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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第28回

(2017年4月24日)

※ eJudoメルマガ版4月24日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第28回
柔道は死ぬまでやってみても、まだまだその先というものがある。
出典:「柔道の話」中学世界12巻7号 明治42年(1909)6月(『嘉納治五郎大系』未収録)


まず、今回のひとこと。文字通りに受け取ってしまうと、色々と勘ぐりたくなる部分があるでしょう。そこで、ここでは嘉納師範が講道館柔道を一生掛かっても極めることが出来ないくらい、幅広く奥深いものだと考えていたと解釈しましょう。

さて、読者の皆様は今おいくつですか?
ネットが使え、メールの定期購読が出来ることを考えると、ある程度の年齢層に限定されると思いますが、それでも幅広い範囲の年齢の方がいらっしゃると思います。

それでは、柔道を始めてから現在まで、柔道とどのようなかかわり方をしてきたでしょうか。きっと、様々な変化があるのではないかと思います。稽古の方も同様でしょう。

20代までの、あるいは現役選手と呼ばれる頃の稽古と、30代や40代以降、指導や組織運営にかかわる立場になってからの稽古は違ってきていると思います。
 
いつまでも、若い頃と同様に稽古し、乱取勝負で強くありたいと思うのが人情かもしれませんが、現実はなかなか厳しいでしょう。

他武術では、合気道開祖・植芝盛平翁や、大東流合気柔術の武田惣角翁等が最晩年まで、若い人相手に稽古をしながらも、その強さは圧倒的だったとされます。
柔道でも、名人・三舩久蔵十段は晩年まで講道館の道場で乱取稽古をし、その強さを示していたようですが、三舩先生については、様々な話もあり、そのままの事実として受け取るのが難しいところもあります。

嘉納師範も、柔道との比較で剣道を<剣を以て練習した人が年を取ってまで、これを継続することが出来るというので、剣道の値打がある>と述べているくらいですから、どう考えていたか推測できます。

では、若い頃の様に、乱取が出来なくなったら、そこで柔道修行は終わりなのでしょうか。<死ぬまでやってみても、その先がある>というくらいですから、当然師範はそのように考えていません。
技術についても、乱取勝負は弱くなっても、技の理合いについては、より理解が深まり、若い頃よりも技のキレが鋭くなる人もいるでしょうし、現役の頃は使わなかった技を学ぶことにより、技術の幅を広げることも出来ます。

また、「形」を学ぶことにより、乱取に新たなアプローチが与えられたりもするでしょう。もちろん、「形」を学ぶことは、講道館柔道の内包する乱取以外の豊かさを知ることにもなります。
さらに、道場以外に目を向け、日常生活での「心身の力を最も有効に使用すること」「精力善用」の実践まで考えると切りがありません。加えて「世の補益」や「自他共栄」まで考え始めると・・・。

今回の「ひとこと」を書いた時点で、師範は49歳。その生涯の半分を過ぎていますが、死はまだまだ遠い存在でした。そんな師範が何故この様なことを言ったのか、一度考えてみる価値があるかと思います。

乱取試合での強さを競うことだけを考えると、人生の早い段階で柔道修行のピークがきます。
ですが、そこにこだわらなければ、生涯にわたり修行するに値する講道館柔道の無限の価値が見えてくるのではないでしょうか。


※今回の「ひとこと」は田中・石川両氏による「嘉納治五郎の言説に関する史料目録(1)」で紹介されている史料から引用しました。

著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

※ eJudoメルマガ版4月24日掲載記事より転載・編集しています。

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