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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第55回

(2018年6月11日)

※ eJudoメルマガ版6月11日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第55回
精神の自在とは怒りたくとも怒ってはならない時には怒らず、悲しい事に出会っても悲しんではならないと思えば決して悲しまないというように、辛苦に遭っても寒暑に際してもこれらに制せられないことが最も肝要である。
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資料提供 公益財団法人講道館
copyright:Kodokan Judo Institute

※写真の無断転載および転用を厳に禁じます

出典:「大正五年一月十五日の講話-嘉納塾教育の根本精神-」
嘉納塾同窓会雑誌 35号 大正5年9月 (『嘉納治五郎大系』5巻86頁)
 
最近、「身心自在」という言葉を目にする機会が増えました。嘉納師範が遺した言葉の1つです。もっとも「心身自在」と記しているものも少なくなく「身と心、どちらを先にするのが正しいか?」また「心を先に書いているから身より心を重視していた(あるいはその逆)」と言った話も耳にします。

ただ、筆者の見たところ、師範は<心と体に相関関係がある>とは言っていますが、どちらがより重要、あるいはどちらに優先順位があるといったことを明確にした記述はありません。うがった見方をすれば、その時の気分次第だったとも考えられます。少なくとも、記述の順番に意味があったことをうかがわせる資料は、今のところ、見つかっていません。

今回の「ひとこと」は、「身」と「心」のうち「心」の自在についてです。記述は「精神の自在」となっていますが、「身心自在」(この資料は「身」が先です)について触れた流れで出てきますので「精神=心」と捉えて問題ないでしょう。
 
「心の自在」。この言葉だけですと、何か雲を掴むような感じですが、師範の解説は非常に分かりやすいのではないでしょうか。

<悲しいこと>や<怒りたいこと>があっても、その感情を抑える必要があれば、抑える(怒るなとか悲しむなと言っている訳ではないことに、注意が必要です)。また、辛いことや苦しいこと、さらには暑さや寒さといった環境にも負けることなく、自分の「心」をコントロールする。

これを「心の自在」としているわけです。外部からの影響を受けない「心の独立」と言い換えることも出来るでしょう。第45回で紹介した「ひとこと」に内容は近いかもしれません(http://www.ejudo.info/newstopics/003318.html)。ただ、この時は、「怒り」についてでしたが、今回は精神全般にわたる内容になっています。

このような「心の自在」を講道館柔道の修行を通して体得するわけです。

さて、講道館柔道の元となった柔術を含む、近世の武芸にとっても「心のあり方」は重要な課題でした。時代劇でも有名な柳生新陰流・柳生宗矩が記した『兵法家伝書』には次のような短歌が載せられています。

<心こそ心迷わす心なれ 心に心心許すな>

命が掛かった真剣勝負を前提とする近世武芸は、その課題を解決するために、禅等の宗教から「心のありかた」を学び、その思想を取り込んでいきました。結果、日本の武芸は単なる技術から哲学的な思想をもった深みのある文化へ変容することになりました。
その一方で、非常に複雑かつ難解な内容になったきらいもあります。紹介した短歌には、心が6回も出てくる上、同じ表記でも意味が異なる2種類の「心」が入り交じっています。一読して意味が分かる人は少ないのではないでしょうか。

これに対して、師範の教えは(言い回しは少し古いかもしれませんが)、単純明快、実感を伴った理解が容易です。より多くの人に自分の考えを伝え、理解してもらいたい、そういった師範の心のあらわれでしょう。


※読みやすさを考慮して引用は『嘉納治五郎大系』から行っています。

著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

※ eJudoメルマガ版6月11日掲載記事より転載・編集しています。

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