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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第51回

(2018年4月9日)

※ eJudoメルマガ版4月9日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第51回
予が説かんとするのは、柔道の真髄を会得している者の間には、喧嘩紛擾(ふんじょう)は容易に起こるものではないということなのである。
出典:「柔道と喧嘩紛擾」 有効の活動 7巻10号 大正10年10月 
(『嘉納治五郎大系』2巻165頁)
 
「予」などと少し時代がかった一人称は、言うまでもなく嘉納治五郎師範のことです。
 今回の「ひとこと」で、師範は柔道の真髄を身につけた人同士では、ケンカや紛擾(ふんじょう=もめることや紛争のこと)は簡単に起こらないと主張します。

なぜ、柔道の真髄を会得すれば、ケンカや紛擾などの争いごとは簡単に起こらないのでしょうか?単純に言えば、争いごとは「心身の力を最も有効に使用する」という柔道の真髄に反するからです。師範は争いごとの多くは<双方の損害となって終わる>と言います。そしてその原因を<感情を制する事が出来ない>または<目の前のことばかりで、広く遠く物事を見ることができないため>としています。これは争いごとの多くに通じるもので、労資の争いも同様であると述べています。

もっとも、一方で同じ争いごとでも、有効の活動と考えることが出来るものがあると注意を促しています。真理の追究や、利害を討究するために、意見を戦わせる、いわゆる「議論」です。もちろん、生産性のない、俗に言う<不毛な議論>は当てはまらないでしょうが・・・。

では、どのようにすれば、ケンカや紛擾で、精力を無駄に使わずにすむのでしょうか。
もちろん、「柔道の真髄」を会得することですが、師範は他にも「おのれの感情を支配し、物事を感情にもって可否することのないように、平素の修養が必要」と述べています。感情に流されることで、争いごとが起こる以上、感情をコントロールすることが大切であり、そのために、普段から訓練が必要ということです。そして、その訓練に講道館柔道の修行が含まれているのは言うまでもないでしょう。

もう1つ考えたいのは<なぜ、このようなメッセージを発信する必要があったか>です。
師範は引用元の冒頭で、「喧嘩紛擾」と「柔道」という言葉を結びつけると、ケンカや紛擾の時に、相手に勝つ便利な技術を連想する人がいるが、その逆であることを主張したいため、と動機を記しています。

何となく、回りくどい言い方ですが、裏を返せば、世間にそういった誤解があり、それを解くため、ともとれます。柔道修行者の多くが真髄を会得し、それを社会生活で実践していれば、あえてこのようなことを言う必要もなかったでしょう。ところが、そうではない状況があった・・・。

世間の人達への弁解であると同時に、柔道修行者に対する戒めにも思えるのですが、いかがでしょうか。

今回の「ひとこと」、今を生きる我々柔道修行者への戒めになると同時に、講道館柔道の真髄を会得したか否か、その指標になるかもしれません。

※読みやすさを考慮して引用は『嘉納治五郎大系』から行っています。

著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

※ eJudoメルマガ版4月9日掲載記事より転載・編集しています。

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