【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第9回「暑中稽古は一人前の人間として、通用する資格のあることを試みる場所である。」

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「暑中稽古は一人前の人間として、通用する資格のあることを試みる場所である。」

嘉納治五郎師範_MASTER JIGORO KANO

出典:「暑中稽古の初日における講話大意」国士2巻11号 明治32年(1899)8月
(『嘉納治五郎大系』2巻,272頁)

以前、ある人が「嘉納師範は合理的な人だから、暑い中、効率の悪い練習をするわけがない」と言うのを聞きました。「『合理的』という言葉が一人歩きすると、そういう解釈も出来るのかな」と、普段思いもしなかったことを言われ、少し戸惑った記憶があります。

嘉納師範が「合理的」。よく言われることですし、その通りだと思います。師範の合理性をあらわす例の1つとして、少し奇抜ですが、漢字や仮名を廃止し、ローマ字を国字にするという考えを持っていたことが挙げられます(覚える文字が少ない欧米に比べて、仮名と多くの漢字を学ぶ日本の学習は効率が悪いというのが主な理由のようです)。

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