【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第25回「幾千年の後まで人間の上に偉大なる力を及し得るものは何であろうか。それは教育の事業である。」

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嘉納治五郎師範_MASTER JIGORO KANO

「幾千年の後まで人間の上に偉大なる力を及し得るものは何であろうか。それは教育の事業である。」

出典:「自伝の中に織り込んだ柔道と師範教育の神髄」
教育3巻10号 昭和10年(1935)10月(『嘉納治五郎大系』10巻,357頁)

読者の皆さんのほとんどは、現在、何らかの仕事をされていると思いますが、どのような理由から、今の仕事を選んだでしょうか。きっと様々なエピソードやドラマがあることでしょう。

さて、講道館柔道の創始者、嘉納治五郎師範。
師範の職業は何と言えば良いでしょうか?柔道家??
職業が労働をもとに対価を得るものであるとすれば、師範は柔道家とは言えないかもしれません。なぜなら、師範は柔道を金銭を得る手段と考えていなかったからです。そのためか、師範存命中の講道館は慢性的な赤字だったようです。
講道館だけの事業ではないでしょうが、結果として借金に苦しんだこともあったと伝えられています。第23回に出てきました訓育指南役・宗像逸郎先生が保証人となったところ、決済出来ず、差し押さえが来たこともあるそうです(※1)。これは講道館発行の『嘉納治五郎』にも記されているエピソードなので、本家公認の話といったところでしょう。

師範の柔道以外の活動は、多岐に亘り、主たるものでも、東京高等師範学校校長、貴族院議員、アジア初の国際オリンピック委員などが挙げられますが、細かいものも含めると膨大な量となります。ただ、後年、回顧録を残したとき師範が自らを規定したのは「柔道家」であり、「教育家」でした。

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