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【eJudo’s EYE】マルちゃん杯全日本少年柔道大会小学生の部決勝における誤審の検証と、訴えたいこと

(2015年9月28日)

※ eJudoメルマガ版9月28日掲載記事より転載・編集しています。
【eJudo’s EYE】マルちゃん杯全日本少年柔道大会小学生の部決勝における誤審の検証と、訴えたいこと
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審判委員長のマイクアナウンスによる声明は「誤審があったが、試合は成立している。よって訂正せずこのまま試合を進める」旨のものであった。

22日に行われた「マルちゃん杯全日本少年柔道大会」小学生の部決勝で起こった事件のことである。筆者は試合を現場で取材した後、関係者数名にそれぞれの立場から見た事の経緯を直接聞いている。様々な立場からの証言も集まった。しかし、公式声明が上記である以上、そしてこの手の話は誰かに対する憎悪や中傷を増幅させる結果になりがちであることを考え、この件については深く踏み込むつもりはなかった。

が、試合後、facebookその他でこの件について「炎上」に近い感情的な誹謗中傷がまかり通る事態を見るにつけ、知り得た事情の最低限、そしてeJudoなりの見解は示しておくべきかと思った。それなりの覚悟を持って自ら発信している方はともかく、その尻馬に乗って、あるいはその発信者にシンパシーを示さんがためにのみ、「コメント欄」で軽はずみに当事者を批判し、シェアを繰り返し、当事者を絶対悪としてその人間性まで裁くかのような醜い事態は看過できない。

子どもたちにとっては、ありえない事態である。しかし、であるからこそ冷静な対処を望みたいのだ。

事態の進行、筆者が知り得たことを加えた事実関係、そして筆者の見解と部を分けて書きたい。知り得た事情のうち必要最低限のみを挙げて書くが、それでも細かい事情を読むのが苦手という方は「筆者の見解」まで飛ばしてくださっても結構だ。言いたいことはそこにある。

また、この稿をあたかも「犯人捜し」を為すかのような興味で読むこと、またそのような趣旨で解釈することは断固として拒否したい。何が起こったかを知りたい方、検証してともにものを考えたい方の助けになれば幸いである。

※他記事同様、記事の無断転載、転用、第三者への転送は厳にこれを禁じます

■ 事態の進行
観客(試合場の外)から見た事態の推移は下記の通り。

決勝の朝飛道場対無心塾飯島道場における中堅戦、残り時間数秒となったところで冨田裕太選手(無心塾飯島道場)が抱きつきの小外掛を試みる。抱きつきながら自身の体がずり落ちる形になったこの技を金子竜士選手(朝飛道場)が捌いて自身の体を浴びせ、横四方固。これは経過時間9秒、下側の肩が抜けて伏せの姿勢が明確になったところで「解けた」となり、その時点で試合は終了。主審は合議を招集した上で「技有」「それまで」を宣告し、金子選手の「技有」優勢勝ちを宣告する。抑え込み時間が「9秒」であればこれはノーポイントのはずであり、不可解な判定に場内がざわめく。

しかし続く副将戦はそのまま行われ、この試合が終了したところで、主審は合議を招集。これを見た審判委員長は、合議に引きずられるようにジュリーを促して審判員3人を呼ぶ。しばしの話し合いの末、主審が朝飛道場・朝飛大監督になんらかの事情を説明、戻って再び審判委員長と合議した後、主審は次いで無心塾飯島道場・長島宏幸監督に説明に向かう。この説明行為の最中に、ひな壇に戻った審判委員長から「抑え込み時間の判断についてミスがあり、中堅戦は本来引き分けとされるべき。ただし試合は成立しているので撤回出来ない」旨のマイクアナウンスがあった。結果、スコアは訂正されることなく試合は続行された。

■ 筆者が知り得た事情を加えた、事態の進行
時系列順に書き出してみたい。「※」は筆者の注釈。

1.伏線としてのデジタイマーの不調
該当の試合場のデジタイマーは接触不良により「10の位」が表示されないという事故を起こしていた。副審はこの事情を事前に呑みこんでおり、これが問題の場面の副審による時間の誤認に繋がった。

2.中堅戦における抑え込み時間の誤認
主審は「解けた」宣告の後、合議を招集して抑え込み時間の確認を行った。上記1の事情もあってか、副審は2人がともに主審の確認に対し抑え込み時間が「19秒」である旨と「技有」評価を伝えた。主審はこれを受け入れ「技有」「それまで」を宣告。この際ジュリーはこの決定に問題提起を行わなかず、審判委員長もアクションを起こさなかった。無心塾飯島道場側は立ち上がって抗議の声を挙げたが、唯一可聴域にいたと思われる副審はこれを他審判員に伝えていない。

※この時点で主審は、抑え込み時間に疑義があるという問題をそもそも認識していない。

3.副将戦のフルタイムまでの進行
副将戦の試合中に審判委員長がひな壇から降り、ジュリーに確認に赴く場面があったが、ここでジュリーは試合を止めず、審判長は1度ひな壇に戻る。ジュリーが試合に介入するゼスチャーを行わないため、試合場内の審判団は不穏な空気を感じながらも試合を止めることは出来ず、事態の確認は先送りされた。

4.副将戦終了後の疑義の提示から「スコア修正なし」の決定宣告
副将戦終了後、なんらかのトラブルがあることを察知した試合場内の審判員3名が主審の招集のもと、合議を持つ。これを機として、審判委員長はジュリーに指示して審判員3名を呼ぶ。審判委員長からの指摘を受けて事情を確認した試合場内の審判員は中堅戦における誤審を全面的に認めた。その上で「誤っているからには謝罪し、正しくスコアの訂正を行うべきだ」との提案を為す。ただしここに「両監督に納得してもらってからのこととしたい」という条件を付けた。※1

朝飛大監督はスコアの訂正に関し、「成立した試合を覆すことが出来るのか?」と疑義を提示。※2 ※3 ※4

主審はいったん審判委員長にこれを報告。さらに、長島監督のもとに赴いて「相手方が受け入れない」旨を説明し、謝罪。さらなる合議あり得るかとも観察されたが、そのやりとりのさ中に審判委員長は「ではこのままで行くしかない」と判断。前述のマイクアナウンスを行うに至った。

※1 後述するがここが大きなミスであると筆者は考える
※2 これも後述するが、この時点では朝飛監督は旧「IJF試合審判規定」の記述通りに、試合の成立は試合者が畳を降りた時点を持って最終とする、と認識していた。
※3 蛇足ながら朝飛監督は中堅戦の「技有」を、抑え込み直前の「被り」に与えられたポイントと理解していた。抑え込みならば技の効果は秒数によって明らかなのでそもそも技の効果の宣告前に合議が持たれるはずはない、との認識。

■ 筆者の見解
まず読者に大前提として認識しておいてもらいたいのが、この件に対処すべき前提条件としての「法」だ。

「2014年~2016年国際柔道連盟試合審判規定」には

「2名の副審は、主審が誤って違う試合者に勝ちを示したとき、主審と副審が試合場を離れる前に、主審に訂正させなければならない。その後は試合結果を変更できない。審判委員会の委員がその間違いに気付いたとき、訂正を指示するために主審、副審を呼ぶことができる。主審と副審による三者多数決によって判断され、全ての動作や判定が、審判委員会の委員によって合意を受けた場合、その判定は最終的なものであり抗議は許されない。」(第19条第1項)

とある。今回のケースは併せて、全日本柔道連盟が2014年2月に発行した「IJF審判規定決定版(解釈)」に記載されている

「審判員が試合場を降りた後でも、結果に誤りがあり、その原因が明らかに人為的ミス(タイムキーパーの記録違い)である場合は、試合者を再度試合場にあげて勝者宣告のやり直し、もしくはGSからの試合再開ができることとする。」(15.試合結果について)

この条文を考えるべきだろう。つまり、今回のケース、「技効果の評価」ではなく「抑え込みの秒数の計測違い」という明らかな人為的ミスであれば、審判と審判委員会が誤審を認めている以上、試合裁定のやりなおしはルール上可能であると考える。
(註:蛇足ながら、高体連と中体連は過去の経験から審判員、試合者2名、双方の監督全ての合意があれば明らかな試合結果の誤りを訂正出来る旨「申し合わせ事項」という形でその「法」を担保している)

主審の試合場内における誤審は「起こりうること」の範囲内である。タイマーの不調、試合終了間際の微妙な抑え込みという試合者から一切目を離すことの許されない時間帯での、本来抑え込み時間を見る役割を担う副審2人による「技有」の進言。これはむしろこの立場で「主審」というロールに置かれたものの不運と呼んで良いのではないかとすら考える。(ただし、タイマーを自ら確認すべきであったこと、時計係への確認を怠ったことはミスであった)

副審はミスを犯した。抑え込み時間の誤認も勿論だが、抗議の声を唯一聞き取り得る範囲にいたと推測されるにも関わらず、合議を要求せず、その時点での「時計係への確認」を行わなかったのは二重のミスである。

ジュリーに関しては、少なくとも筆者は弁護のしようがない。あくまで個人的な評価だが、上記の経緯を読んでもらってわかる通り、当事者として主体的に事の解決に当たった気配がほとんどなく、その職責を全く果たしていないと考える。主審に見られるような不可抗力的な要素もなく「試合を見ていなかったのではないか」と批判されても黙して受け入れるしかないのではないだろうか。「客観視が可能な位置」と「助言を行うことが可能な立場」に身を置く意味が全くなかったと指摘したい。

しかし、より大きなミスは、(おそらく良かれと思って為された)「当事者(監督)にスコアの訂正の納得を求めた」こと、そして最大のミスは審判委員会がこれを認めてしまったことであると考える。

前述の通り、ルール上認められているのであれば、裁定変更の諾否を当事者に問う必要は全くない。超法規的措置を行おうとしたのであればともかく、ルールに従って粛々審判としての権限を行使し、それを通達すれば良いだけの話だ。裁定の行方を審判団以外の、それも当事者に委ねるのは職責の、むしろ放棄だ。

また同様に、「相手方が提案を受け入れないので、ためにスコアの訂正が出来ない」事情を相手方に伝える必要も全くなかった。結果的には、裁定の責任を当事者同士に押し付けたと批判されても仕方がない。これが誤解と「誤審事案における、試合当事者への批判」というありえない事態を生んだ原因であると考える。

そして最終的には、これは最高裁定者である審判委員長に責任を帰するのが妥当と考える。ルールとして正当と考えたならば、裁定を両者に言い降ろしてそれを粛々実行すれば良いだけの話だ。場内審判団から「双方の納得を得たい」との申し出があったとしても(審判団の申し出は誤審の当事者として”心情的には”理解できる)これは拒否し、当事者へのコンタクトは「説明」に留めておくべきであったはずだ。最悪でも、快諾を得られなかったことに対してその意向を受け入れるべきではなかった。審判委員と審判団は、試合当事者の意向に阿ったことで、結果として選手達も、そして監督たちをも守ることが出来なかった。これは現場の誤審とは位相が全く違う、大き過ぎるミスだ。

よってネット上で巻き起こっている「判定の変更を受け入れなかった」ことを論拠とした朝飛監督への批判はお角違いだ。本来、受け入れるも受け入れないも、その抗議や意向が判定に影響することなどあってはならないし、意向を聞かれること自体がありえない事態だ。そして少なくとも、純「競技」として考えたときに、ルール上非常に微妙なところにある、かつ、終了した試合のスコアを書き換えるという行為を監督が唯々諾々と受け入れるというほうがむしろ不自然な事態だ。

それが少年柔道の指導者としてあるべき態度ではない、という意見に対しては、筆者も、率直に言って複雑な思いがある。しかし、あの錯綜した状況で、ともに稽古してきた子どもたちの労苦の成就が一言に掛かる状況で、しかも成立したスコアの修正という「法」を超える(少なくともその時点ではそのように認識していた)行為に対して冷静な対処が出来なかったからと言って、それが全人格を否定するような批判に繋がって良いとは、まったく思わない。そしてそもそもこれは「外」に出るようなやりとりであっていいわけがないステージの話なのである。

主審は手練れのベテランである。私がこれまで知る限りでは竹を割ったような正義漢でもある。不可抗力的な要素が濃かったにも関わらず「やらかしたのはあくまで自分」「間違ったものを頑張る意味がない」と全面的に謝罪してスコアの訂正を求め、試合翌日もプライベートの時間を削ってネクタイを締めて大会関係者への謝罪行脚を行っていた(29日には所属柔連に進退伺を提出すると聞いている)、為すべきことを為した彼の「ミス」ではなく「人格や能力」を貶めるような言辞を弄しての批判には断固反対する。

そして、そもそも「試合成立後に変更が可能である」新規定を知らず、疑義を呈したところ自身の責任であるかのごとくそれを判定に反映され、ために恰好の標的となってしまった朝飛大氏への、これまでの活動や人格自体を攻撃するような批判も看過しがたいものと考える。ルールを曲げたのは、朝飛大氏ではなく審判委員会と審判団である。ここだけは、絶対にはき違えてはならない。

大きなミスが重なりあった結果起きたこの騒動で、本来被害者であるべき試合の当事者が批判の対象となること自体が筋違いの話なのだ。

絶対善、絶対悪の構図でしか物事を語れない、勧善懲悪的な価値観でしか物事を捉えられないのは議論や検証に慣れていない我がジャンルの人間の悪い癖だ。

柔道人はいったいに正義感が強く、理不尽なものを憎む傾向が強い。普段、ネットやSNSにおける「イジメ」のニュースを見聞きして、憤っている人間もことのほか多いだろう。この正義感は柔道人の武器でもあるのだが、正義があれば何をしても良いとばかりに、乏しい情報の中で事実を検証することもなく誰かの意見に寄りかかって実名を挙げ、あたかも犯罪者であるかのごとく、寄ってたかってその人格やこれまで積み上げてきたものを攻撃するような事態は、これと全く変わらないということをいま一度考え直して欲しい。

筆者には、今回のありえない誤審以上に、ネットで他者の意見(当初声を挙げた人の中には覚悟を持った、勇気ある問題提起が確かに存在した)に群がって事情の検証なく盲目的な批判を繰り広げる柔道人の多さ、この事態の方がよほど醜いと感じられる。ネットは半ば以上「公」の場である。発信は衆目にさらされる。発言には責任が伴う。そしてSNSを覗くのは柔道人だけではない。いったいどれだけの人が我々の醜さを目にしたのか、残念でならない。

物事は、一面的な要素だけでは測られないものだ。筆者が提示した「法」の解釈ですら新たな論拠のもとに崩れ去ることがあるかもしれない。このことまでを呑んで、読んで、ともに考えて頂きたい。

また、事態の検証はどうしてもどこかに責を求めねばならず、誰かを傷つけてしまうことになる。それを考えれば発言すべきでなかったかもしれない。しかし事態の進行の早さと意外さに、どうしても言わずにはいられなかった。ゆえに拙速稚拙な文章となってしまったことを、合わせてお詫びしたい。

さて、我々は何をこの件から学ぶべきか。

ルールの錯綜(上記の「試合審判規定2013-2016」および「解釈」を把握して試合場で事態の推移を見守った方はどれくらいいるであろうか?その複雑さと周知の不徹底こそ憂うべき事態だ)という面はもちろん教訓とせねばならないが、もう1つ筆者が強く感じたアスペクトは、「競技」というものと我々が柔道を通じて少年世代に伝えたいものの、相性の悪さだ。
筆者はかねてより、様々な場で「小学生の大規模大会は全廃すべき」との論を吐いて来たが、今回の事態における「批判」の方に耳を傾け、その思いをさらに強くした。

競技自体は悪いことではない。が、過熱は歪みを生む。競技性のあくなき追求は柔道(競技柔道ではない)が少年層に伝えるべきメッセージを見えにくくし、技術の早熟を促し、結果的には競技的に成熟すべき青年期の失速も生む。柔道界が少年柔道に対して為すことは枠組みとしての「鷹揚さ」のプロデュースであることが、再度確認された事件でもあったのではないだろうか。

最後に。筆者は、「中堅戦を引き分けに訂正して、のちに大将戦を戦わせる」のがあの中断場面における正しい対処であったと思っている。意外にも稿が長くなってしまったゆえ肝心の主張が薄れてしまうのを危惧し、最後にこれについてのみ再度明言して筆をおきたい。

また事の理非を明らかにするため、以後の試合運営者の糧とするため、私どものような民間ではなく、連盟からの公式調査と報告に期待したい、ともひとこと表明しておきたい。

文責:古田英毅
Text by Hideki Furuta

※ eJudoメルマガ版9月28日掲載記事より転載・編集しています。

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