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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第70回

(2019年1月28日)

※ eJudoメルマガ版1月28日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第70回
当身を欠いた武術は、不具の武術である。
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嘉納治五郎師範

資料提供 公益財団法人講道館
copyright:Kodokan Judo Institute

※写真の無断転載および転用を厳に禁じます

出典:「精力善用国民体育と従来の形と乱取」
柔道2巻6号 昭和6年6月 (『嘉納治五郎大系』8巻216頁)

最近、嘉納治五郎師範に関する本が立て続けに出版されています。また、テレビでもたびたび取り上げられました。これまであまり知られていなかった師範が、多くの人の目に触れる機会が増えたことは大変嬉しいことで、大河ドラマの影響力の大きさを改めて感じています。ただ、柔道にかかわる人間として少し気になることもあります。

「いだてん」ブームに伴う一連の話の中で、嘉納師範が<「柔術」から危険な技を取り除いて、近代スポーツとして「柔道」を作った>といった語りが見られます。東京オリンピックというスポーツの祭典を招致した人物という観点からですので、どうしてもスポーツの方面からの見方になるのは仕方がないのかもしれません。また、最近出版されたある本では柔道と柔術の違いの1つに(危険な技である)当身(突きや蹴り)の有無が上げられていて驚きました。確かに、オリンピックを頂点とする競技の柔道しか知らない人からすると、柔道に打撃技があることは想像できないでしょう。
 
ですが、本連載でも度々ふれているように、師範は講道館柔道の目的の1つとして、「勝負」すなわち「武術としての柔道」を主張し続けました。そのあたりの研究もある程度蓄積されていますが、学術という領域の悲しさか、一般にはあまり知られていません。
師範が危険な技を排除し、条件を限定して自由な攻防が出来るように乱取を工夫したことは間違いありません。ただ、一方で危険な技ほど、実戦では効果が高いとし、そういった技は「形」で練習するようにと言っています。師範の時代から現在まで残る形に当身への対応や当身による攻撃などが含まれているのはそのためでしょう。
そうしたことを背景とした今回の一文、師範が武術としての柔道を大切にする中で、当身を重視していたことが伝わってきます。

師範が晩年、当時の柔道が持っていた武術や国民体育としての欠点を補完する意図を含み、講道館柔道の新しい試みとして作ったのが「精力善用国民体育(攻防式国民体育)」でした。単独動作(※)と相対動作の二部で構成されたこの形には五方当、五方蹴などの当身技が多く含まれ、1人でも練習出来るようになっています。
師範が最後に作った形であり、その普及に尽力した「精力善用国民体育」。その形に当身が多く含まれていたことは、今回の「ひとこと」の精神を具現化したものであり、嘉納師範が決して危険な技を排除し、安全なスポーツとして柔道を作ったわけではないことを物語るでしょう。

なお、「不具」という用語は、現在、差別用語として扱われていますが、原典の尊重、また師範にも差別を助長する意図があったものではないということから、そのまま引用しております。

※読みやすさを考慮して引用は『嘉納治五郎大系』から行っています。
※余談ですがこの単独による当身の練習を空手からの影響とする説があります。大正11年に沖縄から上京した富名腰義珍師が空手を演技した際、その斡旋に師範が関係したことが元となっている説です。ところが、この単独による当身の練習は明治42年(師範が大日本体育協会を設立する少し前です)に師範が発表した「擬動体操」の中で「四方突」「四方蹴」として存在します。<単独による当身の稽古>に空手の影響がなかったと言い切ることも出来ませんが、現時点では、少し論拠が弱いと言わざるを得ないでしょう。

著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている

※ eJudoメルマガ版1月28日掲載記事より転載・編集しています。

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