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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第61回

(2018年9月10日)

※ eJudoメルマガ版9月10日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第61回
最も大切なる一つの心得は、対手(あいて)と自分が共々に稽古をしているのであるから、何事も自分本位でしてはらならぬということである。
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嘉納治五郎師範
資料提供 公益財団法人講道館
copyright:Kodokan Judo Institute

※写真の無断転載および転用を厳に禁じます

出典:『柔道教本・上巻』  昭和6年9月 (『嘉納治五郎大系』3巻401頁)
 
講道館柔道を修行する上で重要な理念である「精力善用」。その成り立ちは、柔道の技の原理探求の成果と言われています。

ところが、対になっている「⾃他共栄」については、成⽴経緯が明確ではありません。また、道場における柔道との関係で、師範が「自他共栄」が具体的に語った史料もあまり見られないのが現状です。
 
そんな少ない例の1つが、中等学校1・2年生向けとして師範が記した『柔道教本・上巻』の中に見られます。「自他共栄と形・乱取の練習」という項目ですが、その中で出てくるのが、今回の「ひとこと」です。

形・乱取ともに、自分本位、つもり自分のことばかり考えて稽古していたらどうなるのでしょうか?

師範は、<あいても同様の態度に出て、ついにはケンカ腰にもなりかねない>としています。お互い自分のことばかり考えていたら当然のことでしょう。「ケンカ腰!闘志あふれて良い稽古になるのではないか」と思われる人もいるかもしれませんが、師範はそうは思っていなかったようです。  

ケンカ腰の稽古がなぜいけないのか?<そういうことでは決して技は上達しない>と師範は言います。技を学ぼうと形や乱取をしていても、その目的から遠ざかっていくわけです。

では、師範がケンカ腰の稽古と対比している、互いに「労りあう(いたわりあう)」稽古ではどうでしょうか。互いに相手のことを思い稽古すると、自らを抑え我慢をすること(これは忍耐力の養成にもなるでしょう)や、相手次第では、わざと倒れることも必要になります。
そうして、互いに相手のため、つまり相手が技を体得することを心掛けて稽古をすると、それが最終的には、自分と相手(他者)、互いの利益になる、つまり、「自他共栄」になるというのが師範の考えです。

さらに、師範は次の様なことも言っています。
「自他共栄の精神をもって修行し、万事万端その精神をもって行動するような性質を、形や乱取の練習によって養うことを正しい修行の方法と考えるべき」。
修行自体を「自他共栄」の精神を持って行い、さらに、自他共栄の精神を学び体得できるような形や乱取の稽古が正しい修行だと主張します。つまり、自分本位の稽古は、講道館柔道の正しい修行からも逸脱するわけです。

強くなるためには自分勝手でなければならないと言った意見もあるでしょう。では、その強さとは何でしょうか?試合や乱取に勝つことでしょうか。師範は、そういった強さも否定はしません。しかし、それ以上に大切なものがあると考えていた・・・このことは改めて説明する必要はないでしょう。

人と共に何かをする時は、自分本位であってはいけない。とてもシンプルで当たり前のことのようにも思えますが、勝敗ということに、こだわりすぎた途端、見えなくなるのかもしれません。


※読みやすさを考慮して引用は『嘉納治五郎大系』から行っています。

著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている

※ eJudoメルマガ版9月10日掲載記事より転載・編集しています。

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