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【eJudo’s EYE】進歩に背を向けた勝利至上主義、弱くなった恐竜リネールと新世代の主役たち・リオデジャネイロ五輪柔道競技最終日(100kg超級、78kg超級)評

(2016年8月14日)

※ eJudoメルマガ版8月14日掲載記事より転載・編集しています。
【eJudo’s EYE】進歩に背を向けた勝利至上主義、弱くなった恐竜リネールと新世代の主役たち・リオデジャネイロ五輪柔道競技最終日(100kg超級、78kg超級)評
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100kg級に負けず劣らず面白かった最重量級、前半戦の主役たちを振り返る

2013年以降台頭してリネールの後を追う「第1グループ」の主役を獲った新世代の選手たち、そして今回の五輪に合わせてしっかり調整し本番一発での巻き返しを図るロンドン-リオ期前半にメインロールを張ったベテランの強豪たち。期待外れのパフォーマンスに終わったのはバルナ・ボール(ハンガリー)くらいで、彼ら役者たちがしっかりその個性を発揮した結果、この100kg超級のトーナメントも前日の100kg級に負けず劣らず面白いものとなった。消極ゲームと評される決勝の印象が強くなってしまったかもしれないが、トーナメント全体の熱量としては、これまで4年間の世界選手権や国際大会いずれをも寄せ付けぬ高いレベルにあったと総括したい。

わけても面白かった選手を挙げると、リリー・クラコベツキ(キルギスタン)、アブドゥロ・タングリエフ(ウズベキスタン)、ラファエラ・シウバ(ブラジル)、そしてなんと言ってもオール・サッソン(イスラエル)。

23歳のクラコベツキは腰を一旦切り返して放つあたかも日本選手のような右内股と足技が得意でセンス抜群。その技の素晴らしい切れ味、そしてその素晴らしい投げカンと裏腹な勝負への淡白さから筆者の周囲では「キルギスタンの上川大樹」と称されていた業師である。今大会はまず初戦でアンドレ・ブライドバルト(ドイツ)を一蹴すると、2回戦ではリネール打倒一番手との声もあったイアキフ・カモー(ウクライナ)を払釣込足「技有」、横四方固「有効」、さらに周囲の空気を吸い込むような勢いで吹っ飛ばす凄まじい抱分「一本」であっさり畳から退ける。期待にたがわぬ出来であった。

このクラコベツキを殺したのが35歳の大ベテラン、タングリエフ。大陸枠選手を「一本」で下して臨んだ2回戦ではワールドマスターズで優勝したばかりの超巨漢ダニエル・ナテア(ルーマニア)に圧力を掛けられ続けて青息吐息も左一本背負投「技有」、左背負投「一本」と終わってみれば完勝。準々決勝ではクラコベツキに「有効」を奪われながら1分56秒の左背負投でなんと逆転の「一本」。24歳のナテア、23歳のクラコベツキという戦闘力では遥かに上にあるかと思われた旬の若手2人を「お前らにはまだ早い」とばかりに得意のビックリ背負投の落とし穴に嵌め、驚きのベスト4進出を果たした。

シウバも面白かった。圧倒的な体格と組み手で相手を追い詰め「指導」奪取、あるいは大外返を中心とした後の先でのポイント奪取が身上のはずのこの選手が、地元の大声援を受けておそらくキャリア中もっとも積極的な攻撃柔道。シウバが攻めている。二本足を決して畳から離さぬはずのシウバが巨体をゆすって片足を振り上げ、目を吊り上げて攻め込んでいる。ツアーを見込んでいるファンには、まさしくこたえられない絵ではなかっただろうか。こんな面白い見ものは、五輪以外ではありえない。

そしてサッソン。ここまでリネールを追い込んだ選手は間違いなく2014年チェリャビンスク世界選手権決勝の七戸龍以来。既に当日戦評はアップ済みだが、しばしこの試合の様子を伝えさせて頂く。両袖を握っての袖釣込腰が得意なサッソンはリネールと常に手先を絡ませ続けて牽制、今年2月のグランドスラム・パリでライバル七戸龍が吹っ飛ばされた絵が記憶にあったかどうか、リネールはこの相手を詰めきれず「ケンカ四つクロス」の形の内股というリスクなき崩し技でとりあえず展開を取る消極柔道。そして1分5秒、「指導1」の失陥に奮起したサッソンが得意の左袖釣込腰に飛び込むとリネールは股中への侵入を許してしまい、長い脚でサッソンをまたいだまま前方に走らされてたたらを踏む大ピンチ。最後の決めの段階でサッソンの引き手が切れ、リネールは前受け身を取る形でかろうじて畳に落ちる。以後リネールはもはや勢いづいたサッソンの突進を捌きあぐね、場外に出た失態をごまかすために「目に相手の手が入った」と中断を要求するが主審は冷静に場外の「指導」を宣告、残り時間1分にしてスコアはタイとなる。しかも上げ潮にあるのは明らかにサッソン。しかし最終盤、相手の引き手の袖を織り込んで完全に組み勝ったリネールが浮技に身を躍らせ、空中で脚を隅返の形にアレンジ、サッソンを転がして残り0秒「技有」を得て勝ち越し。サッソン、惜しくも大魚を逃すこととなった。密着横抱きがリネールの嫌がる形の最たるものとされていたが、袖さえあれば攻撃出来る、それも強烈な一発を打てるサッソンの試合構成力の面白さと勇気、そして追い詰められれば追い詰められるほどリスクのない方法論へと流れる(残り0秒、完璧なまでに組み勝ったリネールが為した技が真裏に自分から寝っ転がる、返されるリスクのない捨身技であったことにはさすがにズッコケたファンが多いのでは)リネールの性格と、まさしく見どころ満載の試合であった。

と書き連ねるとファンのみなさんは「いくら面白くても、決勝があれでは」と不満も覚えるだろう。とにかく筆者としては、あの試合の印象ひとつで柔道がつまらない、現行ルールが導き出した柔道がつまらない、だからこの日の柔道競技は面白くなかった、と総括されるのがあまりにもったいないので、まず「それまでの試合は物凄く面白かった」ことを主張した次第である。

というわけであの試合についても書いておきたいと思う。

100kg超級決勝を振り返る

まず主審の判定について。日本では相当な非難が巻き起こっていると聞いた。確かにこの試合の主審は、少なくとも上手ではなかった。原沢が不利との一種自分勝手な見立てから最後まで抜け出せなかったようには見受けられるし、普段柔道競技を見つけないファンが感情的になるのも理解できなくはない。
ただし、大会7日間、ほぼ全試合のジャッジを見させて頂いたが、この試合の主審が際立って理不尽な判定をしたというわけではない。まったくもって上手い審判ではなかったが、この試合だけが特別というわけではなく、ジャッジの主観の揺れはこれまでの平均値に十分収まる範囲だった。この点まず誤解なきようお願いしたい。

次にリネールの戦い方について。まったくもって魅力的ではなかったが、ルールの範囲内で「ゲーム」の勝ちを得ようとする行為自体はスポーツ選手としてはまったくもって正当で、これも好悪はあれど(この表明はファンとしては当然自由だ。筆者もこんなつまらない試合をする選手はまったく好きになれない)、そのこと自体を批判されるべきものではない。カウンターアタックが得意なチームが好きか、流動性高くフォーメーションプレイで相手を切り崩すチームが好きか、それとも個人の能力に頼ってその力を最大限に生かすチームが好きか、それは見る人の価値観の問題で、好きか嫌いかはその人の勝手、「それはサッカーではない」という全否定の議論には発展しえないこととこれは同じである。(余談ながら、IJFのフェイスブックページにアップされたこの試合報告記事に集まったコメントにはリネールに批判的なものが多かったが、一方で試合直後のリネールが得意げに舌を出して勝利を誇る写真がアップされた彼のFB記事に一晩で集まった「いいね!」は50万件以上、コメントは1万件でそのほとんどが賛辞であった)

増して40年前から繰り返される「こんなの柔道じゃない、武道じゃない」「柔道じゃなくてJUDOだ」というような周回遅れの議論は、もういい加減勘弁して欲しい。普段柔道を見ない、一般層の方にわかりやすく説明できない我が業界を恥じる。このコラム「eJudo’s EYE」をはじめ色々な場で長年主張させて頂いていた通り、“柔道”と“柔道競技”は繋がっているがまったく別のもの。大きな柔道という枠の中から、スポーツに成り得るようにある範囲を取り出して(この場合は「乱取り」)ひとまずゲームとして成立させるよう枠を設けたものだ。「もともとやっているものがある」こうした武道由来のスポーツは、武道の修行のある一形態を、ある範囲で無理やり括ってゲームとして成立させたもので、武道からすれば「その時々の便宜」に過ぎない。現在の国際柔道競技は、異なる地域からやってきた、異なる格闘技文化をバックグランドに持つ人間たちが、同じくらいの体格で、決まった時間の中で、なるべくわかりやすい形で勝敗を決めることにフォーカスしてルールが編まれた、スポーツである。武道特有の「美意識」を競技内容に反映させるべく、そして何よりテレビ映えがするように互いに「一本」を狙い合うように仕向けるという大前提はあるが、だからと言ってルールブックに「絶対に投技で一本勝ちを狙うこと」などとはまったく書いていない。どころか柔道の最大の魅力の一つは、自身の「勝ち方」へのアプローチに多様性があることで、あるスタイルの全否定は柔道の面白さの否定そのものである。

リネールの柔道がつまらなかった(確かにつまらなかった)、逃げた、だから「ダメ」だという人たちには、ではこの日の原沢のここまでの勝ち上がりは日本人以外から見て「面白かった」のかとまず問いたい。原沢はリネールと対決するまでは絶対に勝負を誤るわけにはいかない、何を言われてもどんな形でも勝ち上がらねばならない、と持ち前の奔放な投げ一発を封印し、ひたすら状況を作り上げ、リスクを回避した詰将棋を積みに積んでみごと決勝まで勝ち上がった。覚悟の決まった勝ちあがりだと思う。ではリネールが、自身の人生が掛かる決勝で投げに威力のある原沢と撃ち合えば事故の可能性があると見て、手堅い順行運転に出た行為はこれと何が違うのか。ベイカー茉秋の90kg級決勝ではリードを得て逃げ切りモードに入ったベイカーに容赦ないブーイングが浴びせられたが、「リネールはダメだ」と叫ぶ日本のファンは、ベイカーは批判しないのか。

ルールの問題、リネールの戦いぶりと、率直に言って普段国際大会を見ない、アクティブな競技と距離がある人ほど声高に騒ぎ立てている印象を受けた。きちんと競技をみつめてきた評論家諸氏はもちろんのこと、見上手が増えて来た日本の国際柔道ウォッチャーたちにあっては、どうか周囲に、冷静な解説をお願いしたい。

とはいえリネールの戦い。非難するにはあたらないとはいえ不可解ではあった。特に終盤、僅か「指導1」しか差がない状況にあっての切り合い選択は理解しかねる。リネールの地力の高さからすればむしろ原沢と組み合ってパワー差を生かし、形上の「指導」失陥リスクを減らしたほうがクロージングとしては良であったと思われるのだが、組み合うこと自体を拒否したあの選択は、冷静なリネールとしては解せない。

ひとつは、主審が「リネール強し」の固定観念から抜け出していない、あるいは消極行為による「指導」が遅い(注:テクニカルな「指導」についてはむしろ早く取る審判であったと思う)と判断して、敢えてその選択をなしたという可能性がある。

そしてもうひとつ。筆者はこの可能性がより高いと思うのだが、やはりリネールも「パニクっていた」ということ。まずリネールが決勝でこういう超戦術的柔道を選択した影には、準決勝のオール・サッソン戦における大苦戦というバックグランドがある。我々はこの準決勝のピンチがリネールのメンタル上の隙に繋がるのではないかという期待感を持ったが、リネールが感じた危機感は、より意固地な方向に、より偏狭なリスク回避の方向に彼を誘った。これに五輪決勝、目前に迫った勝利、「切り合い」回避を続けさせてくれる審判、迫りくる原沢の迫力と様々な要素が絡み、彼の判断力を鈍らせていたということではないかと考える。この点、「五輪決勝という場の特殊な磁場の助けを借りてリネール打倒を狙う」という日本の大戦略は間違ってはいなかった。

原沢。何を言われてもリネールと戦わなければ始まらない、と我慢に我慢を重ねて決勝に辿り着くだけの凄まじい覚悟があった。なぜ密着勝負に行かなかったのか、というような短絡的な批判も耳にしたが(筆者が見たものはたまさか、先ほど挙げたような普段国際柔道を全く見ておらずルールの変更にもコミットせず、よって今回の五輪でもかなり怪しい解説を為している典型の方のものであったが)、では超本気モードのリネールに惨敗しないどころかあの壮絶な組み手戦をほとんど制し、リネールにパニックを起こさせるところまで追い込み、ギリギリ「指導1」差まで追い詰めた、そこまで辿り着いた選手が他にいるのか、と言いたい。この試合に関しては、描いていた後半勝負のプラン通りリネールに手詰まりを起こさせることまでは出来たが、原沢の側にもスタミナが残っていなかったと見立てておきたい。これまでの力関係やワールドマスターズでのつまずきを考えれば、原沢は為すべきことを為し、そして想像以上に良く戦った。その戦いを心から讃えたい。次はリネールに、否応なしに「どちらが強いか」を比べるような状況を強いるまでに、強くなればいいのだ。

進歩に背を向けた意固地さ、弱くなったリネールの孤立と強くなった追撃者たち

ただし、リネール。弱くなった。そしてその包囲網は着実に狭まりつつある。

2015年の来日時に、リネールに直接聞いてみたことがある。「あなたは誰と乱取りをしても勝ってしまうと思う。では何を目当てに乱取りをするのか?」と。彼の答えは「とにかく常に絶対に負けないことを考えてやる」というものであった。

強者の稽古には色々なタイプがある。投げられてもいいからとにかくトライを繰り返して技を練り、ただし本番では絶対に負けないというタイプもいれば、戦術性特化でそもそも「持たせずに持つ」技術が命と日々稽古を実戦シュミレーションと捉えてひたすらそのストロングポイントを練るものもいる。格上相手にも絶対に切らずに力を練るものもいれば、格下相手にも100-0志向で組み手だけは譲らないタイプもいる。だいたいこういう要素をミックスして総体の稽古を構成していくのだが、リネールは「目先の相手に絶対に負けない」タイプの極北。少なくとも同階級相手には切って、抑えて、いなして、あるいは「目に指が入った」フリまで駆使して形上ですら絶対に負けを認めない。

こういう稽古で少なくともギリギリの状況で未知の力を発揮するような奥行きを練ることは無理だろうな、と思ったことを良く覚えているが、どころか、リネールの柔道はここ4年間ほとんどまったく進歩していない。組み手のアプローチの手立てが2つ3つ増えただけで積み上げはほぼゼロだと言っていいだろう。負けることを嫌がって新しいことにトライしていない。あるいはモノになる前にトライの中途でやめてしまう。もはや負ける恐怖をエンジンに柔道をしているようにしか見えない。
その必要がないから新しいことをやっていないだけで力の迫ったライバルがいればその時技術を積み上げる、と言い訳されると仮定して。少なくとも投技に限って言えば、こういう偏狭な稽古を長期間続けて来た選手が、武器として「使える」レベルの技を新たに獲得することはほとんど無理だと考える。今後もリネールは、圧倒的な地力をテコにリスク回避で「指導」を奪い、行けるとき、行ける相手にだけ思い切り仕掛けて投げるということでプライドを保つという戦術派の極北であり続けるだろう。もはや伸びしろは、ない。

一方の原沢。試合終了後に新聞記者の「現在の自分の完成度はどれくらいか」との質問に答えて挙げた数字は「まだ50%」。自分はこれからも伸びるという自信があるのだろう。リネールとの対決直後、組み合った手ごたえがまだその掌に残る時に放ったこのセリフには説得力がある。

原沢だけではない。この日大激戦を為したサッソンに、リネールがもっとも嫌うタイプに嵌るイアキフ・カモー、欧州選手権準決勝でリネールに大ブーイングを浴びさしめたレヴァニ・マティアシビリとその足元に迫る勢力は急速に増えた。リネールがどういうタイプを嫌い、どのような状況で手が詰まるかはもはや国際的な共通了解事項、その包囲網は着実に狭まりつつある。

また、この追撃者たちが全て「投げる」技の保有をその最大の個性とする魅力的なタイプであることも興味深い。IJFが打ち出した「組み合う」「投げ合う」ルールと、その土壌による、投げのある強豪選手の勃興。一方「指導」奪取を大前提にしたリネールの柔道は明らかに旧時代のルール向きで、少なくとも新ルールがその言外で示唆する「美意識」に適ったものではない。

或る環境に適応し過ぎたがために進化出来ず、旧ルールの価値観のまま絶対的な強さを保とうとあがく「恐竜」リネールと、新たな価値観のもと投技を磨くことでのし上がった新人類たちの対決。この構図がハッキリした大会であると総括したい。つまらない強者リネールと、魅力的な追撃者たち。これからの100kg超級を見立て、貫く串はこの五輪で定まった。

山部佳苗は及第点、破綻も予想外のブレイクもなく銅メダル獲得

山部佳苗は良い出来であった。初戦のパケニテ戦の突破口となった座り込みの大外落に以後の切所で縋り付いてしまうあたりには危惧されたメンタルの弱さも一瞬見えたが、一貫して覚悟の決まった良い表情で、そのパフォーマンスも及第点以上。驚くような大物狩りもなければ、破壊的なミスもなし。銅メダル獲得は力に比して納得できる成績で、しっかり仕事をしたと総括して良いだろう。

そもそも山部は高校、大学と節目が来るたびに「ここで辞めようか」と現役続行を逡巡した選手である。色々な事情で強化に残り、ライバルの田知本に負けたくないという他選手からすればやや消極的なエンジンで戦い続け、最後の最後の数か月にスイッチを入れてここに立つに至った選手である。この最高峰の舞台でメンタルにエンストを起こさず、しっかり力を発揮しての銅メダル獲得は掛け値なしに賞賛されるべきだろう。筆者は、第一候補を覆しての山部起用という時点で、強化は78kg超級の到達ラインを「この線」に下したとその本音を勝手に観察している。山部は為すべきことを為し、国民と強化の期待に応えた。十分以上だ。

試合を分析すると。オルティス戦における失点の場面は好対照、両者の勝負師資質の有無が如実に出ていた。「指導」失陥直後の1シークエンスという明らかな分水嶺を、瞬間ギアを思い切り上げて全力で取りに来たオルティスと、そもそもここが勝負どころだということすら気づけなかった山部。地力はともかく、総体としてやはりオルティスたちの方が上であった。

最終日ベストバウト

男子にあってはオール・サッソン対テディ・リネールの準決勝、女子はエミリー・アンドル対イダリス・オルティスの決勝戦を挙げたい。

前者は前項で散々書き込んだ通り。サッソンに原沢なみのスタミナがあればわからなかった。惜しかった。原沢-リネール戦と並び、前述「恐竜対新人類」の構図をはっきり浮き立たせた歴史的試合。

後者は勝利に必要なものが何かを世界のファンに叩きつけた、これぞ五輪柔道競技最終日を締めるにふさわしい一番。試合前から人外のものにメタモルフォーゼするのではないかというくらい異常に巻き上がり、歯を食いしばり過ぎてイビツな表情のまま畳に向かうアンドルと、この4年間で完成度を増しに増して王者の風格漂うオルティスによるガチンコ勝負。テクニカルな大内刈一発に頼り過ぎ、技の「嵌り」に当日の成績がそのまま左右される典型的なフランス産メンタル細き女子選手であったアンドルが、曰く言葉にし難い「気持ち」を前面に出してガツガツ攻め続け、そしてGS延長戦の激戦の末に一本勝ちを果たす様には素直に感動させられた。柔道の可能性というもの自体にここまで涙させられた試合は、好試合続出のリオ五輪柔道競技にあっても数少ない。70kg級の田知本遥の戦いぶりと並び、全ての競技者に勇気を与えてくれた一番。表彰台で見せた号泣しながらの笑顔は、リオ五輪柔道競技中屈指の「いい絵」であった。


文責:古田英毅
Text by Hideki Furuta

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