PAGE TOP ↑

柔道1

柔道2
柔道4 柔道5

eJudoとは?情報募集・お問い合わせサイトマップ

【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第47回

(2018年2月5日)

※ eJudoメルマガ版2月5日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第47回
人が着物が汚れたり損じたりするからとて活動を控目にすることがある。
私はそういう人は着物を着ているのではなく着物に着られているのだと評している。
出典:「精力善用国民体育に関する本会の期待」 作興10巻4号 昭和6年4月
(『嘉納治五郎大系』8巻207頁)
 
「衣」「食」「住」。人が社会生活を普通におくる上で欠かせないものです。

「精力善用」「自他共栄」で社会を変えようとしていた師範にとって、この3つのあり方を考えるのは自然なことでしょう。今回はその中で、「衣」についての「ひとこと」です。
講道館柔道の創始者、東京高等師範学校校長、大日本体育協会(日本体育協会・日本スポーツ協会の前身)の創始者といった肩書きを持つ師範から連想しにくい話かもしれませんが、お付き合いください。

さて、衣服を「精力善用」で考えるとはどういうことでしょうか。
<目的に応じて、無駄のないものを考える>といったところでしょうか。では、衣服の目的とは・・・。こう考えると少し堅くなりますので、人が「精力善用」をしようとした時、衣服で重要視しなければいけないこと何か?と少し問いを変えてみましょう。
師範は、<衛生と着心地>の2つをあげています。
もちろん、儀式などの特別な場合は、装飾等の見栄えも重要視する必要があります。ですが、普段着る服ではこの2つが大事だと言います。見かけなど気にしないところが師範らしいところです(もっとも人を不愉快にするような外観はNGだったと思われます)。

さらに、師範は条件をもう1つ加えます。
冒頭であげた師範の3つの肩書き。これらはいずれも、「体育」に関わるものです(師範は東京高等師範学校長として、「体育」の振興に多大な貢献をしています)。
師範の理想とする「体育」は「国民」全員がわずかな時間を利用し、場所の制限もなく、自主的に行えるというものでした(他にも条件はありますが割愛します)。普通は、こういった理想に適った「体育」を作ることに、目が行きがちです。そして、その後は組織や宣伝といった面から普及の方法を考えるでしょう。

ところが、師範は、「擬動体操」や「攻防式国民体育」「精力善用国民体育」など体育そのものを考案すると同時に、普段の服装にまで言及しました。わずかな時間でも出来る「体育」を目的としている以上、身体を動かそうと思った時にすぐに動ける、動きやすい服装が良いというのが師範の主張する3つ目の条件です(師範は「便利」という言葉を使っています)。「体育」を国民の生活に密着させようとする師範の思いがうかがえます。
 
<衛生と着心地>さらに、動きやすい服、これが師範の目指す精力善用で考える服の姿だったと言えるでしょう。そういった観点からみると、洋服は窮屈すぎ、日本服(和服)は活動に不便としています。将来的に、理想の服を考案しようと思っていたようですが、まずは当時の服装を社会の習慣が許す範囲で変えていくというのが師範の考えだったようです。

以上のような考えを持つ師範からみると、着物(和服のことではなく、衣服全体のこと)が汚れないか、破れないか等と気にして、自身の活動を制限されている人の姿は<精力の最善活用>ではなく、<精力の「不」善活用>。本末転倒そのものだったでしょう。
 

※読みやすさを考慮して引用は『嘉納治五郎大系』から行っています。

著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

※ eJudoメルマガ版2月5日掲載記事より転載・編集しています。

→eJudoトップページに戻る
→「ニュース・マッチレポート」に戻る
→「書評・DVD評」に戻る




supported by KAYAC 運営会社サイトポリシー  RSS copyright (c) 2005 ejudo all rights reserved.