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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第24回

(2017年2月20日)

※ eJudoメルマガ版2月20日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第24回
審判規程は柔道の修行上平素の練習の仕方を左右することがはなはだ多いから、平素の修行に好影響を及すように攻究していかなければならない。
出典:「さらに十月の全日本柔道選士権大会と十一月の全日本中等学校柔道大会について」
柔道2巻9号 昭和6年(1931)9月(『嘉納治五郎大系』2巻,371頁)

先般、国際柔道連盟試合審判規程が改正されました。いくつかの変更点が色々と話題になっているようですが、歴史的な観点からすると、嘉納師範の時代から行われてきた「合せて一本」の廃止が注目点かも知れません。
さて、師範の考える柔道において、試合が柔道の目的を達成するための一手段に過ぎないことは、再三紹介してきたところですが、今回は、その試合を律する審判規程のあり方についての師範の考えです。

試合が手段である以上、その試合を規定する審判規程も、その手段として合理的な内容に向かっていくのは当然のことです。精力善用を掲げる師範であれば、余計その傾向は強くなるでしょう。

本連載第5回(http://www.ejudo.info/newstopics/002552.html)でも触れましたとおり、師範は試合を日頃の修行の成果をはかる場と捉えていました。ただ、その一方で、師範は普段の修行が、(勝利至上主義の横行を目の当たりにすれば当然でしょうが)試合の様式に影響を受けやすい現実も理解していました。だからこそ、日常の修行をより良い方向に導くために、審判規程も、日頃の柔道修行に好影響を与えることを念頭に研究していかなければならないと考えていたようです。

このことについて、師範は<要するに中等学校における柔道の練習法を最も正しい方針に向かわしむるに適当なる審判規程を用いる考えである>とも述べています。

この文言に中等学校と出てきますが、出典を見ていただければおわかりの通り、師範はこの時、中等学校の試合と全日本柔道選士権大会(全日本柔道選手権大会の前身)について、触れています。この時、双方の大会は別の審判規程で行われています。内容の差異については、割愛しますが、それぞれの大会の目的に沿った審判規程を用いていたと考えることができます。

先日、武道史研究の分野でトップクラスの研究者である某先生のお話を聞く機会があったのですが、その際、興味深いことを言われていました。それは、柔道のルールが統一されたのは戦後が初めてではないか、ということです。組織間の関係や主義の違い等が理由となり、そのような実態がうまれたのかもしれません。ですが、筆者は、大会の目的を考えて、その大会にあわせた審判規程を作成する、そういった考え方があったことも1つの要因ではないかと考えます。事実、嘉納師範は複数の審判規程の存在を、〈やむを得ぬ〉〈柔道奨励上、一種の妙味〉と認めています。

柔道の目的(主)に向かった試合、あるいは柔道の目的に向かった修行が行われるような審判規程を考える。試合が手段(従)であるという考えが明確だからこそ、生まれる発想でしょう。試合の目的が明確だからこそ、審判規程の在り方が定まるわけです。
そして、その根本的な精神が、あらわれた言葉が今回の「ひとこと」ではないでしょうか。


※読みやすさを考慮して引用は『嘉納治五郎大系』から行っています。

著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

※ eJudoメルマガ版2月20日掲載記事より転載・編集しています。

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