連載「隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと」を始めます!

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嘉納治五郎師範_MASTER JIGORO KANO

【編集部より】

講道館柔道の創始者・嘉納治五郎師範は膨大な著作を残し、狭義の「柔道」「武道」に留まらず、社会、道徳、教育、国家観などまことに広い分野に渡って言葉を残しています。
柔道が決して競技とイコールではないことがようやく多くの人に認識され始めた現在の柔道界は、明らかに新たな価値観と立ち戻るべき場所を求めています。いまこそ嘉納師範の言葉を噛みしめるときではないかと思いますが、その帰るべき原点である師範について実はあまり良く知らないという方が多いのではないでしょうか。現在の柔道界において嘉納師範の主張や生き様は「精力善用 自他共栄」というキャッチフレーズにあまりにも集約され過ぎている感があります。われわれはそのフレーズのすばらしさゆえ、これを引くことでかえってある種の思考停止に陥ってしまい、嘉納師範の考えは何かについて深く広く触れる、あるいは求める機会を失ってしまっているのではないでしょうか。

そこでeJudo編集部では若手の嘉納治五郎師範研究者を選りすぐり、元敏季(ハジメ・トシキ)先生に月2回のペースでその「言葉」をひとことずつ紹介してもらうこととしました。これさえ読めば全てがわかるというような網羅性の高いものではなく、あくまで「ひとこと」をたくさん紹介することで嘉納師範の考えを照射しようという試みです。師範の著作に本格的に触れてみようと思い立つ、そのきっかけとなれば幸甚です。

「間違ってはいないが難解で読みにくい」紹介本や論文とは一味違った、とっつきやすくてためになる「嘉納師範のことば」にぜひご注目ください。

下記、元先生に「まえがき」として文章を寄せていただきました。第1回目の配信は3月7日(月)の予定です。お楽しみに!

「隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと」
配信日:月2回 (第2週月曜日・第4週月曜日)

【まえがき】

「理念・哲学なき行動(技術)は凶器であり、行動(技術)なき理念は無価値である」(本田宗一郎)

唐突ですが、皆さんは柔道と野球、どちらの歴史の方が古いと思いますか?
意外かもしれませんが、正解は野球です。

野球が日本ではじめて行われたのは明治5年(1872)と言われています。柔道は遅れること10年、明治15年(1882)に1人の人物によって創始されました。その人物は、当時輸入されたばかりの西洋文明の1つ「野球」も嗜みましたが(ポジションはピッチャーだったそうです)、ある日本の伝統文化の修行に励むようになると、野球から離れていきます。

その人物とは皆さんご存知の講道館柔道創始者の嘉納治五郎師範であり、ある文化とは柔術です。

自らの身体的コンプレックスを動機に始めた柔術修行は天神真楊流と起倒流という2つの流派に亘りましたが、嘉納師範はその修行過程で起こった自らの変化に「柔術」の価値を見いだします。さらに師範は師から学んだ柔術に満足することなく、研究・工夫を加え「講道館柔道」を創始し普及を志します。その活動は日本国内にとどまらず、世界へ広がり、師範が亡くなる昭和13年(1938)まで56年間続きました。

嘉納師範が他の武道家と異なる点はいくつもありますが、その1つに「言説」による普及活動が挙げられます。56年間という長期に亘る普及活動で残された言説は(柔道以外のものも多く含みますが)『嘉納治五郎大系』という全集にまとめられるくらい膨大なものとなり、また近年、その『大系』から漏れた「言説」もかなりの数が残されていることが分かっています。

冒頭にあげた言葉は、世界のHONDAの創業者である、本田宗一郎氏が語ったとされるものですが、本連載は、嘉納治五郎師範が残した膨大な言説の中から、皆さんが「講道館柔道」という文化を実践する際の『哲学』『理念』を考えるヒントになるような言葉を紹介していきたいと思います。

執筆者:元 敏季(ハジメ・トシキ)
1975年生まれ。柔道は中学校から始め、大学までは競技を中心に行うが、卒業論文を機に柔道の文化的側面に関心を持ち、大学院へ進学。凡そ10年、大学院・研究機関に所属するも、研究とは異なる分野の仕事に就き現在に至る。ライフワークとして嘉納治五郎に関する史料を蒐集・研究し、その成果を柔道振興のため発信しようとしている。

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