【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第6回「大量とは新しい思想を嫌わず容れる性質と種々さまざまの事を同時に考えて混淆(こんこう)せしめぬように纏(まと)める力との二つを含んでいる言葉でして、これが柔道の修行上なぜ大切かなれば人はとかく自分の考えを信ずることの強さのあまりこれに優るところの考えが新しく出てきてもこれを採らないばかりではなく、その新しい考えについて善悪の見分けをも付けてみないようなことが往々あるものにして柔道の投技とか固技とかの理論についてはまことにそのようなことがだれにもありやすいものでございます。」

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嘉納治五郎師範_MASTER JIGORO KANO

大量とは新しい思想を嫌わず容れる性質と種々さまざまの事を同時に考えて混淆(こんこう)せしめぬように纏(まと)める力との二つを含んでいる言葉でして、これが柔道の修行上なぜ大切かなれば人はとかく自分の考えを信ずることの強さのあまりこれに優るところの考えが新しく出てきてもこれを採らないばかりではなく、その新しい考えについて善悪の見分けをも付けてみないようなことが往々あるものにして柔道の投技とか固技とかの理論についてはまことにそのようなことがだれにもありやすいものでございます。

「嘉納治五郎師範のひとこと」第3回で柔道には「体育」「勝負「修心」の三つの目的があることを紹介しましたが、今回はそのうちの「修心」からの一節です。「ひとこと」というには少々長いですが、ご容赦ください。

まず「修心」とは何か?ですが、簡単に言いますと、柔道の精神面についての目的になります。嘉納師範が「柔道一班ならびにその教育上の価値」講演で話した内容の項目を紹介しますと、次の通りです(番号は筆者・元が便宜上つけています)。

1 徳性を涵養すること
  ① 柔道の修行に固有の性質から自然に涵養することの出来るもの
  ② 柔道に関係のあるすべての外囲の事情を利用してことさら徳育上の教えを授けるもの
 2 智力を練ること
  ①観察 ②記憶 ③試験 ④想像 ⑤言語 ⑥大量
 3 柔道勝負の理論を世の百般のことに応用すること
  ① 自他の関係を見るべし ②先を取れ ③熟慮断行 ④止まるところを知れ ⑤制馭術
 4 柔道の奥義とその応用

いずれも興味をひかれる内容だと思いますが、これでも「修心」の内容全てではないと、師範は述べています。

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