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【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第6回

(2016年5月23日)

※ eJudoメルマガ版5月23日掲載記事より転載・編集しています。
【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第6回
大量とは新しい思想を嫌わず容れる性質と種々さまざまの事を同時に考えて混淆(こんこう)せしめぬように纏(まと)める力との二つを含んでいる言葉でして、これが柔道の修行上なぜ大切かなれば人はとかく自分の考えを信ずることの強さのあまりこれに優るところの考えが新しく出てきてもこれを採らないばかりではなく、その新しい考えについて善悪の見分けをも付けてみないようなことが往々あるものにして柔道の投技とか固技とかの理論についてはまことにそのようなことがだれにもありやすいものでございます。
「嘉納治五郎師範のひとこと」第3回で柔道には「体育」「勝負「修心」の三つの目的があることを紹介しましたが(http://www.ejudo.info/newstopics/002507.html)、今回はそのうちの「修心」からの一節です。「ひとこと」というには少々長いですが、ご容赦ください。

まず「修心」とは何か?ですが、簡単に言いますと、柔道の精神面についての目的になります。嘉納師範が「柔道一班ならびにその教育上の価値」講演で話した内容の項目を紹介しますと、次の通りです(番号は筆者・元が便宜上つけています)。

1 徳性を涵養すること
  ① 柔道の修行に固有の性質から自然に涵養することの出来るもの
  ② 柔道に関係のあるすべての外囲の事情を利用してことさら徳育上の教えを授けるもの
 2 智力を練ること
  ①観察 ②記憶 ③試験 ④想像 ⑤言語 ⑥大量
 3 柔道勝負の理論を世の百般のことに応用すること
  ① 自他の関係を見るべし ②先を取れ ③熟慮断行 ④止まるところを知れ ⑤制馭術
 4 柔道の奥義とその応用

いずれも興味をひかれる内容だと思いますが、これでも「修心」の内容全てではないと、師範は述べています。

さて、「大量」ですが、「智力を練ること」の6番目にあげられています。
「大量」という文字を見ると、「ものの量が多い」という意味を思い浮かべがちですが、この言葉には「度量が大きいこと。心が広いこと」という意味もあります。師範がここで言う「大量」も、この語意に拠るものでしょう。
 師範の言う「大量」には2つの意味がありますが、今回は前者「新しい思想を嫌わずに容れること」に注目します。意味は読んでの通りですが、師範は、別の箇所で新しいものを安易に受け入れることも戒めています。つまり、この文言の真意は「自分のやり方が正しい」と思い、最初から善し悪しを判断せずに、新しい思想を退けようとする態度を改めさせることではないかと思われます。
自分が苦労したり、長い経験を経たりして得たものほど、人は愛着を感じますし、正しさに自信を持つと思います。ですが、自分の考えに固執し、新しい考え方を最初から排除すれば、そこで成長や進歩は止まってしまいます。まず、新しい考えの存在を認め、その良し悪しをしっかり判断しようとする姿勢。それが、師範の「大量」の教えのひとつではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
  
「柔道の投技とか固技とかの理論についてはまことにそのようなことがだれにもありやすい」。
このフレーズも心しておきたいところです。

さいごに。師範が、師から学び、自らが苦労して体得した柔術を守ることに固執し続けたなら、講道館柔道は21世紀のこの世に存在したでしょうか?
「大量」、柔道を修行する上で大切にしたい教えです。

※読みやすさを考慮して引用は『嘉納治五郎大系』から行っています。


著者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

※ eJudoメルマガ版5月23日掲載記事より転載・編集しています。

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