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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第59回

(2018年8月6日)

※ eJudoメルマガ版8月6日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第59回
対校勝負は目的でなく、一層遠い目的の手段である。
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嘉納治五郎師範
資料提供 公益財団法人講道館
copyright:Kodokan Judo Institute

※写真の無断転載および転用を厳に禁じます

出典:「柔道家に是非持ってもらいたい精神」 
有効の活動 6巻5号  大正9年5月 (『嘉納治五郎大系』2巻230頁)
 
対校<勝負>となっていますが、ここで言う<勝負>とは<武術>ではなく、<試合>のことです。

今では考えられませんが、かつて講道館柔道には「試合」が、ほとんど、ありませんでした。講道館創立当初から現在まで、開催されている月次(つきなみ)試合や紅白試合くらいです。
その後、柔道が普及するにつれて、試合の数も増え、野球などと共に対校戦の一種目として行われるようにもなりました。有名な早慶戦も、その一つです。

ところが、対校試合が盛んになると、その熱気が、様々な問題をうみ、識者たちによる議論も起こるようになりました。嘉納師範の生きている時代から、柔道に限らず、過熱した競技による弊害が見られたわけです。
そんな中、「柔道家に是非持ってもらいたい精神」と題して発表された論考からの一節が冒頭の「ひとこと」です。
 
師範は対校試合そのものを否定はしていません。月次試合や紅白試合、後年は全日本選士権大会などを企画し、柔道修行の奨励とした師範は、<晴れの舞台である>とも言い一定の理解を示しています。

その一方で、対校試合は、<決して柔道修行の究極の目的ではない>と断言します。あくまでも<一層遠い目的の手段である>と。であるからこそ<対校勝負に関することはすべて修行の目的に適するようでなければならぬ>と師範は続けます。ここには<勝つことを目指して真剣に柔道をしていたら、自然に人格が形成される>といった、消極的な人間形成論は見られません。
試合以外に柔道修行の究極の目的が存在し、その目的を達成するために試合がある、このことをその主張において明確に示しています。

以上が師範の考えですが、皆さんの柔道修行の究極、あるいは最終目的はなんでしょうか?普段、そういったことは考えないかもしれません。ですが、時には<柔道を何のためにするのか?(あるいは、させるのか?)>を真面目に考えることは、決して無意味なことではないでしょう。

師範の時代に比べたら、信じられないほど、数が増えた柔道の試合。毎週毎週、日本各地で大小、多くの試合が行われています。そんな中、試合をどう位置づけるか、これは皆さんの自由です。ただ、自分の柔道修行の究極の目的とは何か?が明確になったとき、自身の試合の在り方も見えてくるのではないでしょうか?


※読みやすさを考慮して引用は『嘉納治五郎大系』から行っています。

著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

※ eJudoメルマガ版8月6日掲載記事より転載・編集しています。

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