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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第73回

(2019年3月18日)

※ eJudoメルマガ版3月18日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第73回
柔道は決して観せ物ではない。
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嘉納治五郎師範

資料提供 公益財団法人講道館
copyright:Kodokan Judo Institute

※写真の無断転載および転用を厳に禁じます

出典:「第三回柔道聯合勝負の前後における講話」
国士2巻9号 明治32年6月 (『嘉納治五郎大系』2巻298頁)
 
<御許可ナクシテ秘事ヲ他言シ或ハ他見為仕間敷候事。>
いきなり、難しい文章ですが、これが一体何なのか、お分かりになるでしょうか?

現在の柔道修行者は、初段になる際、入門願書という青い紙に氏名等を書いて提出し、講道館に入門することが殆どです(つまり段位を持っている人は全員講道館の館員です)。昇段試験のあと、先生の言われたとおりに書いて、提出するだけのことが多いでしょうから、多くの人は何が書かれているがじっくり読むことはないと思います。
実はこの入門願書、次の様なことが書かれています。

私はこのたび講道館に入門し、柔道のご教授を受けたく存じますのでご許可下さるようお願い申し上げます。なお、入門のご許可の上は、貴館諸規則を遵守することを誓います。

初期の講道館では、入門帳に氏名等を記入、人によっては血判をしたと言いますが、その帳面の冒頭に<五箇条の誓文>とよばれるものが記されていました。その規則を守ることを誓って、はじめて入門を許されたわけです。入門願書の文言はその名残と言えるでしょう。

そして、本文冒頭で紹介した難しい言葉は、<五箇条の誓文>の1つです。
簡単に言えば、許可なく人に秘密を話したり、見せたりしませんということです。テレビで試合などが放映、ネットでも様々な動画が配信され、多くの人が簡単に柔道を目にすることが出来る今の状況からは想像できないフレーズです。
ここにいう「秘事」が何か、いくつか考えられますが、いずれにせよ、柔道が簡単に人に見せたり、伝えたり出来るものではなかったかも・・・という雰囲気は伝わってきます。柔術色の強かった頃のなごり(※)でしょう。

ここで今回の「ひとこと」になるわけですが、講道館柔道の普及振興という大衆化を目指す一方で、柔道は見世物ではないという考えも師範の中にあったわけです。

ここで言う見世物とは、観る者の娯楽になるようなもののことです。軽業師をその例としてあげていますが、柔道は、そういった観る者の楽しみになるようなものではいけないとしています。また、試合についても、修行の結果を試すためのものだと言います。だからこそ、他人の毀誉褒貶(きよほうへん:ほめたり、けなしたりすること)など関係ないのだと。自らの修行の成果を試すための試合ですから、人のために見せる、いわゆる<観るスポーツ>といった考えはなかったのでしょう。
 
ただ、大衆化を考えたとき、より多くの人に見てもらうことは必要です。見世物ではないが、大衆化のために、多くの人に見てもらわなければならない。そういった矛盾が解消されないまま、大衆の目に触れるような方針をとらざるを得ないことになります。それが日比谷における公開の紅白試合や、トップクラスの柔道家を集め日本一を決める試合を観客の前で行う、全日本柔道選士権大会というイベントへと繋がっていきます。

柔道もオリンピックスポーツの1つである以上、多くの人に観てもらうための様々な工夫は欠かせません。これからも、講道館柔道の一形態として発展していくでしょうし、発展していってほしいと思います。
ただ、その一方で、師範が言う他者に見せるためではなく、自己の修行のための講道館柔道と、修行の成果を試すための試合(※)、というものがあることも忘れてはいけないでしょう。そういったものに思いを馳せるとき、オリンピックスポーツの柔道とは異なる柔道や試合の在り方が見えてくるのではないでしょうか。

 
※この文言を変えたい旨を弟子に送った書簡に記しています。
※年に数回行われる1大会1試合のみの高段者大会などはこの考えに近いのかも知れませ
 ん。

著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

※ eJudoメルマガ版3月18日掲載記事より転載・編集しています。

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