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【ブダペスト世界選手権2017特集】【eJudo’s EYE】志々目のケルメンディ打倒と阿部の異常な強さ、柔道の魅力存分に示した2日目のキーワードは「投げ」・第2日2階級評

(2017年9月11日)

※ eJudoメルマガ版9月11日掲載記事より転載・編集しています。
【ブダペスト世界選手権2017特集】【eJudo’s EYE】志々目のケルメンディ打倒と阿部の異常な強さ、柔道の魅力存分に示した2日目のキーワードは「投げ」・第2日2階級評
第2日は66kg級で初出場の阿部一二三(日体大2年)が史上に残る凄まじい勝ちぶりで優勝。52kg級では志々目愛(了徳寺学園職)が絶対王者マイリンダ・ケルメンディを準決勝で破る歴史的偉業を成し遂げてこれも初出場、初優勝を飾った。ファンとメディアを興奮の渦に巻き込んだ話題性、「投げて勝つ」という柔道本来の魅力発信に、史上に残る軽量4階級全制覇という記録。2017年ブダベスト世界柔道選手権の重心は、この第2日にあったと言って良いだろう。既に様々なメディアで厚く報じられているであろう阿部と志々目の圧勝ぶりをごく簡単に紹介し、そしてこの2人の勝利が日本にもたらす(もたらして欲しい)波及効果について考えてみたい。

■ 記録では伝えきれない阿部の強さ
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凄まじい投げを連発、阿部一二三はファンの期待に応えてみごと優勝を飾った

阿部の圧倒的な勝ちぶりについてはテレビ、新聞各紙が既に手厚く報じており、ここであらためて取り上げるまでもないだろう。6戦して5つの一本勝ち(1つの「指導3」反則による勝利を含む)、1つの「技有」優勢勝ち。唯一一本勝ちを逃した4回戦のジョアオ・クリソストモ(ポルトガル)戦もなぜ「一本」でないのかが不思議なほどの強烈な「技有」を3つ奪っており、準々決勝のゲオルギー・ザンタライア(ウクライナ)戦はかつての世界王者を1分48秒の間に「技有」「技有」「一本」と3度投げつける圧勝。組み合わせには明らかに恵まれていたが、それでも決勝は最強グループの構成員であるミハエル・プルヤエフ(ロシア)を袖釣込腰「一本」で畳に沈めたのだから、まさしく文句のつけようがない圧勝であった。

そしてこういった記録、あるいは「かつて『伸びしろを縮める』と危惧された背中を抱いての投げを封印したまま、二本持つスタイルで勝ち切った」といった単なる技術評だけでは今回の阿部の勝利の実相は伝え切れない。とにかく「持てば投げる」、持つなり投げつける、相手を投げるのは当たり前、あとはいつ投げるか、どう投げるかとでも言わんばかりのその強さ、そして投げの軌道の鮮やかさ。過去数十年の軽量級柔道史まで見渡して、ちょっと記憶がないほどの凄まじい勝ちぶりであった。ファンに与える期待感の高さとそれを背中に負ってまっこう投げつけ、物語を完結させてみせる役者としての絶対値の高さもまさしく異次元。月並みな表現で恐縮だが、競技の顔となり得る「スター誕生」と言い切ってしまって良いだろう。

控えめに言って、東京五輪が終わる2020年8月までの66kg級世界は「阿部を誰が止めるのか、どう止めるのか」というトピックを軸に動くことになるだろう。今回未対戦のダバドルジ・ツムルクフレグ(モンゴル)という日本人キラーに、大激戦で観衆を沸かせたアン・バウル(韓国)とファビオ・バジーレ(イタリア)の両世界王者らをはじめ、全選手が「阿部を止める」ことにすべてを注ぎ込む残り3年、阿部が描く軌跡に注目だ。

■ 志々目愛がついにブレイク、大会第2日のキーワードは「投げ」
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志々目愛は得意の内股で周囲を圧倒

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マイリンダ・ケルメンディとの準決勝は圧巻だった

4月の全日本選抜体重別選手権直後の代表発表記者会見で女子日本代表・増地克之監督は「志々目は過去1年以上、日本人以外には負けていない(海外選手相手に全勝)」ことをその選出理由の一として語った。志々目は代表争いの権利を保持した状態で参加した最終予選の全日本選抜体重別で優勝しているのだからその選出は妥当であるのだが、これをわざわざ一度説明しなければならないというところに、中村美里というスターが君臨し続け、阿部詩というニューヒロインが現われるというこれまでの状況における志々目の立ち位置が良く表れているかと思う。「誰もがその強さを認めるがブレイクし切れない」「一般社会にインパクトを残すようなところまで成績をまとめられない」というところか。その志々目が、まさしくその「海外勢に強い」所以であるところの投げ一発の刀をひっさげて、ついにブレイクを果たしたのが今大会であった。

志々目の魅力は、やはりこの「投げ」。準決勝の絶対王者マイリンダ・ケルメンディ(コソボ)戦をTV画面で見守るファンの心には、ケルメンディのあの圧倒的なパワーと前進を前にしてなお、希望があったはずだ。それは「二本持てば、志々目には内股がある」ということ。いかにケルメンディが膂力に優れようと、あの凄まじい勢いで襲う右に奥襟を叩かれようと、高い位置で釣り手を持ちさえすれば希望がある、持ち前の一発で勝負が出来る、あの内股を叩き入れるまではどんなに不利でも勝負はわからない、と。この期待感がもたらす興奮は素晴らしかった。投げ合う、というこの競技の本質的な魅力をファンが存分に堪能した時間帯ではなかったか。

志々目が今回日本のファンにもたらした最大のものは、優勝という結果以上に、そして5戦中3試合に一本勝ち、すべての試合で投げを決めたという内容以上に、「どんな強敵が相手でも、投げさえあれば勝負が出来る」というあの期待感ではなかっただろうか。投げがあること、投げを練って来たことの強さをあらためて、肌身でわからせてくれたことがその最大の功績であると考える。我々は、同じケルメンディ相手に祈るような気持ちで、息を詰めて戦いを見守る経験をしたばかりだ。組み手と足技の連動による超絶技巧でケルメンディの奥襟来襲に立ち向かったリオデジャネイロ五輪の中村美里戦は素晴らしい観戦体験であったが、あの時の一種の切なさを含んだそれと、今回の志々目に抱いた我々の興奮は質的に異なる。中村の武器である足技は発動までに満たすべき条件節が多く、得意の組み手で嵌めていくロジックゲームはパワー派相手にはどうしても防御思想から組み立てざるを得ない。前線すべてに哨戒線を張り巡らせて、それでも一発奥襟で突破される事故を起こせばそれで勝負が終わってしまうのではないかという不安感と、それでも粛々淡々と橋頭保を積み上げてゴールに迫る中村という構図は、ゴリゴリ筋肉質のケルメンディに風貌繊細な中村という絵も相まってこれはこれで日本人好みの手に汗握る緊迫の試合であった。これに比して、今回の志々目戦の興奮は、一撃で相手を倒し得る武器である投げの保有という戦略の前提条件における強みがもたらす高揚感はもちろん、なにより組み技系格闘技の魅力である「投げ」への本能的反応であったと言えるだろう。

この日の志々目は男子の阿部同様、この競技の魅力の本質を一般視聴者にプレゼンしてくれた、「投げを磨く」ことの強さと面白さをファンに示してくれたと考える。本人はもちろん、この選手の長所をしっかり見極めてこの大舞台に起用した強化陣の慧眼を、高く評価する次第である。

また、これまでのキャリアにおける不遇や閉塞感が志々目を大きく成長させたということも評として付記しておきたい。それが見えたのは何と言っても決勝だ。対ケルメンディという大山場を超えた、歴史的偉業を達成した直後に待ち構えるのは、これも素晴らしい内容で駆け上がって来た同じ日本代表の角田。もし負ければすべてが角田のお膳立てとして消化されてしまう負のシナリオさえ想起されるところだったが、そこでしっかり勝ち切った精神力は素晴らしい。これぞまさに、誰もにその力を認められながら中村美里、橋本優貴、あるいは阿部詩らの「トップの入れ替わり」の中でひとり勝負どころで勝ち切れず、万年2番手の座に置かれ続けた志々目がその閉塞ゆえに得た、初代表ながら「一周回った」選手であるかのような隙のないクロージングに繋がったと考える。心からその栄光を讃えたい。

2位入賞の角田は、得意の巴投と腕挫十字固を武器にこれも凄まじい勝ち上がり。誰もが警戒する中で取り続けたその取り味の高さと、「一本」を確信する力は素晴らしかった。相手が「自分がまったく知り得ない手順が、自分の息の根を止めるためにすぐそこで粛々と進められている」と悟った時の恐怖感、自分の防御すら既に相手の「手順」の中に組み込まれているのではと表情を凍らせる様はこの日の大きな見せ場の一であった。志々目、そして阿部と「投げ」に優れたスターが同居するこの階級で、どのような位置を築いていくのか非常に楽しみだ。

■ 「互いに投げられぬ」若年世代の日本女子柔道は「投げ」の魅力をどう消化するのか
この日を規定する言葉は「投げ」。そして現在の女子52kg級をリードする文化も間違いなく「投げ」と言っていいだろう。世界選手権という最高峰の場で絶対王者ケルメンディを「投げ」をテコに倒した志々目愛、そして国内においては東京五輪の有力候補として勃興中の阿部詩が金鷲旗大会では体格差をものともせず決勝で4人抜きの偉業を達成して、柔道の魅力としての、そして日本選手が世界で戦う上での比類なき武器としての「投げ」の威力を存分にアピールした夏であった。

そして日本の指導者が、この実は女子のメソッド上の「異物」と言える2人の存在をどう理解して、消化していくのか、ということをひとつこの素晴らしいシーズンからもたらされる課題として提示したい。

「『一本』を目指す」「『一本』獲れる技を作る」と選手、指導者とも必ず語る日本の若年世代の女子柔道だが、実は(控えめに言って)アウトプットとしては全くそうなっていない。そう行動してもいない。

全国小学生学年別大会、全国中学校柔道大会、そしてこの世界選手権と続けて見てあらためて思うのだが、日本の若年世代の女子柔道指導は、特殊過ぎる。その特殊さに、例えば男子における「投げを磨いて、いまはさほど勝てない晩成型が実は水面下で成長している」ような有用性もほとんどない(それを担保するような競技人口の多さや、そういう選手や指導者が続けていられるような環境の豊かさがないから)。硬直しきった世界だ。

この女子柔道の文化的閉塞、競技人口が少ないからあまねく指導者が「夢」を見れる、だからリスク管理の効いたメソッドを先に教え込んで極端な若年世代から目先の勝利を目指す、全員が少しでも多く勝つことを目指すゆえ、勝利至上主義の価値観が染みて勝ち星以外に意味を見出せなくなる、狭い世界の中で負けることは即アイデンティティの喪失につながる(選手・指導者ともに)からリスクヘッジの効いた「負けずに勝つ技術」を機械的にまず教え込む、だから新規参入者が減って間口がますます狭くなる、方法論だけを与えられて育つから思考停止が当たり前になって将来伸びない(もっと言えばそこまでやってもほとんどの人間が柔道だけで社会的に上昇できるわけではないから早い段階からどこか精神的な自家中毒を起こしがち)という女子柔道の問題については、あまりに言いたいことがありすぎて、あまりに考え込んで来た時間が長すぎて、どこまで引き算して書いてよいかわからない。

これは機会をあらためて正面切って書きたい(この夏は長年続いたこの状況における潮目の変化が感じられたシーズンでもあり、ようやく書く機会が訪れたと考えている)と思うが、穏当に、実は「投げ合う」ことを教えていないのではないかというところあたりまでを書いてみたいと思う。

場面は、第1日評でも書かせていただいた全国中学校柔道大会日程第3日、女子個人戦。「反則だけでは決まらない」新ルール採用の中にあって、異常な長時間試合が続出。競技日程は押しに押して、試合が終わった時には夏真っ盛りにもかかわらず既に外は暗かった。

この際、中体連の幹部のある方が「凄まじくスケジュールが押しているが、このルールをどう思うか」と意見を聞きに来てくださる場面があった。私は「女子はその特性上、こういうことはまま起こる。ルール試行当初の国際大会の女子重量級がこの体であった。明日の男子はここまで押すことはないのではないですか?」とひとまず穏当に答えた(実際、翌日の男子の遅延はわずかであった)。が、その本音は「投げねば勝てないルールになって誰も投げることが出来ないというこの状況はむしろ育成や特殊な指導文化の問題。ルールにではなく、育成指導の方法論に問題があると思う。むしろこのルールで勝てるようにと指導文化が投げ合うことを志向するようになるまで、待ったほうが健全なのではないですか?」であった。

特に女子軽量級の「負けないため」の方法論の浸透ぶりはすさまじい。片手で持ったほうからの手数攻撃は当たり前。一方的に自分が持つ100-0以外の組み手は拒否して徹底的にやりなおし、仕掛ける技は万が一にも返されないようにアレンジの効いた片膝つきや、容易に掛け潰れに移行出来る畳に直線的に落ちる技。ケンカ四つなら、投げられないように相手がモーションを起こせば同時モーションで先に頭を突っ込んで掛け潰れ、少なくとも相手に先手を取られないようにリスク管理。あとは相手の状況に関係なく、磨いて来た「絶対負けずに掛ける」この方法論を繰り返し続ける。あろうことか、投げ掛けたときにまで返されるリスクがあると見れば手を離し、ひとまず展開を流す選手も当たり前だ。小学生世代からの組み手と寝技の錬磨は当然。たぶんもう、この「負けない」方法論の数々、浸透しすぎて疑問に思う選手すら少ないのではないか。

相当に見識のある指導者、しっかり事が見えている指導者の教え子でも、女子であればこういう柔道をしがち。もう競技文化が完成しすぎていて、降りようにも降りられないのだ。仮にある1人の指導者が、では投げ合うことの魅力を伝えつつ技一発の錬成を狙おうと考えたとしても、到底やりきれない。それだと試合に負けてしまうから。負けてしまうと、文化的に本人も周囲もそれを許容できないから。ゴリゴリ「勝たせる」価値観でやってくる新参者の同業者に、権威を示せないから。

こういう文化の中から、志々目や阿部のような、投げ一発をアイデンティティにした選手は本来生まれ得ない。少なくとも、システムとしてこういう選手を生み出すような文化構造にはなっていない。システムが本来の筋道でアウトプットする選手ではなく、本来生まれないはずの異物のみが投げ一発の魅力を備えて、それでいて「日本ならではの柔道だ」ともてはやされる。そしてこの文化の中で育まれた選手のほとんどは、すべてを掛けた柔道に人生を上昇させてもらうこともなく、さりとてその文化を「楽しむ」ような土壌も方法論も与えられないままに(相手に柔道をさせずに自分だけが掛け続ける対話なしの方法論は大人になって稽古自体を楽しむ柔道には馴染まず、かつほぼ全員がそういう柔道をDNAに刷り込まれているから、楽しむための場所も相手も極端に少ない)畳を去る。日本の女子柔道は、極端に少数の強者が国際的な栄光を掴むことで社会的に意味があるものだと糊塗された、張り子の虎の貧しいジャンルだ。

少々話を広げ過ぎたが、女子柔道文化のこの先については稿をあらためるとして。敢えて競技にだけ絞って、いったん話をまとめておきたいと思う。話がある程度矮小化するのはご容赦頂きたい。

この状況にあって。いざ「投げて決めなさい」というルールを提示されたら、投げが全然決まらないというこの特殊な舞台設定を業界挙げて作り上げて来たこと、投げる力がなくても目先の勝ちを追い掛けさせ続けて来てしまったこと。そして、日本のメソッド的には手堅く負けない柔道の代表格であるはずの女子軽量級から阿部詩と志々目愛という異物が現われて誰もが憧れる素晴らしい投げを見せ、海外のパワー派に日本が伍していくには「投げ」を練るしかないと見せつけてくれたこと。誠実な指導者なら、これに反応しないわけはない。

志々目と阿部が素晴らしい投げの魅力を見せつけてくれた夏。少なくとも選手が「たとえ投げられても、投げる柔道がしたい」と志を立てることは少なくないはずだ。そしてその志を、心ある指導者は助けてあげられるはずだ。「今すぐ出来なくても、投げを練る」ことに対して考える時間を持って欲しい。あの素晴らしい投げに反応して、これを消化しようと試みる時間を持って欲しい。

あまりに素晴らしい投げが決まり続けた第2日、その素晴らしさゆえ、考えることは直前に見た若年世代における日本女子の「投げられない」世界についてだった。「世界選手権の評ではないではないか」と言う向きもあるかもしれないが、ここで一度、これは言っておくべきかと思った。ご容赦頂きたい。

文責:古田英毅

※写真は権利者の許諾を得て掲載しています

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