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【eJudo’s EYE】東京五輪代表12階級内定「評」①総評

(2020年3月9日)

※ eJudoメルマガ版3月10日掲載記事より転載・編集しています。
【eJudo’s EYE】東京五輪代表12階級内定「評」①総評
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代表発表会見に臨む井上康生男子監督、金野潤強化委員長、増地克之女子監督

→②各階級評
文責:古田英毅

代表内定発表、「評」をお届けする。まずは総評から。

まず、ざっくり言って非常に妥当な選考。少なくとも現在の選考制度にしっかり沿ったものであり、そのプロセスに理不尽なものはなかった。ここまで節目が訪れる都度、強化は現時点の選考の進捗をきちんとメディアに発信し、何より選手本人に現在の立ち位置と次の大会の重要性、この先ありうる条件分岐を説明して来ている。事ここに至って無理筋の選考など出来ようはずもない。欧州シリーズ派遣陣形を決めた時点で「1番手はデュッセルドルフに派遣」「競っている階級のみ同時派遣」「1番手が優勝すれば内定」「2番手はグランドスラム・パリで優勝しなければ脱落」との合意形成が出来ていた(と推測する)以上、今回の強化委員会における選考はもはや確認作業に近いものであり、よって議論も極めて穏やかであった。

(ちょっと脇道に逸れると、つまり選考の最終的な山場はここではなく欧州シリーズ派遣陣形を決める強化委員会であったということだ。おそらくそこでは相当に熱い議論が交わされたと推察する。もしも今回の選考に「ありえない」と言うファンがいたとしたら、彼らが本当に騒ぐべきはこのタイミングではなく、欧州シリーズの派遣陣形がわかった時点であったはず。そしてその派遣陣形の意味をよく理解できていたリテラシーの高いファンは、その選考を妥当なものとして受け入れて、敢えて大騒ぎしなかったということと解釈している)

だから、もし仮に強いて何かを注文するとすれば選考制度自体、あるいは強化委員会のありようについてということになる。各階級評、特にファンに「競っている」と認識されていた男子60kg級(強化サイドの主張の説明と補強という趣旨になる)と90kg級(内定ありきの制度に救われた感あり、今後の選考に示唆するものがもっとも多い階級だ)についてはこの後「各階級評」で書かせて頂くが、まずは上記から。

■ 選考制度
選考制度。巷間、井上康生監督がギリギリで落選した選手の心情をおもんばかって流した涙に共鳴する声と、同時に「最悪」と大批判を受けたロンドン五輪代表発表会見の様子や、「鶴の一声」で代表選手が入れ替わったとの噂もあった北京五輪の代表選考と引き比べて、現体制の成熟を称賛する声が多く聞かれた。筆者も同感だ。フェアネス(≒透明性)と、「勝ち得る選手を見出す」強化の裁量のバランスを取らんとした制度設計が相応に良く機能していると感じたし、カリスマ監督が発表会見の場で敗者のために涙を流せてしまうというパーソナリティ、そこで生まれるであろう求心力にはあらためてこの体制の強さを感じた。本当にいいチームが出来たと思う。あの、選手全員を発表会見の場に説明なしで引き出して敗者の表情をTV画面に晒し、その上委員長が選手の名前を読めないという、明らかに選手と首脳陣が意思疎通を欠いたロンドン五輪発表時などとは、比べるもおこがましい。2012年末からのいわゆる全柔連問題という劇薬をトリガーに、強化陣は8年間本当によく頑張ってきた。

それでも敢えて言えば3つ。真の評価は五輪の結果が出てから為されるべきなので、あくまで現時点での評であることはお含み頂きたい。

1つ目は早期内定制度について。まず、これは歓迎する。アスリートファーストの視点からも、また一種淡々と代表が決まるというイベントとしての静謐さからも(代表決めの大一番を社会に盛り上げられすぎ、代表権獲得の達成感に浸らせてしまうことが選手を益するとは思えない。五輪出場決定はあくまでスタートのはずである)、また社会に対しての説得力という観点からも(リオ五輪の最終選考会が「大会は大荒れも選考は穏当」という様相になったことで、極めて論理的な選考であったにも関わらず社会の誤解を招いて一般スポーツファンからの批判に晒されたことを思い出して欲しい)、高く評価したい。過去の選考とはまさに一線を画した。

ただし課題がないわけでもない。内定にはどうしても客観的な説得力が要るので、立場の差を可視化すべく「たとえ小差であっても、節目節目で立場を分ける」ルーティンを続けて来たわけだが、この制度では必然的に「実力は拮抗も、制度的には大差」という状況が生まれやすい。まさに「差」を生み出すための制度なのだから当然といえば当然だが、これが本質的な評価システムとして機能していたかどうかは精査されねばならないと思う。個人的には、「競っている」と巷間噂されていた2階級のうち、60kg級はこれが十分機能したと観察する。力は拮抗していたが、強化陣が重視する「誰もがフォーカスする大一番の世界大会で勝てるかどうか」がフィルタとして機能し、両者の成績の特性があぶりだされた結果として、制度的には綺麗に差がついた。最終的な評価は五輪終了を待たねばならないが、少なくとも強化のポリシーがきちんと選考に反映されたと言って良いだろう。比べるに90kg級は、内定ありきのシステムに1番手選手が救われた面が強いと考える。節目ごとに残した成績が評価のタイミングに噛み合ってシナリオ的には力以上に浮上した向、一方で成績や直接対決における勝利のアドバンテージという「点」が選考シナリオを駆け上る「線」になり切れず最終ステージを迎える前に実質脱落した長澤。このあたりを考えるにあたり、60kg級が日本が極めて強い階級であり、90kg級が誰もが勝ち切れない弱点階級であったことは非常に興味深い。後者のような場合は、節目が訪れる都度、内容面にまで踏み込んだ評価と反映のシステムが必要になるのかもしれない。

2つ目。「強いて言えば」の範疇に入ってくるが、制度の中に伯楽的な視点、「勝ち得る選手を見抜く」という要素をこの先どう取り込むかについては、さらに知恵を絞るべきという余地を感じる。ここで言う伯楽的視点とはたとえば、本来五輪の特性にもっとも叶った「今が伸び盛りで本番にピークが訪れる選手をピックアップする」ことであったり、3年間(選考対象期間は2年間)の中で「近い時期の実績」のアドバンテージをどう序列に反映するかなどだ。これはかつてこの要素が強すぎた歴史的経緯による長い目で見た「揺り戻し」であると捉えることも出来るし(弱点を克服せんとの意志が強く反映されてしまうのは制度設計における一種の必然だ)、選考対象選手のレベルが高すぎて公平性を重視せざるを得ない日本の特性に合わせて敢えて涙を呑んで切り捨てた部分と考えることも出来るし、透明性を追求せざるを得ない時代の要請と取ることも出来る。(強化委員会の中では選抜体重別まで待つと所謂「終末効果」が高くなりすぎるのではないかという見解が述べられる場面があったが、これなどは現体制の、対象期間トータルの成績で判断しよう、選考プロセスを尊重しようという「フェアネス」への傾倒を強く感じさせる一幕であった。)

とはいえ、言っておいてなんだが、実は筆者もこれに有効な案を持たない。
現制度は既にかなり論理的。候補選手の国際的なレベルが高すぎるこの国の柔道競技にあっては、これぞという選手に実績が足りない場合の「一本釣り」などもはや不可能。国際大会の成績の積み重ねを以て振り落としていくという客観的な結果重視のシステムの採用は必然であるし、対象大会のランク評価システムも実情を可能な限り数字に反映させんとした労作と評価する。五輪という場の特性に鑑みた「世界選手権重視」の姿勢も(このあたりが「勝ちうる選手を見出す」強化のポリシーが発露されているところである)まことに妥当なものだと考えるし、選手に調整期間を与えんと奮闘を重ねてようやく得た早期内定のシステムも前述の通り高く評価する。選手に都度現時点での立ち位置を説明してコンセンサスを得るという「運用」の面も丁寧。8人参加の選抜体重別を最終予選に設定しているという致命的なエラーを除くところまでには至らなかったが、今回に関しては早期内定制度の運用でこの穴をほぼ埋め、現時点では「出来得る限りのベター」であると思う。

であるので、ここで語った「伯楽的視点の盛り込み」はあくまで足し算要素として未来に向けて挿し込んでおく、付箋であると理解して欲しい。2016年まさに今が旬の阿部一二三を制度上ピックアップできなかった時点で、もうこれだけ競技者の層が厚くなった国では「ポッと出」を選抜するシステムの構築は不可能であるといったん結論が出た気もするのだが、この先我が国の競技の状況がどう転ぶかは誰にもわからない。積み重ねてきた実績のアドバンテージと、「飛ぶ鳥落とす勢い」のグラフをクロスさせる特異点はどこなのか。常に実勢にあった最善の選抜が出来るよう、こういう項もあることを忘れてはならないと思う。

3つ目。それでもファンから「なぜ?」という声が上がったことは真摯に受け止めてもらいたい。これは我々メディアの責任でもあるかもしれないのだが、ここまで数年間にわたり順を追って極めて論理的に選考が進んできたこと、そして現在既に決定的な局面を過ぎていたということが一般ファンに伝わり切っていなかったかもしれない。選手に状況をじっくり説明してコンセンサスを得てきたあの丁寧さを、一般社会に向けても発揮すべきではなかっただろうか。これもこの先の足し算要素として、1つブックマークしておくべきだ。

■ 強化委員会について
制度の話はここまで。次は強化委員会のありようについて。これは前述「伯楽的視点」や「節目節目のシナリオ分岐に実力が正当に反映されているかどうか」ということに絡むのだが。

議論が意外に静かで、ちょっと驚いた。既に前回の強化委員会までで議論が尽くされ合意形成がしっかり為されていたということもあるだろうし、選考ルールがあまりに明確で事ここに至っては確認すべきこともさほど多くはない、ということと解釈はする。

ただ、言うべきことは言っておいて欲しい。強化委員はまさに背筋正さずに仰ぎ見られないビッグネーム揃い。会の結論はさておきその議論の豊かさ、濃さ自体がまさに日本代表の道標になると思うからだ。たとえば今回なら、直近のグランドスラム・デュッセルドルフにおける向翔一郎の振る舞いについては、すくなくとも強化陣の考えを糺して欲しかった。全日本柔道連盟の五輪代表選考の「法」である「強化システムに関する内規」には(4)選考対象者の資格および行動規範として「②全日本の代表選手は、日本の柔道家の中から日本代表として選抜された選手であり、日本の柔道を代表するに相応しい言動と態度をしめさなければならない。」との文言がある。ルールを知らず、時間稼ぎのために故意に帯を解くという競技マナー上も顔をしかめられる行動を以て反則負けを喫した向の振る舞いは、果たして「日本の柔道を代表するに相応しい態度」であるのかどうか。これを真っ向から問うて欲しかった。向を選ぶこと自体はいい。だがせめて強化がこの事態をどう捉えているのか、どのような指導が為されたのかをここで糺して「危うくすべてを失うところだった」と選手本人の心胆を寒からしめることは、日本の代表を選ぶものの責任として必要だったのではないだろうか。こういうことが続くと、示す道標は「勝ちさえすればいい」と捉えられかねない。

と向の振る舞いを例にとったが。「節目ごとに立ち位置の差が分かれていき、最後は大差に至る可能性がある」現制度においては、内容面にまで踏み込んだ有機的な議論が都度為されることが精度の高い選考のカギになるのではないだろうか。まず結果、次いで内容と優先順位がハッキリしたシステムが出来上がった現在なら、これが出来る(結果>内容の優先順位が曖昧な制度では議論の収拾がつかなくなる)。おそらく既に議論の俎上に上がったとは思うのだが、代表が内定した選手でも、節目ごとに突っ込まれるべきところはたくさんあった。たとえば東京世界選手権で、リオ五輪と同じく調整で他に置いて行かれたと目される髙藤のこの点の評価は?同大会でルトフィラエフに正面から吹っ飛ばされたことをどう捉えるか?向翔一郎と長澤憲大のグランドスラム大阪2019における成績は「3位と5位」であるがベスト4に残ったのは長澤1人で3位決定戦は負傷棄権、対戦予定の向は不戦勝。これはそれでも「差」になりうるのか?東京世界選手権決勝とグランドスラム大阪決勝で濵田尚里がまったく同じ負け方をしていることについての見解は?阿部一二三がマニュエル・ロンバルドに実質連敗、明らかな一本負けを誤審で勝ちを拾った「5位から3位」への成績引き上げは本当にメダル獲得として評価し得るのか?など、など。

この先強化委員に求められるのは、試合をしっかり見た上で踏み込むべきところは内容にも踏み込み、強化陣の見解をしっかりあぶり出していくことではないだろうか。既にしっかり試合を見られていることとは思うが、例えば選手たちに対する信頼関係醸成システムとして、指定全試合の視聴を義務付ける(特定の選手の試合を見ていては見解が偏る可能性がある)なども考えて良いかもしれない。

脱線だらけの稿であるがいったんここで了としたい。続いて、各階級評に移る。

→②各階級評

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