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【eJudo’s EYE】聖域を降り、鎧を脱いでさらに強くなるリネール/グランドスラム・パリ2020評

(2020年2月13日)

※ eJudoメルマガ版2月13日掲載記事より転載・編集しています。
【eJudo’s EYE】聖域を降り、鎧を脱いでさらに強くなるリネール
グランドスラム・パリ2020評
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ベルシーに姿を現したテディ・リネール。想像以上に大型化していた。

文責:古田英毅

動き極めて鈍重。技を掛け切る足腰なく中途で自ら潰れ、あっと言う間に息を切らせ、ジュニア選手が展開のスパイスとして放つ「崩し技」にすらたたらを踏んでは場外に崩れ、畳に膝を着くと、深くため息。そもそも体が大きすぎる。これまで見てきたあらゆる試合、すべての公開稽古の中で明らかにもっとも酷い状態。

7年ぶりに地元の聖地・ベルシー体育館の畳に立った絶対王者テディ・リネールの姿は、目を疑うものであった。現地情報によるとその体重実に160キロ。ベストはおそらく130キロから140キロの間であろうから、実に20キロ以上の超過。どう控えめに見ても太り過ぎだ。ズボンには真新しい折り目がくっきり、おそらくこの体形に合わせたおろしたての新品だろう。余談ながら、弊サイトが持っている最新のリネールの写真は彼がもっとも「大きかった」2019年5月の全日本合宿のもの。プレビュー記事に出すたび「実際に比べて大きすぎるな」と申し訳なさを感じていたのだが、今回に限ってこれは杞憂であった。あの時よりも、遥かにデカい。

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1回戦を戦うリネール。動きが明らかに重い。

1回戦の相手はリヒャルト・シポッツ(ハンガリー)。18歳ながら世界ジュニア選手権3位に入っているこの世代きっての強豪ではあるが、まだワールドツアーは出場自体が3回目。リネールにとっては「雑魚」である。しかしリネールは組み勝っては腰を切るのみで具体的に技が出ず、1分24秒にはシポッツが思い切って放った打点の高い左片襟背負投に崩されて場外へ。1分42秒には消極的「指導」も失う。たとえスロースタートで技が切れないときでもGS延長戦になると加速して無理やり固定しての捨身技で投げ切る、あるいは早いペースで「指導」を積んで相手にあきらめさせてしまうのがリネールのやり口だが、GS延長戦25秒に放った右大外刈は投げ切れぬまま腰が砕け、左背負投や左内股の手数稼ぎにもあっさり崩れて場外に出てしまい、到底自分のターンを作る余裕はない。この段階になるとシポッツの表情には「俺なんかが勝ってしまっていいの?」という戸惑いすら浮かぶ。結局この試合はGS延長戦1分22秒に両者に与えられた消極の「指導2」(リネール1人に与えるのが妥当と感じた)と、同2分16秒リネールの払腰に腰下を触ってしまったシポッツへの「足取り」による「指導3」で決着。なんとか初戦を勝ったわけだが、異常事態を感じた場内のざわめきは止まらず。

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ステファン・ヘギー戦。追い込んでの内股も腰が切り切れず、投げることができない。

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「待て」が掛かるとなかなか立ち上がれず。

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影浦心が内股透「一本」。リネールの連勝は154でストップ。

2回戦、かつて原沢久喜からの勝利歴があるステファン・ヘギー(オーストリア)はもう明らかに金星を狙っていた。リネールはヘギーが股中に落とす体落に崩れ、正座して帯を結びなおしては主審に立つように促され、続いて払巻込や体落を受けては前受け身の形で倒れる。三味線を弾いているわけではない。それが証拠に彼の手持ちにある「不調なりに試合を終わらせる」武器を次々繰り出し続けている。大きく振り回しての大車に、相手を追い込みながらの飛び込み右内股、組み勝っておいての捨身技。それでも、なお、投げることができない。展開を積むことも一発で打開することもままならないこの手詰まり。加えて相手は階級きっての粘着質、相手の嫌なことをやることに長けたヘギーである。見通しまったく明るくなかったが、それでも、ヘギーが色気を出したGS延長戦23秒に浮技一発「一本」。これで勝負を決めて3回戦へと駒を進めることになる。

そして迎えた3回戦、影浦心にGS延長戦の内股透「技有」で敗れたのは周知の通りだ。相性的な良し悪しはもちろんあるが、何よりこんな酷いコンディションで影浦レベルの選手に勝てるわけがない。多くの柔道ファンがこの事態を冷静に受け止めているのは、まことにもののわかったリアクションだ(お祭り騒ぎをしているのは「4年に1回だけ見る」柔道以外のスポーツファンとメディアである)と頼もしく思う。影浦が歴史に名を刻んだことは間違いなくその勝利の価値はいささかも減じるものではないが、率直に言って、よく影浦のところまで残ってくれた、連勝ストップの栄を日本人に回してくれたとホッとしたくらいのものである。

私は1回戦が終わった段階でリネールが棄権するものと思っていた。多くの識者も同様であろう。だって我々はリネールを知っているから。負けず嫌いで完璧主義者、たとえ稽古でも負けることを良しとせず組み手にこだわり、試合では自分だけが技を仕掛けられる「100-0」の組み手を作ることに執念を燃やし、イチかバチかの勝負など絶対にしない。組み勝ち、相手が疲弊し、半ばもうあきらめたところで見た目は派手な決着の技を入れて己の強さを印象づける。自身が本質的に強くなること以上に「強い自分」の自画像を守ることが好き。このリネールが、最悪のコンディションの中、この後比較級数的に相手のステージがあがる国際大会で、それもわざわざ面倒なタイプの影浦と試合を「してあげる」理由はない。

しかしリネールは出た。もし仮にスポンサーの都合で出場させられたのなら義理は十分果たしたはず。2回戦が終わった時点で棄権してしまえばいい。この後のステージで己が勝てるわけがないことは十分理解しているはずだ。つまりリネールは、自身がおそらく負けるであろうことを受け入れた上で大会に出、面倒な影浦心との試合にも敢えて負けを覚悟して臨んだということになる。

これをどう読むか。筆者は、グランプリ・モントリオール評で書かせて頂いた「リネールの進化」、リオデジャネイロ五輪後に足技を積み、次いで思い切った投げを獲得し、柔道のステージを上げて来た一連の流れに連なる行動であると考える。リネールは負けを受け入れること、というよりも「勝ったり負けたりしながら、より強くなる自分」という新しいステージの自画像を自ら選んだのである。

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2019年グランプリ・モントリオール準決勝。ルカシュ・クルパレクの健闘を称えるリネール。

2015年の来日時、リネールに「誰とやっても勝ってしまう、あなたの乱取りの目当ては?」と直接聞いたことがある。稽古には選手によって色々なやり方があり、乱取りの段階から徹底的に組み勝って勝負にこだわるタイプもいれば、敢えて鷹揚に組んで地力を養い、投げたり投げられたりしながら幅を広げるタイプもいる。その日のリネールの答えは「目の前の敵に勝つこと」だった。実際その日の稽古では「全日本王者とは知らなかった(本人談)」原沢久喜に組み負けると目をぶつけたフリをして稽古を止め、不利な組み手をリセットしてまで見た目の勝ちにこだわっていた。こういう姿勢では、絶体絶命の切所で体の奥から予想以上の力が沸きあがってくるような、あるいは周囲が知り得ない技が飛び出すような奥行きは養えないな、と思ったことをよく覚えている。

これが変わり始めたのがリオ後。勝利を目指す姿勢に変わりはないが、「指導」だけではなかなか勝てないルールに合わせたのだろうか、2017年8月のブダペスト世界選手権では組み手専心の殻を自ら抜け出し、右に左に足業を駆使して「一本」を獲る新スタイルの積み上げを見せてくれた。同年11月の世界無差別選手権を制してのち、1年半の休養を経て現れた2019年7月のグランプリ・モントリオールでは大車や内股など思い切りの良い大技を次々披露、そして勝利の後は、敵役ルカシュ・クルパレクや原沢久喜の健闘を称えた。

進化しようとスタイルを変える積極姿勢はもちろん、この「健闘を称える」人間的な幅の広がりが何よりの脅威であるという見立ては、この時のコラムに書かせて頂いた通りだ。ロンドン五輪後、全日本強化陣の「打倒リネール」の作戦は一貫して、リネールの精神的な隙を突くこと、メンタルパニックを起こさせることを前提としていた。負けず嫌いで実は臆病、絶対に勝てるフィールドでしか試合をしたがらず、自分以外の強者の存在は認めない。こういう偏狭で脆いメンタルを突くことが、リネール対策の絶対条件であったのである。相手の強さを認めたうえで、自分の勝利を喜ぶ人間としての幅。ひとつリネールの「弱点」、それも日本が突くべき決定的な穴がふさがりつつあると感じた。

そして残るリネールの弱点は、実はその「負けられない立場」自体にあった。決して負けられないという姿勢からは、前述の通り新たな境地は見出しにくい。さきほど書いた2015年の稽古時、実はリネールは新たな技の稽古をしていたのだが、掛け潰れてしまうと「おっと失敗」とばかりに苦笑してその時間内2度と掛けることはなかった。真剣なトライアルアンドエラーが技術習得の大前提である柔道競技において、これは致命的だ。また、決して負けられない姿勢を続ける限り、稽古は自身が最も得意な形のみに収斂されていくことになる。組み負けた形の稽古は減り、技術はどうしても単調になっていく。

次々新たな技術が現れる現代の柔道にあって(大会ごとに新たなトレンドが現れるといって過言ではない)、「絶対に負けない」十字架を背負い、最高のコンディションを整えたときのみに試合をするという姿勢で進化を続けることは極めて難しい。日本のように稽古相手の層が極端に厚い環境であればともかく、ヨーロッパにあって一線で息をし続けるには定期的な試合出場を続けることが常識だ。今のワールドツアーのレベルは、「絶対に負けない」枷を背負って戦えるようなものではないし、その枷の枠内でリネールが試合をしても「今の力を以てスコアで勝る」積み上げなき詰将棋ゲームを繰り返すだけ。力を養うことまではできない。

そこまでの事情があっても、そして相手を称える人間力を得てなお、プライド極めて高きリネールはこの「無敗」の鎧だけは捨てられないはず。だから、これ以上劇的に強くなることはもはやないはずというのが我々の抱く望みであったわけだが、リネールはこの鎧を自ら捨てて聖域から降りた。国際柔道のレベルアップと自身の加齢による衰えを十分勘案し、もはや「見た目の無敗」を期していては強くなれないと覚悟を決めたのだろう。

またこれは脇筋の余談だが、実務的な観点からも一言。ランキングポイントを稼ぎまくらねばならない状況に追い込まれたこのタイミングにあって、「完璧なコンディション以外では試合に出ない」姿勢を貫き続けることは致命傷になりかねない。リネールの現時点(パリ前)でのランキングポイントは1700点のみで、本当に五輪でシード権を狙うなら、デュッセルドルフ、バクー、エカテリンブルクのグランドスラム3大会に5月のワールドマスターズまで、高配点大会を全部出なければならないレベル。「指導」僅か3つで勝敗が決し、かつ新たな技術が次々生み出されて常にアクシデントの可能性がある現在の国際大会。それでもこのフィールドに飛び込まねば次の世界は開けないのである。これを戦い抜く可能性を考えるにあたり、「万の一つのアクシデントも許せない」鎧がいかに余計なものであるかは想像に難くない。

この事態。つまりはあくまで強くなりたいという強い意志と、五輪で勝つための「実務」がクロスして敢えて受け入れた敗北と解釈する。

見た目の勝利を求めるのではなく本質的に強くなることを目指す。敢えて自ら選んだこの敗戦劇は、絶対王者リネールの強烈な「名を捨てて実を取ることで、俺はもっと強くなる」との宣言に他ならない。

リネールは本気で強くなり、しかもおそらくパリ五輪まで戦う気だ。仮にリネールが、「無敗のまま東京五輪で引退する」ことを期するならこれは十分出来たはず。リスクのある試合に出ず、コンディションをじっくり整えて、来る東京五輪だけで「負けない試合」を繰り広げれば良い。それでも勝てるだけの地力はまだ十分にある。

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大会後、リネールはSNSを更新。INSEPでのトレーニングの様子をアップした。
(写真:https://twitter.com/teddyriner)

しかしリネールは勝ち逃げを選ばず、五輪後までを見据えて「もっと強くなる」道を選んだ。試合後の「ある意味でホッとした。山下泰裕の記録に近づく中で勝ち星を数えるのは重いことだった」という発言は、この見立ての線を結ぶ点として十分以上だ。

ちょっと話を小さくしてしまうが。例えば世にあまたいる「昔は強い競技者だった」指導者の方々。いまからでもさらに強くなるには、衰えた自分を受け入れて稽古に臨み、技量はないがパワーのある若年者、あるいは「今も稽古している同年代」との同格稽古に挑むことが良いに決まっている。しかし、本当に強い人々はともかく、プライドある普通の大人が、それもかつて強かったという名を負って「負けることもある」前提の稽古の荒海に飛び込むことは結構な勇気がいるはずだ。リネールは、世界一注目される立場で、これをやった。敢えて負けるかもしれない試合に臨むことで「勝ったり負けたりしながら強くなる」修行の世界に自ら飛び込むことを宣言したのである。

リネールは聖域から降りて、降りることでさらに強くなろうとしている。「見た目の無敗などもう要らない、俺はもっと強くなりたいんだ」という叫び。実際、これだけ緩んだ体を五輪までに絞り切れるのか、果たして気持ちの糸は切れないのかとの危惧はあるが、これもまた面白さ。リネールがこの先どんな柔道を繰り広げてくれるのか。最重量級がひときわ、楽しくなってきた。

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