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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第23回

(2017年2月6日)

※ eJudoメルマガ版2月6日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第23回
柔道を修行する者は際だって人物もよい学校の模範生徒であるといわるるくらいになってほしいと思う。
出典:「柔道を学ぶ者の心得について 第2回」武徳誌第4篇10号
明治42年(1909)10月(『嘉納治五郎大系』2巻,187頁)
 
今からおおよそ100年前の大正5年(1916)に発行された「柔道」6月号に、面白い記事が載っています。

「柔道学生の長所と短所」と題された、全国の中学校校長を対象に行われたと思われるアンケートの結果です。校長から見た柔道を行っている学生の長所と短所をあげているわけですが、良いところも悪いところも、それなりに書かれていて、比較的素直な気持ちで書かれたものではないかと思います。

気になる内容ですが、一部取り上げてみますと長所は<自信をもって物事にあたる><我慢強い><心や体がたくましい>といったことが、一方短所は<学力低下><性質や動作が荒々しい><腕力に頼み人を侮り見下すところがある>などがあげられています。現在と比べてみて、どうでしょうか?

今回の「ひとこと」は、上の記事から、さらに10年近く前に師範が学生を対象に行った講演からの紹介です。講演中、師範は学校現場から<柔道をするものはいつも成績が良く、素行も良い>という報告がある一方で<柔道をするものは、生意気な者やケンカや口論をするものが多い>という報告もあるとしています。

師範の希望する修行者像は、当然前者な訳ですから、「学校の模範生徒」であることを期待するわけです。模範生徒であるためには、道場で柔道を一生懸命するのみならず、道場以外のあらゆる生活の場で優秀であることが求められます。それは素行や人間関係、あるいは勉学であったりするでしょう。柔道の稽古だけで大変なのに、そこには並々ならぬ努力が求められるわけです。なぜ、師範はそのようなことを言うのでしょうか。

その理由を師範は「なぜなれば柔道を本当に稽古するならばそういう性質のものであろうと思う」と述べています。ハードルが高いことを、さらっと言っている様にも思えますが、裏を返せば学校で模範生と言われるくらいでなければ、柔道を本当に稽古しているとは言えないということです。

さて、「学生柔道の長所と短所」に寄せられた意見には次のようなものもありました。

<柔道を修めつつある学生に、時に粗暴の短所があるものがいるというが、それは「柔道を真に修めざるが為なり」>

当時、仙台第一中学校の校長を務めていた宗像逸郎(ムナカタ・イツロウ)氏の意見です。氏は柔道素人ではありません。明治17年入門という講道館の古株であると同時に、嘉納師範の私塾である嘉納塾(今で言う全寮制であり、師弟同行の塾)の塾生でもあり、若い頃から文武共に師範に親しく教えをうけた高弟の1人です。さらには、講道館の歴史の中でただ1人「訓育」についての指南役を務めた人物です。

彼の主張は師範の発言と軌を一にするわけですが、宗像七段は併せて、真に柔道を修めるには「教師の指導と、修行者の心得」が大切としています。真の柔道を修めるためには、技術の練習に加えて、真の柔道を修めようとする師弟の普段からの心がけが必要ということでしょう。

※読みやすさを考慮して引用は『嘉納治五郎大系』から行っています。


著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

※ eJudoメルマガ版2月6日掲載記事より転載・編集しています。

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