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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第10回

(2016年7月25日)

※ eJudoメルマガ版7月25日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第10回
今日の柔道家も、柔道の究竟の目的に達しようとする努力が足りなくて、その手段に過ぎない強くなろうとか、勝負に勝とうとかいうようなことに重きを置き過ぎているようである。
出典:「上段の柔道について」柔道4巻8号 大正7年(1918)8月
(『嘉納治五郎大系』2巻,59頁)

本連載の第5回(http://www.ejudo.info/newstopics/002552.html)で少し触れましたが、柔道の競技偏重の傾向は師範存命中から見られました。そのような状況への師範の警句はいくつも遺されていますが、今回取り上げた「ひとこと」もそのうちの1つです。

ここで言う究竟の目的は「嘉納(治五郎)師範遺訓」に出てくる「己を完成し世を補益すること」ですが、その目的に向かう努力が足りずに、強くなることや、勝負に勝つことばかりを重視している大正7年(1918)当時の状況を嘆いているわけです。
 
冒頭の「ひとこと」、文章、内容共にもさほど難しくないのですが、よく読んでみますと気になる点がひとつあります。ここで、もう一度、最初から師範の言葉を読んでみてください・・・。

「今日の柔道家」とあります。「も」がつくと言うことは他に強くなるとか、勝負に勝とうということに重きを置いている人たちがいたということです。一体誰のことを指しているのでしょうか。

今回の文章、直前に師範はこう言っています。
「昔の柔術家が、強くなろうとして苦心した割合に、強くなってどうしようということはあまり深く考えなかったように(今日の柔道家も・・・)」。
講道館柔道の基になった「柔術」。その柔術を行っていた柔術家たちが本当に強くなることばかり考えていたとは断定出来ません。江戸時代後期になると、「柔術」の中にも「術」と「道」の違い、また「術」を通して「道」に到るといった講道館柔道を先取るような思想があったことは、起倒流の伝書『柔道雨中問答』などの史料から、うかがえます()。

ただ、今回の資料にみられる師範の認識では、自ら創始した講道館柔道と柔術は別のものであり、その違いは単なる「強さの探究」にとどまるのか、「強さの探究」を手段とし、より大きな目的を達成しようとするのかにあったことは間違いありません。

師範にとって、「強さの探究」にとどまる「今日の柔道家」たちの姿は、「講道館柔道」の創始により過去のものとなったはずの柔術家とだぶって見えたのではないでしょうか。そこにはきっと歯がゆさや、もどかしさがあったことでしょう。

では、師範は「強さの探究」に無関心だったのでしょうか?
決して、そんなことはありません。「勝負」(試合のことではありません)を柔道の目的のひとつとし、講道館柔道創始後も、他の武道や格闘技に関心を持ち続けた師範は今回の「ひとこと」に続く一文で、強くなることに価値がないわけではない旨を述べています(原文:「強くなるということは、それ自身にも価値のないわけではないが・・・」)。ただし、強くなることはあくまでも「主として他の貴い目的を達する手段として必要なのである」と念を押しています。

その「貴い目的」の極致が「己の完成と世の補益」であることは言うまでもないでしょう。


さらに言えば、師範が講道館創始後の明治16年、起倒流の恩師飯久保恒年から受けた免状、並びに飯久保恒年が師である竹中鉄之助から受けた免状には、それぞれ「日本伝起倒柔道」と記されています。

※読みやすさを考慮して引用は『嘉納治五郎大系』から行っています。

著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

※ eJudoメルマガ版7月25日掲載記事より転載・編集しています。

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