PAGE TOP ↑

柔道1

柔道2
柔道4 柔道5

eJudoとは?情報募集・お問い合わせサイトマップ

【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第40回

(2017年10月23日)

※ eJudoメルマガ版10月23日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第40回
いかなる困難にも自ら進んで向い、その困難を征服する事に無上の愉快を感ずるといった精神を学生時代にうえつける教育の必要を私は痛感する。
出典:「私の始めて英語を習った頃」英語青年59巻2号 昭和3年(1928)4月
      (『嘉納治五郎大系』未収録)
 
「強盗慶太」などと物騒なあだ名で呼ばれた人がいます。
東急グループの実質的な創始者で、運輸通信大臣もつとめた五島慶太です。その企業買収のやり方から冒頭のあだ名を付けられたようですが、この五島氏、東京高等師範学校に籍を置き、嘉納師範の「修身」の授業を週に1回、1年間受けたそうです。
 ところが、この「修身」の授業、五島氏によると<「なに、こんなこと」「なにくそ」そういうことしか教えない>。はじめは変わったことを言うと思っていた五島ですが、結局、師範学校で学んだことのうち、はっきりと心に残ったのは、この教えだけだったと言っています。

嘉納師範は非常に英語が堪能な方でした。アジア初のオリンピック委員をつとめ、東京にオリンピックを招致出来たのも、その語学力によるところが大きいでしょう。残された英文日記もその英語力の高さを物語ります。

では、師範はこの語学力はどのようにして身につけたのでしょうか。英語に限りませんが、師範が学生のころ、日本で初めての大学が出来たとは言え、学習環境が整っていたとは言えません。外国人教師から直接学べると言っても、学習法が確立されているわけでもなかったでしょう。そこには様々な苦労や困難があったようです。

例えば、学生5人に対して本が1冊しかないため、時間を決めて、それぞれ使うことがありました。この時、師範の割り当てられた時間は、午前1時~午前5時だったとか。そのため、夜中に下宿を出て学校に行ったそうです。他にも、今では考えられないエピソードが残っていますが、この時、苦労や困難に打ち勝ち学んだ経験は、師範にとって、非常に貴重な財産となりました。

実は今回の引用の直前に「良い教授法の下に平易に英語を覚えさせるのは結構であるが、さらに今少し自ら研究、努力させる工夫が要りはしないだろうか。(そして、いかなる困難にも・・・)」と師範は述べています。前回のローマ字導入を考えていたことから分かる通り、師範は学習の効率化というものを考えていました。ところが、その一方で、あまりに容易に学びが進むことにより、大切なことを学ぶ機会が失われることを危惧していたようです。

どんな困難にも立ち向かっていく気持ち。そこには、嘉納師範が「修身」の授業で語ったという「なにくそ」の精神が欠かせません。そして、社会に出て本当に必要なことこそ、この困難に打ち勝つ精神でしょう。人生を<困難との永久戦争>に例えた嘉納師範。この困難に打ち勝つ気持ちを効率的に学ぶ方法があれば良かったのでしょうが・・・。師範がその方法を見付けた形跡はありません。時に非効率で、遠回りに見えても、より大きな視点で見ると必要で合理的なことがあると考えていたのでしょうか。
うがった見方をすれば、何でも簡単に教えすぎることの弊害。教えられることを当たり前と思う風潮。そういったものを予見していたのかもしれません。

著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

※ eJudoメルマガ版10月23日掲載記事より転載・編集しています。

→eJudoトップページに戻る
→「ニュース・マッチレポート」に戻る
→「書評・DVD評」に戻る




supported by KAYAC 運営会社サイトポリシー  RSS copyright (c) 2005 ejudo all rights reserved.