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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第89回

(2019年11月25日)

※ eJudoメルマガ版11月23日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第89回
日本にある教えというものは、長い間の伝統であるからほとんど皆よいと認めてよかろうが、なぜそういうふうに教えられたかよく理解しておらぬと飛んでもない間違いを生ずることがある。
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嘉納治五郎師範

資料提供 公益財団法人講道館
copyright:Kodokan Judo Institute

※写真の無断転載および転用を厳に禁じます

出典:「柔道の根本精神」『大日本柔道史』 昭和14年5月 (『嘉納治五郎大系』1巻133頁)

「伝統」という言葉に皆さんはどういうイメージを持っていますか?
良いこと悪いこと、いろいろなことが浮かぶでしょう。

さて、今回の「ひとこと」では、師範の「伝統」に対する姿勢がうかがえます。
「伝統」の便利さの一つはその存在理由を「伝統だから」で終わらせることが出来ることです。皆さんも道場や職場、場合によっては家庭で「これってどうなの?」と思っていても「伝統だから」の一言で一蹴されたことはないでしょうか。
考える手間を省ける利便性、あるいは、過去成果をあげたという実績がある「伝統」には、一定以上の説得力があります。今回の「ひとこと」で言うと「日本にある教え」です。

一方で「伝統」には、その安定感ゆえに、人の思考を停止させ、新しい状況への対応が必要な時でも、変化を拒否させるときもあります。
師範は、伝統を盲信するあまり、「なぜそうなのか(そうだったのか)」を考えることを放棄すること、そしてその結果、「本質」を理解していないために起こる「間違い」を危惧します。

第38回「みだりに旧物を打破するの不可なるがごとくすべて新規なるものを善しとするのもまた大いに弊害あり注意を要す。」で触れているとおり、師範の価値観は、古いから、あるいは新しいから良いと言った、安易なものではありません。あくまでも、その時に最善か否かを基準に選びます。その選択に<本質>の理解は欠くことは出来ないでしょう。

世の中には数々の伝統があります。
中には、「創られた伝統」と呼ばれる、本来は伝統ではないのに、伝統があるように扱われるものや、俗説と呼ばれる、歴史的根拠が弱い(あるいはない)ものもたくさんあります。
情報収集のツールとして一般的なネット上には、そのような情報が散見されます。そういったものを注意深く読み解いていくのは大変です。

そんな中、すべての伝統の本質を知ることは、難しいですが、自分の深くかかわっている分野については、その伝統の正体を学ぶ必要はあるのではないでしょうか。飛んでもない間違いをしないためにも。

著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

※ eJudoメルマガ版11月23日掲載記事より転載・編集しています。

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