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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第29回

(2017年5月8日)

※ eJudoメルマガ版5月8日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第29回
柔道は本来の目的から見れば、道場における乱取の練習のみをもって、満足すべきものでないということに鑑み、形の研究や練習に一層力を用い、棒術や剣術も研究し、外来のレスリングやボクシングにも及し、それらの改良を図ることに努めなければならぬ。
出典:「講道館創立満五十周年を迎えて」
柔道3巻5号 昭和7年(1932)5月(『嘉納治五郎大系』1巻380頁)
 
最近、日本トップレベルの選手と他種目の技術交流に関するニュースを目にする機会が増えました。レスリングと合同合宿。ブラジリアン柔術家による技術指導。さらには忍者による講習。ニュースになるということは、それだけ、これまでの柔道にはない目新しいことだと言えるでしょう。

ですが、「今回のひとこと」を見ると、今から80年以上前、すでに師範が異種目の技術研究と講道館柔道のさらなら改良を考えていたことが分かります。

まず、「本来の目的」についてですが、これは講道館柔道三大目的の1つ「勝負」のことで間違いないでしょう。もちろん、試合で勝敗を争うこと、あるいはそこで勝つことではなく、純粋に武術としての面です。棒術や剣術(※)が含まれているところが、師範の想定するものの大きさをうかがわせます。
 
さて、この論考が発表された昭和7年は出典のタイトルにもある通り、講道館が創立して、50周年を迎える年でした。師範の意に反するところも多々あったようですが、現在の柔道と同じ投技と固技で勝敗を競うスタイルが確立され、競技としての柔道が普及している時期です。

競技としての柔道が主流である人達に対して<講道館柔道はそういったものではない>という警句の意味があったかもしれません。また、乱取競技に偏向した講道館柔道を自らの理想に戻したいという思いもあったでしょう。「武術」としての講道館柔道に対する師範の強いこだわりが察せられます。
 
ただ、今回の「ひとこと」で注目すべきは、師範の度量の広さと柔軟性でしょう。
創立から間もない時期、柔術との他流試合において得た勝利を隆昌の足がかりとした<成功体験>は、師範に講道館柔道の技術に対する自信と自負を与えたでしょう。ですが、そこに満足することなく、さらなる改善を求め、そのためなら、他の武道や外国の格闘技であっても関係なく研究しようとする姿勢は示唆に富んでいます(もちろん、当時の講道館柔道のおかれた状況から必要だったことも否めません)。

前述のとおり、当時、柔道は一定のスタイルが確立されていました。そして、そのスタイルによる社会的な認知もかなり得られており、無理に新しいことを追求する必要はなかったかもしれません。ですが、現状に満足することなく、さらなる改良を考え、その目的のためには、自らの創始したものに固執せず、他種目を研究することいとわない嘉納師範の姿勢は本連載第6回で紹介した「大量」の精神(http://www.ejudo.info/newstopics/002561.html)の実践といえるでしょう。


※棒術については、実際に講道館で教授が行われましたが、その後中止されたようです。また、剣術については、東京高等師範学校教授をつとめた「昭和の剣聖」高野佐三郎等の協力を考えていたようです。

※読みやすさを考慮して引用は『嘉納治五郎大系』から行っています。

著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

※ eJudoメルマガ版5月8日掲載記事より転載・編集しています。

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