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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第30回

(2017年5月22日)

※ eJudoメルマガ版5月22日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第30回
目的があってこそ、人生一切の事は皆光あり力あるのである。
出典:『青年修養訓』 明治43年(1910)12月(『嘉納治五郎大系』7巻23頁)

人が生きていることの重みを感じるのはどんな時でしょうか?

いろいろな意見があると思いますが、筆者は、「自分が必ず死ぬ」ということを実感したときではないかと思います。 「人生は有限である」、頭では分かっていても、現実味をもってこの事実を思うことは、日々の生活では、あまりありません。そんな中、嫌でも「死」を強く意識せざるえない場面の1つが親しい人の「死」ではないでしょうか。

江戸末期の万延元年(1860)、兵庫県御影の地に生を受けた嘉納師範は幕末の動乱に巻き込まれることなく、幼少の頃から英才教育を受けて育ちます。生家が酒造り一族の名家ということもあり、その日々も何不自由のないものだったことでしょう。

ところが、師範が10歳の時、母親が病気で亡くなります。師範が母について残した記述は多くはありませんが、自らに大きな影響を与えた存在であったことを回顧録で度々語っています。<情のあたたかい、厳格であると同時に懐かしい>そう振り返る母を亡くしたとき、師範は「人生が有限である」ことを強く感じたことでしょう。

もし1週間後死ぬと分かったら、人はきっと残された時間を精一杯生きようとするでしょう。少なくともこれまで過ごしてきた、どの日よりも、濃い1日1日をおくろうとするでしょう。では、その死が1ヶ月後、1年後、5年後ではどうでしょう?10年後、20年後、40年後・・・100年後。いつになるか違いはありますが、必ず人は死にます。にもかかわらず、人はどうしても自分の死を遠い未来のぼやけた存在にしがちです。

ですが、自らの「死」を強く意識し、現実のものとしたとき、人は生きるということに真摯に向かい合わざるを得ないでしょう。幼くして母を亡くした師範の心情を完全に理解することは出来ませんが、推測することは出来ます。そして、母親の早世が、明晰な頭脳を持った嘉納少年の思想形成に大きな影響を与えたことは想像に難くありません。

目的がない人生を師範は<行くあてもない大海に漂う捨てられた小舟>に例えています。同じ海でも目的地があれば、そこに向かう努力をすることが出来ますが、何もなければ、ただ漂うか、むやみやたらに進むだけになるでしょう。

同時に、師範は<生まれ甲斐ある人となれ>とも言っています。そして<生まれ甲斐ある生活>をおくるには<目的ある生活>が必要であると述べています。有限である人生を、無為に過ごすのではなく、よりよく生きるためには目的が必要ということです。
目的を持ち、それを達成するために日々生きる。そこに人生のすばらしさが顕れ、毎日の活力が生まれる。そういうことではないでしょうか。

※読みやすさを考慮して引用は『嘉納治五郎大系』から行っています。

著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

※ eJudoメルマガ版5月22日掲載記事より転載・編集しています。

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