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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第21回

(2017年1月9日)

※ eJudoメルマガ版1月9日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第21回
他日勝ち得る力を養うために、当分を甘んじて負ける練習もしなければならぬのである。
出典:「道場における修行者に告ぐ」柔道7巻6号 昭和11年(1936)6月(『嘉納治五郎大系』2巻,260頁)

嘉納師範は、その存命中、数多くのお弟子さんを育ててきました。その中で最も可愛がった弟子の1人が西郷四郎六段でしょう。

得意技「山嵐」で知られ、富田常雄の小説『姿三四郎』の主人公である姿三四郎のモデルとされる人物ですが、(当然と言えば当然ですが)最初から強かったわけではなさそうです。師範は西郷のことを「修行中最も多く投げられた一人であったろう」と述べています。講道館の創世期に、その実力で柔術諸流派との対決で活躍し、講道館四天王の一角を担った西郷も数多く投げられていたわけです。
では、そんなに投げられていた西郷が、なぜ強くなったのでしょうか。西郷は投げられることに対して、まず上手に受身することを体得しました。受身の体得により、投げられることが苦でなくなり、投げられることが苦でなくなったことから、投げられることを考えずに、ドンドン攻めることが出来きたこと、これが後の大成に繋がったと師範は言います。

今回の「ひとこと」の出典となる論考は、そのタイトルの通り、道場で柔道を学んでいる修行者へのメッセージでした。当時、脚を開き、腰を下げ、頭を出す、「自然体」とは異なる極端な防禦姿勢をとる人が多くいたようです。しかし、師範はそのような姿勢を正しい修行の方法とは認めていません。もちろん、受身が出来ていなければ、投げられることが苦になり、投げられまいとこのような姿勢になるでしょうし、目前の勝敗(乱取稽古における投げた投げられた)にこだわっても、同じことになるでしょう。
 まず、最初に投げられる練習である受身や(最初は投げられやすいでしょうが)自然体で稽古する。つまり、後日の成長のために、最初は負けること(投げられること)を苦にしない練習をする。これが、将来的に優れた技を体得することにつながるということでしょう。
今回の「ひとこと」は、その修行の順序を端的に示しています。

蛇足になりますが、先ほど紹介しました極端な防禦姿勢を取る修行者が増えた要因として、師範が指摘していることを1つ最後に紹介したいと思います。

普段の稽古で、突きや蹴り等の当身を想定している方は、恐らく皆無でしょう。ですが、何でもありの真剣勝負では、当然、想定されます。師範は乱取が真剣勝負の練習であることを忘れているから、上記の様な修行者が出てきたと言います。

投技に限定すれば、極端な防禦姿勢は、投げられにくい(負けない)かもしれません。ですが、当身を考えると、顔面などに攻撃をうけやすく、また、身体を素早く動かし、相手の攻撃に対応することが困難になると師範は言います。

普段は危険があるので乱取では、当身は稽古しません。ですが、いえ、だからこそ、普段から真剣勝負を意識して稽古しなければならないと言うのが師範の主張するところです。
師範の考える柔道の目的には「勝負(武術)」がありますが、亡くなる2年前の時点でも、このような主張があったという事実は、「勝負(武術)」が、講道館柔道の根底にある重要な目的であったということに、改めて気づかせてくれます。


※読みやすさを考慮して引用は『嘉納治五郎大系』から行っています。


著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

※ eJudoメルマガ版1月9日掲載記事より転載・編集しています。

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