私(嘉納師範)が考察(としていますが、恐らく考案と思われます)した「国民体育」というのが、この「精力善用国民体育」です。
一体、どのような点で、形・乱取の欠陥を補うことが出来るのでしょうか。全ては紹介できませんが、いくつか、抜粋・要約しますと、まず、動かす筋肉に偏りがあるのを補正するということをあげています。乱取では、どうしても、使う筋肉に左・右、屈筋・伸筋で差がでてくると言いますが、それをバランスよく発達させることが出来るということです。

また、武術としての講道館柔道を考えたとき、当身(あてみ:突きや蹴りのこと)は必須(第70回)ですが、それを学ぶことが出来るとしています。そして、当身を学ぶことが乱取を行う時の姿勢を正しくするのに役立つと師範は主張します。
さらに、他の形と比較したときの特徴もあげています。「柔の形」と重複しているところもありますが一部取り上げると、<場所、格好を選ばず行える><少しの時間でも出来る><一人でも出来る>といったことが上げられています。

道場に集まり、道衣を着て、他者と接触する稽古が、いわゆる三密状態に該当しがちな今、1人で、場所を選ばず、どんな格好でも出来、かつ「講道館柔道」の「勝負」法も学べる「国民体育」。今こそ再評価されるべきだと思います。

ここまで、「精力善用国民体育」の具体的な内容はほぼ触れずにきましたが、皆さん、少し興味が出てきたのではないでしょうか。
 
著作権等、大人の都合もありますので、ここでは、国会図書館のwebで公開されている「精力善用国民体育」の先行モデルとも言える『攻防式国民体育』を紹介します。名称は違いますが、内容はほぼ変わらず、文章は難しく見えますが、慣れればそこまででもありません。イラストも入っていますので、何となく出来ると思います(※)。是非、閲覧ならびに実践していただき、師範が望んでいたものの一端を感じ取っていただければと思います。

※嘉納治五郎師範のことを「言説の人」と位置づけた社会学者・井上俊先生は、ご高齢にもかかわらず、この「精力善用国民体育」を実践してみたそうです。その感想は・・・
詳細は以下のシンポジウム報告をご覧下さい→第3回 奈良女子大学 オリンピック・公開シンポジウム採録「嘉納治五郎が構想したオリンピック: 日本におけるオリンピズムの需要と展開」


著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

※ eJudoメルマガ版4月27日掲載記事より転載・編集しています。

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