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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第33回

(2017年7月10日)

※ eJudoメルマガ版7月10日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第33回
利己を戒むる理由は、利己のため他人を害し、他人の利益を軽んずるの弊があるからであって、利己そのものが悪いからではない。
出典:「まず皇国のために進んでは人類のために実現せしめんとする吾人の理想(第1回)」
作興5巻9号 大正15年(1926)9月 (『嘉納治五郎大系』8巻258頁)


「利己」。「利己主義」といった使われ方をする、この言葉に何となく良いイメージを持たない方が多いのではないでしょうか。
 
辞書には<自分だけの利益を考えること、他者を顧みないこと>というような意味が書かれています。師範の解釈は少し違い、「利己」そのものを悪いとは言っていません。「利己」のために他者に対する配慮を⽋きやすいことから、⼀般的に「利⼰」が戒められているというのが師範の考えです。

師範の言うことも分かりますが、やはり、あまり良いイメージがないこの言葉。それは師範の時代も同様だったようですが、そんな中、「利己」そのものは悪くないと、なぜ、あえて言う必要があったのでしょうか。
ここに「自他共栄」に繋がる考えが潜んでいるというのが筆者の考えです。

「自他共栄」。文字面とおり読めば<自分と他者が共に栄える>ということです。この簡単に意味(らしきもの)が分かってしまうことが、かえって、この言葉の理解・実践を困難にしていると思うのですが、今回はおいておきましょう。

さて、「自他共栄」を考えるとき、「自分だけが栄えてはいけない」、ここは比較的気づきやすいところです。どうしても、世の中、自分のことが優先されますし、「利己」が戒められる理由とされるものも同根ですから当然でしょう。ですが、「自他共栄」は、自分が栄えること「も」、十分に考えなければいきません。「自分のことだけではダメ」という反動で、他者の栄えに注意が向きがちですが、他者の栄えだけでも当然「自他共栄」は成り立ちません。

講道館柔道で、「自他共栄」と対になる言葉が「精力善用」です。よく耳にするこの言葉は、「精⼒の最善活⽤」という基本的に個⼈(修行者にとって自分自身=己)のあり方です。また、嘉納師範遺訓で触れられる柔道修行究竟の目的は「己の完成と世の補益」です。ここでも、己の完成という自己への眼差しが必要とされます。

今回の「ひとこと」で、師範が「利己」をあえて悪く言わないのは、「利己」を社会的な悪いイメージで捉えて避けるのではなく、自分自身の栄えというものを、考えさせたかったからでしょう。もちろん、他者のことを考えることも必要です。ですが、安易な<献身>あるいは<⾃⼰犠牲>では他者と⼰の栄えは両⽴しません。己が栄えていなければ、他者と共に栄えることはできないでしょう。
誤解を恐れずに言えば、師範にとって「利己」は「自他共栄」には欠かせない要素だったわけです。

以上は「自他共栄」のもつ側面の1つにすぎません。なんだかモヤモヤすると思いますし、筆者自身も、巨象の一部に触れているにすぎないというのが実感です。ただ、どうしても言葉が先行してしまう「自他共栄」(と「精力善用」)、今回のひとことが、その意味内容に思いを馳せる材料にでもなれば幸いです。


※読みやすさを考慮して引用は『嘉納治五郎大系』から行っています。

著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

※ eJudoメルマガ版7月10日掲載記事より転載・編集しています。

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