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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第27回

(2017年4月10日)

※ eJudoメルマガ版4月10日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第27回
柔道を教える方法の一として、講義は欠くべからずものである。
出典:「講道館柔道講義 第四回」
国士1巻6号 明治32年(1899)3月(『嘉納治五郎大系』3巻,16頁)
 
嘉納治五郎師範は、講道館柔道の修行には数々の得るものがあると述べています。それは身体的なものはもちろん精神的なものもあわせた広範に亘るものになります。
 
我々が柔道という言葉を使うとき、それは乱取とその乱取に基づく競技が主になるでしょう。そういった中で、柔道修行の身体面におけるメリットは分かりやすいですが、精神面はどうでしょう?厳しい稽古や環境を経験することにより、精神面が強くなるといったことはよく耳にするところです。

ただ、精神面の成長について、全てではないにしても、師範は<むやみやたらに形・乱取をしても出来るものではない>と言っています。では、どうすれば、精神面の成長をより広い範囲で得られるのかと言うと<平素それらの力を養おうと心掛けること>が大事だと述べています。

心掛けをするか否かという、割と本人任せのように聞こえる発言ですが、ここで、思い浮かぶのが柔道の修行方法である「乱取」「形」「講義」「問答」のうち「講義」になります。

「講義」とは今使われている用語と同じ意味で、先生が生徒に対して言葉を持って説明することですが、本当に大切なことを体系立てて教えようとしたら、それは乱取や形の合間に少し話するくらいでは足りないというのが師範の主張です。そして、講義の内容には<心身鍛練に関する注意心掛>といったものも含まれています。

心掛け自体は、修行者本人次第でしょうが、その心掛けを喚起し、より良い方向に導く、あるいは精神面の成長の存在そのものを明らかにするために、まとまった時間をとって、話をする。これが「講義」が柔道修行に欠かせないとされるゆえんの1つではないでしょうか。

考えてみれば、「精力善用」「自他共栄」が柔道には大切な教えだと「だけ」言われて、どれだけの人がピンと来るでしょう?普段の稽古と「精力善用」「自他共栄」の結びつきは生まれにくいのではないでしょうか。修行者にその大切さを本当に理解してもらおうとすれば、その由来や創始者の願い、そういったことも併せて伝える必要があるでしょう。そして、そういったことを話すには乱取や形の間に少し話をするだけでは足りません。これは1つの例ですが、「講義」が柔道修行に欠かせないというのは、そういうことも含んでいると思われます。

なお、師範は講義するためには、解剖学や生理学、物理学(技や身体面)、あるいは、心理学、倫理学(精神面)をよく知っている必要があると述べています。師範は若かりし頃、『倫理学』という書物を共著で出版したり、倫理に関する論文を発表したりするくらいですから、そういった面にも精通していますし、技を物理的に研究したこともよく知られたことです。それだけの高い学識を若い頃から持っていたことによる発言であり、普通の人には少しハードルが高いかもしれません。

ただ、師範のような広範囲の知識は無理でも、講道館柔道の歴史や思想といった技術以外のことも学び、それを後進に「講義」し、柔道修行をより実りあるものにすること。これは何とかなるのでは・・・と思うのは、筆者の独りよがりでしょうか。

※読みやすさを考慮して引用は『嘉納治五郎大系』から行っています。


著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

※ eJudoメルマガ版4月10日掲載記事より転載・編集しています。

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