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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第56回

(2018年6月25日)

※ eJudoメルマガ版6月25日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第56回
何人(なんびと)に対してもその長所を長所をと求め捜して、益を請い教えを受くべきである。
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資料提供 公益財団法人講道館
copyright:Kodokan Judo Institute

※写真の無断転載および転用を厳に禁じます

出典:「師に対する心得」
 『青年修養訓』 35号 明治43年12月 (『嘉納治五郎大系』7巻285頁)


今で言う「教員養成系大学」であった「師範学校」。その総本山とも言えるのが、東京高等師範学校でした。その校長を長年務めた嘉納師範は、その立場から、教員の在り方について多くの記述を残しています。

その一方で、数は多くありませんが、教えを受ける側の在り方についても、述べています。今回は、そのような教えを受ける側の「師に対する心得」からの一節です。

最初は素直に人の言うことを聞いていたのが、段々、素直に受け容れなくなることがあります。成長するにつれて、自分の考えを持てば、人の話に疑問を持つのは自然なことでしょう。そういったことから、先生に対して、自分の考えをぶつけて、打ち負かそうとするようなことも出てきます。これを<自分の疑問を明らかにしようと努力すること>と表面上は似ているが、大きく違うというのが師範の考えです。疑問点を解決しようとする態度には肯定的な師範ですが、挑戦的な態度は戒めています。

生じた疑問を解決しようとした結果、実は先生の方が間違っていたということもあるでしょう。<何だよ!先生のくせに!!>なんて、思ったりするかもしれません。特に生意気盛りなときはそうでしょう。皆さんも身に覚えがありませんか?
しかし、そういった一部の非をもって全体を責めることを、師範は著しい損失としています。
なぜなら、そういった見方をすると、自分の模範とする人は、いなくなってしまうから。偉人達も含めて、殆どの人には必ず何らかの欠点はある。でも、その欠点短所を詮索するのではなく、長所を見るべきだと・・・。世の中には<暗黒面(ママ)弱点のみを指摘することを喜びとして、良いところを見ることを知らない人がいる>とし、そういった人を「憐れむべき」、つまり可哀想だと師範は言います。

小学校では先生の言うことを聞いていた子どもが、中学校で成長することにより、先生の短所に気づくようになり、そのことが原因で先生を重んじなくなると師範は言います。しかし、そういった人たちこそ、人の長所を見るべきだと述べます。
なぜなら、それが自分の修養になり、正当かつ愉快に師に接する道になるから。

人は成長により、他者の欠点が見えるようになります。これは先生だけではなく、親、または会社や組織における上司等に対してもそうでしょう。そして、その人の一部に過ぎない欠点、あるいは間違いを取り上げて、批判したくなることも少なくありません
 
昨今、人の欠点や失敗ばかりに注目し、批判する風潮があります。ときに、それが、偏った、あるいは不確かな情報を基に行われていることもあります。しかし、それが果たして自分の成長や愉快に生きることに繋がるでしょうか。

「師に対する態度」として、述べられた「ひとこと」ですが、お気づきの通り、人間関係全て言えることです。他者に対して寛容になり、間違いや短所ではなく、その長所に目を向けることにより、自らを高めようとする方が、より良い人生を送るのに必要なことではないでしょうか。
 

※読みやすさを考慮して引用は『嘉納治五郎大系』から行っています。

著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

※ eJudoメルマガ版6月25日掲載記事より転載・編集しています。

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