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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第52回

(2018年4月22日)

※ eJudoメルマガ版4月23日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第52回
柔道は手段学というても不可なきものであって、その修行はすべの成功の最良手段を攻究するにあるのであるといってもいい。
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資料提供 公益財団法人講道館
copyright:Kodokan Judo Institute

出典:「上段の柔道について」 柔道 4巻8号 大正7年8月 
(『嘉納治五郎大系』2巻63頁)

本連載48回において、嘉納師範が講道館柔道を上・中・下段の3つに分けて説明したことを紹介しました(http://www.ejudo.info/newstopics/003369.html)。その中で、筆者は以降、この様な説明が見られないことから試験的なものだったと推測しました。

ただ、正確に言いますと、柔道を3つに分けて説明した「柔道」4巻7号の次の号で<上段の柔道>について「上段の柔道について」という、そのままのタイトルで改めて言及しています。今回の「ひとこと」の引用元です。
 
今回の「ひとこと」で、師範は講道館柔道の修行を、「成功のための一番良い方法を攻究(=熱心に研究すること)するための手段学と言っても間違いではない」と主張します。講道館柔道が「心身の力を最も有効に使用すること」を学び、それをあらゆることに応用できるとする考えからは当然のことでしょう。

手段には必ず<目的>があります。つまり、手段とはその目的を達成するための方法です。

では、その<目的>について、師範はどう考えていたでしょうか?
人は生きる上で、様々な目的を持ちます。そして、そのあらゆる目的に対応出来るのが柔道の修行の成果である「心身の力を最も有効に使用する」ということです。しかしながら、師範の考える<目的>とはズバリ「社会への貢献」、つまり<世の補益>であったと考えます。

単純に<世の補益>と言っても、それぞれの立場や能力によって、出来ることは違います。
そうすると同じ<世の補益>でも、具体的な内容は当然異なるでしょう。個々人、様々な目的を持ちます。しかし、いずれの<目的>も、それぞれの立場で「世の補益」に適う様にするべき、というのが師範の主張だと思います。

このことを裏付けるように、同じ資料内で師範は<すべての人の真価は、生涯でどれだけ世の中に貢献したかで決まる>と述べています。また、嘉納師範遺訓で言えば<世の補益>にあたる<上段の柔道>だけ改めて取り上げたところに、師範が<世の補益>というものをいかに重要視していたかが分かります。
 
ただ、ここまでですと、個人よりも社会を重要視する、滅私奉公的な思想だったとも取られるかもしれません。しかし、師範は社会の向上が、その社会の構成員である人々に利益として還ってくるとも考えていました。もっとも嘉納師範遺訓に代表される「己の完成」「世の補益」だけでは、そういった師範の主張は汲み取れません。

そういった面も考慮しながら、「世の補益」という思想が、他者と自分が共に栄えるという、いわゆる「自他共栄」に継承されていくと考えていますが、いかがでしょうか。


※読みやすさを考慮して引用は『嘉納治五郎大系』から行っています。

著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。


※写真、記事の無断転載および転用を厳に禁じます

※ eJudoメルマガ版4月23日掲載記事より転載・編集しています。

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