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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第45回

(2018年1月8日)

※ eJudoメルマガ版1月8日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第45回
怒るということはいたずらに精力を消耗するのであって、何の益するところがある。
出典:「精力の最善活用」 大勢 1巻1号 大正11年(1936)4月
(『嘉納治五郎大系』9巻10頁)

はじめに言い回しから。少し古めかしい「何の益するところがある」は<どんな得があるだろうか、何もない>と言ったところでしょう。
今回の「ひとこと」は<怒るということは、心身の力の無駄な消耗であって、何の利益もない>と怒ることを戒めています。

大正11年(1922)は嘉納治五郎師範の思想を見るとき特に注目される年です。それまでの考究の結果であり、その生涯の結晶というべき思想「精力の最善活用」(精力善用)を公式に発表した年だからです。
この思想は、講道館柔道の文化的な側面をさらに社会にアピールし、日本のならず世界を変えていこうという意図のもと立ち上げられた「講道館文化会」の設立と同時に発表されました。かかる重要なタイミングでの発表であったことに、嘉納師範の並々ならぬ意気込みがうかがえます。

残念ながら、この活動はお膝元である講道館が後年「現実的に見て大きな成果を挙げるに至らなかった」と評しているように、決して成功だったとは言えません。
ですが、師範の思想を継承しながら、何ごとかをなそうとするとき、我々は単に「精力善用」(あるいは自他共栄)という言葉だけを振り回すのではなく、その内容を深く知る必要がある、というのが筆者の考えです。この発言についても、もう少し踏み込んで考えてみたいと思います。

さて、嘉納師範が述べる「精力善用」のあり方の1つが、<おのれの心を修めるよりどころ>です。怒りや悲しみ、不平不満、いろいろと悩み苦しむこと。これらは人が生きる上で、どうしても避けがたい感情でしょう。ですが、これらは全て精力の善用ではないと師範は言います。
さらに師範は<そういう呑気なことをしている暇があれば、なぜおのれを磨き人のために尽くし、そういった感情がうまれないよう努力しないのだ>とも言います。

誤解を生みそうな発言ですが、師範は感情そのものを否定しているわけではないと思います。人が人である以上、こういった感情を完全になくすことは出来ないでしょう。ただ、わき出る感情に振り回されず、「これは『精力善用』か?」と考え、自らを律する。このことの重要性について発言していると推察されます。それはあるときは、理不尽に対する怒りを八つ当たりや愚痴にするのではなく、「なにくそ」という思いで、さらなる努力を行うという、プラスの方向(精力善用)への舵切になるでしょう。

この感情を認めながら、そこに振り回されないようにするという考えは、「第二の矢」「主体的であること」等、色々な言い方や表現が古今東西にあります。古今東西あるということは、それだけ人類に普遍的なものと言えます。師範はそれを「精力善用」から説いたといえるでしょう。
 
すでにあるものをあえて「精力善用」という概念で説く。ここに師範の苦労があるのですが、それはまた別の機会に。


※読みやすさを考慮して引用は『嘉納治五郎大系』から行っています。

著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている

※ eJudoメルマガ版1月8日掲載記事より転載・編集しています。

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