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【eJudo’s EYE】「強さのインフレ」に呑み込まれた髙藤、方法論に欠けた近藤・リオデジャネイロ五輪柔道競技第1日(60kg級、48kg級)評

(2016年8月6日)

※ eJudoメルマガ版8月6日掲載記事より転載・編集しています。
【eJudo’s EYE】「強さのインフレ」に呑み込まれた髙藤、方法論に欠けた近藤・リオデジャネイロ五輪柔道競技第1日(60kg級、48kg級)評
■ 60kg級・アクシデントにあらず、髙藤の銅メダルは納得できる結果
第1日総評で書かせて頂いた通り、全員が凄まじい巻き上がりよう、一段も二段も強くなって五輪にやって来た。優勝したベスラン・ムドラノフ(ロシア)は技の切れ味に加えて連続攻撃が冴え、加えて相手が少しでも崩れればすかさず腕挫十字固に入り込むアブナイ柔道を披露。出足払から腕挫十字固の連携などはもはや組み立て自体が異次元。衰えぬスタミナ、人間離れした時間間隔で刻まれる連続攻撃は思わず「メルドニウムってすごいんだね」と茶化したくなってしまうほど、これまでの4年間のムドラノフとは全くの別人であった。イェルドス・スメトフもアスタナ以後の少々ダルめの試合スタイルが嘘のような際の強さと瞬発力を見せ続けたし、地元の大声援を受けて体の血の最後の一滴まで絞りつくすようなド根性ファイトを見せたキタダイに関してはそもそも根性も何も、こんなに動けるキタダイはこの6年間見たことがない。髙藤を倒したアミラン・パピナシビリやオルハン・サファロフなどの上位勢、早々に敗退したツェンドチル・ツォグトバータルや普段全くの2回戦ボーイであったアシュレイ・マッケンジーなど、「本当に本人?」と目を疑うようなハイパフォーマンスを為した選手は数限りなし。

ここで一旦話を変えて。日本代表の髙藤直寿の話をしたい。おそらく日本では彼の試合を中心に、あるいは彼の試合しか放送されていないと思うので、多くの方は「髙藤の視点」というガラス窓から上記の様相の一端を覗き見たのみの形になっているのではと推測する。(であれば総評で提示した「ダイナミック柔道」を感じるのは難しいのではとも思われる)

そうすると、単に髙藤の調子が良くないように思われたのではないだろうか。仮に筆者が髙藤の試合だけを見てその出来を分析するとしたら、「髙藤は試合にフォーカスすればするほど攻撃的になって隙も大きくなる。その高機動高出力が魅力だが、体がついてこないときには良い意味でのつまらない試合が出来ず、一発負けの可能性が高くなる」「いつもの『際』を作りに行けていない。際さえ作れば勝てるのが彼の持ち味だが、そこで勝負するほどコンディションに自信がないのでは」「発想力やアドリブ性が持ち味としてフォーカスされるがそれは彼の強さの中ではあくまで枝の要素、幹は体の強さや反射神経というコンディションに関わる部分で、それがこうして失われたときはパフォーマンスが利かないのではないか」「ここぞの舞台に臨む上昇装置として、髙藤は過去それを新技の開発という技術に求めていた。こういう具体的な積み上げが今回なかったのではないか」など、など。

しかし、周辺に聞く限り髙藤のコンディションは良かったはず。少なくとも調整に失敗してはいない。そしてトーナメント全試合を見た感想では、周囲の異常なレベルアップに対して、調整に成功してもなお、相対的な力関係で上を行くにはそれでも足りなかったのではないかと考える。率直に言って、2回戦まで全選手が一巡試合をした段階で、髙藤が優勝できるとは到底思えなかったのである。上位陣でもう一回試合をやり直せばおそらく同じ順位になることはない大混戦大会ではあったが、その中で髙藤の3位というのはある程度納得できる結果。確かに腰を付けての一発勝負がなかった、仕掛けてもそこから「際」の勝負に持っていくような最後の決めに乗り込む度胸がなかった、という面は見受けられるがそれは相手との力関係の変化を髙藤の肉体センサーが如実に感じていたからではないだろうか。髙藤は大枠力通りに戦い、そして「相手が強かったから」敗れた。一発アクシデントというラベルをつけて括ると、事象のキモを外してしまうような気がするのだ。「一本」失陥の場面を含めて局面の細かいミスを挙げることはいくらでもできるが、今大会の髙藤の3位は周囲の出来に鑑みれば十分呑み込める結果。準々決勝のミスがなかったとしても、この日の力関係から敷衍すればファイナリストであるムドラノフとスメトフの2人の上を行くことは難しかったと思われる。

この「五輪のインフレ」を日本はどう捉えるべきか。今回の日本代表男子チームは強い。少なくとも「強い選手を育成する」という大戦略には間違いなく成功したし、調整も誠実に行っている。このチームで、この調整をしてなお金メダルに手が届かない、思ったような成果が出ないということであればいったい我々はどうすればいいのか。明らかになった「インフレ」をどう咀嚼し、どう対策して残りの6日間を戦うのか。あす以降の戦いを楽しみに待ちたい。

■ 48kg級・技術的方法論に欠けた近藤、銅メダル勝ち得た勝負力は賞賛もの
周囲の「力のインフレ」に呑み込まれたという事情は近藤も同様。もし手元で画像検索して引っかかるものであれば、優勝したパウラ・パレトの数年前と今の肉体の違いを確認してみてほしい。首の太さ、僧帽筋の厚さはラグビー選手の如く、1年前の世界選手権戴冠時からさらに厚みを増した感あり。技術的にも進境著しく、今年上半期の国際大会不出場期間によほどの稽古を積んで来たのだろうと思われる。初戦から異様なフィジカルで腕挫十字固「一本」を獲り切ったムンクバット、金髪で畳に姿を現すと柔道の中身まで別人のように強くなっていたジョン・ボキョン、ここ数年で最も動けているメネゼス、そのメネゼスを破ることが早い段階で予期される素晴らしい仕上がりであったメストレアルバレスとどの選手も凄まじい変貌ぶり。近藤が準々決勝でガルバトラフに「技有」を奪われたのも無理はなし、もしここで敗れればどんなビッグネームが落っこちてくるかわからないレペチャージと3位決定戦が待ち受けており、他ブロックのベスト8進出者のレベルを考えるともはやメダル獲得すら危ういと思われた。

だが近藤はその勝負師ぶりを存分に発揮、このチャンスを逃せばそのまま試合終了を迎えることほぼ確実の残り40秒から選択した寝技でガルバトラフに逆転勝利を収めると、準決勝で敗れて進んだ3位決定戦ではこの日の主役ムンクバットに敵方のフィールドであるはずの寝勝負を挑むなど果敢に戦って銅メダル獲得まで辿り着いた。60kg級の髙藤同様近藤の柔道に瑕疵はなし、「相手が強かった」から敗れたと総括されるべき結果だ。むしろこの状況の中で銅メダルに辿り着いた異様な勝負力を賞賛するべきであろう。

ただし。「強さのインフレ」化にあって近藤を救った勝負力の強さは賞賛ものだが、一方で立ち技での「投げる」方法論の少なさもまた強く感じられた。一貫してかつて近藤の代名詞であった投技が決まる気配は薄く、引き手を得て釣り手を叩き入れながらの右払腰など得意のパターンは既に研究されていて力を発揮させてもらえない。パレト戦などは、観戦していて、どう投げという行為に至るべきかその登るべき階段の「次の段」がまったく見えてこない苦しい試合であった。「投げが利かなければ寝技で獲り切る」「警戒されている払腰をフェイントに異なる技を仕掛ける(※3位決定戦で見せた払腰フェイントの片襟大外刈は昨年のグランドスラム東京で浅見八瑠奈を投げた技と相似である)」などは既に昨年の段階で近藤の中にあったものだ。以降の上積みはどこにあったのか。若く伸び盛りのはずの近藤が、昨年アスタナで見せた「投げが警戒される」状態の解決に新たな方法論を持ち込めない、肉体的なパフォーマンスの向上はあったが技術的な「取り味」を持ち込めない、五輪になにより必要なはずの「上昇装置」が足りなかったのではないかということもまた、評として提示しておきたい。

最後に。既に「総評」でも触れたが、パレトの勝利は競技者を勇気づけるものだった。パレトは既に30歳で、しかも国際柔道界で存在感を発揮したのはようやくここ数年のことである。明らかに「普通の選手」であった人間が稽古と目的意識をテコに30歳にして五輪の金メダルに辿り着くというサクセスストーリーは多くの競技者を勇気づけたのではないだろうか。技の対決あり、方法論のぶつかり合いあり、度胸あり、ドラマあり、非常に面白いリオデジャネイロ五輪柔道競技、第1日の様相であった。


文責:古田英毅
Text by Hideki Furuta

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※ eJudoメルマガ版8月6日掲載記事より転載・編集しています。

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