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【eJudo's EYE】平岡らしく散った決勝、茨の4年間に敬意・ロンドン五輪60kg級評

(2012年7月29日)


※eJudo携帯版「e柔道」7月29日掲載記事より転載・編集しています。

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局面だけ見れば、いくべきではなかった。決勝、ガルスチャンが左内股、平岡はこれを股中で受け止め、ガルスチャンは前のめりのまま空中でストップ。平岡は落ち着いて、掬投を決めるべく脚をまたいで抜く。
次は腰を入れて横に密着すべき段、既に死に体になりかけているガルスチャンを密着自体で殺すべきタイミング。この側面の密着がキープできれば後は前に出て、離れて逃げようとするであろう相手にタイミングを合わせて前に体を捨てれば「一本」だ。しかし脚をまたいだ隙にガルスチャンは平岡から離れながら、出来上がった隙間を利用して完全に平岡に尻を向ける。

「離れる」「相手に背を向けて、横ではなく後ろを向ける」ガルスチャンが行った回避行動に含まれる重要要素はこの2動作。

「後ろを向けられる」のは実は平岡にとってはまずい状態。側面について腹を合わせていればガルスチャンの巻き込みを食うことはないが、相手の真後ろについたまま前に出る動作を行うと、ガルスチャンが足を動かす隙間があるため、外側に足を引っ掛かられて巻かれる危険性がある。

「離れる」こと、これもさせてはいけないこと。が、これは完全な回避行動で、次の段で平岡が行うべき「前に出る」行動と力のベクトルが合う。離れようとする相手、つぶれようとする相手は必ずそこでバランスを崩す、そのタイミングに合わせて相手の想定する着地点より体ひとつ分前に出るのが掬投の王道。この機を逃してはいけない。

平岡は結果として、リスク管理よりもこの、相手が下がり潰れる間に合わせて一本を取ろうとする「チャンス」を採った。
結果、相手の後腰にくっついたまま前に出るという体勢になったわけだが、もはやこの時点で相手の技を巧みに殺した、前段の体勢的なアドバンテージはなし。いわば相手の技を単に真後ろで受け止めただけの体勢で前に出てきた平岡をガルスチャンは得意の巻き込みに捕らえて「一本」。双手刈を仕掛けて前に走ってくる相手が、相手の腰にくっついたまま巻かれる、あれと同じ理屈だ。

そもそも巻き込みファイターに対する掬投自体が選択ミス、安全運行第一でいくべきだったという意見も当然あるだろう。

そしてこの日の平岡、実はここまでにこの手の危うい場面はいくつもあった。準々決勝のミル戦でイチかバチかの大内刈をかぶり返されてひっくり返った場面(場外に1回出たとの判断でノーカウント)などはその好例だ。
苦手とするザンタライアとソビロフの立て続けの敗退、度々自らを救う審判団の判定の綾と、この日の平岡はどうやら流れを掴んでいると思われた。平岡は最後の最後のこの五輪で神に愛されていると思ったファンも多かったのではないかと思う。よってこの神が差し伸べ続けた手、そして警告を平岡が無視したことに対する罰を食ったという残酷に過ぎる考え方をすることも出来るだろう。

しかしここは敢えて「平岡らしい散り方」と前向きに評価したい。身体能力の高さに引きずられ、行っては行けない場面でも体が動いてしまう、攻撃に出てしまう平岡。その攻撃性と身体能力の高さゆえ度々大きな怪我をしてそのキャリアを危うくしてきた平岡。「我慢」をテーマに掲げて臨んだこの五輪だったが、良く悪くも平岡はやはり平岡だった。平岡を平岡たらしめて、ここまでの地位に引っ張りあげてきた攻撃性、攻める性格、これを最後まで発揮したゆえの五輪という究極の場での決勝までの勝ちあがり、そして散華だったと評したい。動きを見る限り決して好調ではなかったが、それでも決勝まで勝ち上がったのは平岡の持つ攻撃性と、苦労人ゆえの心の強さだ。

そしてどうしてもこの稿で表明したいのが、平岡の労苦に対する敬意だ。展望記事で書かせて頂いた通り、北京での惨敗以降平岡が歩んだ道はまさに茨の道。負傷続きで体が壊れる寸前でありながら常に結果、そして皆勤という「態度」までもを求められ「若手と代えるぞ」と吐き続けられる世代交代へのプレッシャー。
先日、ある人物が「平岡は辛かっただろうな」と呻いていたのを耳にしたことがある。代表発表会見の際、吉村和郎強化委員長が平岡のファーストネームを読めなかったことを指してである。五輪に出、そして4年間合宿に出続けて次の五輪を担うことになった選手の名前を、知らない。この4年間の平岡の置かれた立場、世界選手権3大会連続メダリストという栄光に隠された冷や飯の食わされっぷりが伺えるというわけだ。

平岡は、全てに耐えた。
そして、逃げることもなかった。

この銀メダルを単に「色が足りない」と評してはいけない。
満腔の敬意と賞賛を持って、帰国する平岡を迎えようではないか。

最後にもう一つ。篠原信一・男子監督が残した談話について。「五輪はたった1回の油断で失敗に終わる。そこが一番になれないあいつの足りないところだ」と発言した旨が報じられているが、このコメントの真意が図りかねる。これまで厳しい発言、選手の弱点を厳しく突く発言を繰り返してきた篠原監督であるが、全てはこの五輪に向けて選手に成長して欲しいという思いがあってのことだったのではないか。その終着点に辿りついた選手に対し、そして何より、自分が唯一無二責任を持つべきこの最終ステージである五輪の場で、なぜ責任を取るべき自分でなくて選手を責める必要があるのか。4年間、篠原監督の時に理不尽とすら思える公の場でのコメントと過酷な練習日程に選手が耐えてきたのは、この五輪があるから、そして五輪という場でもっとも責任を負うべき辛い立場にあるのは篠原監督であるという前提があるからではないか。その前提をあっさり放棄したと取られたとしても文句のいえない発言だ。
選手を選んだのは自分自身、もし選手に責めるべき部分があるのであればそれは篠原監督の任命責任でもある。初日から公の場で行われた、筋違いの選手批判。本来、トップがメディアに向けて発する言葉は、チームのプロデュース、選手のメンタルのコントロールのツールとして使われるべきである。この発言に、全日本チームをどう導き、どう勝たせていこうかという意図があるというのか。この明らかに軽率な発言がこの後登場する選手のモチベーションに悪影響を与えることがないことを、ひたすら願ってやまない。

文責:古田英毅



※eJudo携帯版「e柔道」7月29日掲載記事より転載・編集しています。

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