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【eJudo's EYE】復興支援大会支えたサムライ指導者たち

2012年3月18日


※eJudo携帯版「e柔道」3月18日掲載記事より転載・編集しています。

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【eJudo's EYE】復興支援大会支えたサムライ指導者たち

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写真:2月に行われた「復興支援」
女川町長旗争奪復興支援
全国高校選抜柔道練成三春大会
いよいよ明日19日から2年ぶりとなる全国高等学校柔道選手権大会が東京・日本武道館で開催される。「2年ぶり」の理由はいわずもがな、昨年は大会直前に勃発した東日本大震災の影響で大会は史上初の中止となり、選手たちは憧れの日本武道館の畳を踏むことなく春のシーズンを終えることとなったからだ。今大会に出場する選手は、昨年の先輩達の思いも背負っての出場となる。

幣サイト編集部はこの高校選手権に至る都道府県予選、そして招待試合サーキットを追いかけ続けてきたが、随所にこの「行われなかった選手権」に対する選手と指導者の思いを感じる場面があった。特に、昨年出場権を持ちながら出場叶わなかったチームの選手達、この日本武道館に辿りついた思いの深さは格別であろう。

そしてこの「震災からの復興」という文脈でとりわけ思い出深い大会がある。招待試合サーキット最終戦、2月10日~12日に行われた「第6回女川町長旗争奪復興支援全国高校選抜柔道練成三春大会」である。

eJudoでも既に「柔道の絆と三春町の男気、異例ずくめの「復興支援大会」開催」と題した記事(2/13)で簡単に紹介させて頂いたが、この大会はもともと女川町で行われていた高校柔道界の名物大会。東北の高校柔道レベルの浮揚を狙って全国から強豪高を招いて練習会と試合を行い高校選手権の前の最後の追い込みの場としてすっかり定着していたが、女川町は昨年の大地震と津波で壊滅的な被害を受け、同町のスポーツ事業は全て中止。当然この大会も中止やむなしの情勢だったが、大会に参加続けていた強豪高の指導者を中心に「大会の灯を消すな」「女川を助けろ」との声が相次ぎ、結果、インターハイ3位の強豪、田村高のある三春町に話は持ち込まれる。同町は「女川町長旗の名前を残すならお預かりしてもよい」と男気溢れる決定を下し250万円の補正予算を議決。自治体が他自治体の名前を冠した異例づくめの大会が開催されることになった、というのがそのアウトラインだ。

この大会の裏には、女川町、三春町の関係者の並々ならぬ苦労はもちろん、大会を支えた指導者達の血のにじむような苦労と、柔道の仲間に掛ける強い思いがあった。既にアップ済みの高校選手権の展望記事では有力校の選手、有力校監督インタビューで頂点を狙う指導者達を何人か紹介させて頂いたが、この「三春大会」を支えた指導者たちも多くが今回の高校選手権に参加する。彼らがこの三春で何をしたか、どう関わったのか、一言ここで紹介させて頂きたい。

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写真:復興支援大会を引っ張った
田村高・下山田恵一監督
下山田恵一(福島・田村高)はこの異例の大会の首謀者。役職上は大会総務という立場で裏方に徹したが全てのコネクションを供出して大会を実現にこぎつけた、実質上の実行委員長だ。大会前日のレセプションで「どの先生にも賛同はしてもらえたが、参加は難しいのではないか。いったい本当に来てくれるのかと眠れぬ夜が続いた」と目に涙をためて振り絞った声にその労苦が偲ばれた。

田村高は今夏のインターハイで東北勢では実に14年ぶりとなるベスト4を実現したばかり、現在の東北地方で強さとメソッドで全国トップレベルと息のできるほとんど唯一のチームであり、下山田を始め「この大会に強くしてもらった」「東北の柔道の灯を消してはならない」との関係者の思いは人一倍だった。
なんとか女川を助けたい。7月に話が持ち込まれると下山田は菅野正行校長とともに町役場に赴き、鈴木義孝町長に直談判。「三春町長旗でやらないか」と持ち込んだところ町長は言下に否定、「行政としてそんな失礼なことは出来ない。復興支援大会という名目で、女川町長旗の名前を残すなら可能性がある」と議会に諮って補正予算の支出を決めたというのは既報のとおりだ。

開催不能と思われていた大会に見えた光、しかし下山田の苦悩はこれから始まった。連絡した指導者の殆どは即刻支持を表明してくれたが、福島は放射能の風評被害の只中。柔道部が行きたいと言っても果たして学校側は選手を送ってくれるのか、保護者は理解を示してくれるのか。また、町が支出を決めた補正予算は250万円で、大会開催にはあと数百万円の準備が必要。できることは全てやるしかないと手ずから会場の放射線量を測って参加候補の学校にデータを連日送付、朝練に夕方の稽古と指導の手も緩めず、さらに全ての伝手を使って資金集めに奔走した。もちろん一銭の報酬も受け取らずに、である。

結果、今大会はほとんど昨年までと同じ規模で実施。全日本柔道連盟、東北柔道連盟の後援も無事取り付け、「全国選抜」にふさわしい陣容で大会は開催された。

レセプションには三春町長らのほか、女川町側からは長年大会を支えた佐藤誠一生涯学習課課長ら関係者も駆けつけ、全国の指導者と合わせて63名が参加。冒頭に「感謝の気持ちしかありません」と一声発したまま壇上で言葉を失った下山田に、その苦労を知る関係者たちから万雷の拍手が浴びせられた。

下世話な話だが、田村高が全国に名だたる強豪になるまで成長していたからこそ、田村高を抱えその存在価値を認める三春町がこの話を受け入れた、この大会を行う素地があった、と見ることも出来る。田村がなければ、下山田がいなければ、東北地区唯一の全国レベル大会は昨年をもって地上からなくなってしまっていただろう。「柔道の持つ普遍性、古き時代のよさ、「絆」を感じました」と関係者への感謝を語った下山田だが、最大の殊勲者は間違いなく下山田自身だ。

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写真:大会創設からかかわり続けた
東海大四高・水落満雄監督
そもそもこの「女川大会」はいかなる経緯で誕生したのだろうか。大会創設時から関わる東海大四高(北海道)の名将、水落満雄に話を聞いた。

低迷にあえいでいた東北地区の指導者達が「大きい大会を開いてきっかけを作りたい」と平成18年に開催したリハーサル大会、これに招待された唯一のゲストチームが東海大四高だった。「ゆくゆくは大きくしたいので力を貸してくれ」と懇願された水落は「松前旗(12月に札幌で行われる巨大招待大会)の恩返しをしたい」という東北の指導者達の熱意にほだされ、単なるゲストではなく主催側として大会に濃く関わっていく。名だたる強豪校が交通の便が決して良いとは言えない東北・宮城の地まで足を伸ばすようになったのは、水落の人脈と功績によるところが大だ。

「1回目、2回目は大変だった。審判が来てくれなかったり、県柔連がそもそも大会を見に来てくれなかったり。」と苦笑する水落。奔走の結果、第3回目に全日本柔道連盟の後援が決定、これをきっかけにバックアップ体制が固まり始めたという。

「逆に、出ることは名誉だという大会になってきたから、最初から関わってきたものとしてはこれは面白いよね」と語る水落、「女川町の徹底支援が成功の一番の原因では」と振り返ってみせたが、水落の共感と協力がなければこの大会も、単なるローカル練習会の粋を出ないものに終わっていた可能性も大だ。

「大会の参加?迷うもなにもないよ。出ることで応援できるんだったらこれ以上のことはない」と水落はこともなげに語る。震災下、放射能の風評被害下にある福島に乗り込むにあたってはおそらく奔走、解決してきた労苦も並々ならぬものがあったことは間違いない、しかしそれをおくびにも出さず、合同稽古に臨む生徒を叱咤する水落の姿にはまさにサムライ、名将の風格があった。

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写真:被爆地・広島からの参加で
周囲を勇気付けた崇徳高・加美富章監督
大会には、運営する人間と参加する人間がいる。いくら運営者が努力しても参加するチームがなければ大会は成り立たない。これは当たり前のことだ。

放射能の風評被害の只中、国の発する情報も錯綜しており、何が「安全」なのかかわからない、この状況下で福島に乗り込むのは並大抵のことではない。今大会参加に当たっては運営者だけでなく参加者にも相当な覚悟と労苦があったはずである。その話を聞きたいと何人かの指導者に話を聞いたが、究極はこの人、広島の強豪・崇徳高を率いる加美富章だった。

広島は言わずと知れた世界初の「被爆地」。被爆地から被爆地へ、ここにストーリーを感じてのインタビューだったわけだが、次々と発せれる威勢の良い言葉にこちらは圧倒されっぱなしだった。

曰く「参加に反対はなかった、あるわけはない」、「広島人には『俺らには(放射能に)免疫がある』くらいの雰囲気があるから」、「父親も黒い雨を浴びてるけど、自分はピンピンしてる。」、「うちの学校は原爆ドームから歩いて5分。そもそも原爆で正門以外は全部消し飛んだところから立ち直った学校だから。」、「(放射能に)神経質になるのは時代ってのもあるだろうけど、みんな騒ぎ過ぎ」、等々。

生徒さんはどうでしょうかと尋ねたところ、「みんなその広島で生まれ育った子たち。1人熊本から来ている子を『お前は免疫ねーぞ』と回りがからかったら、『長崎に親戚がいる』と言い返してました」と苦笑。予想以上のアッケラカンとした態度、そのカッコ良さにこちらはすっかり当てられてしまった。

しかし最後の「もちろん強化のためにやってきたわけですが、我々が参加することが大会を盛り上げる、広島という土地から参加することが力になるならという思いは勿論あります」という言葉には使命感がにじんだ。広島の学校が乗り込むのであれば、もう文句を言えるチームはない。参加校確保に奔走する大会運営側にとってはこれほどのことはなく、崇徳が早々に参加を表明したことがどれほど運営側と他の参加校を勇気付けたかは想像に難くない。

あくまで強化のために参加した、これは普通のことなんだという態度でインタビューを終えた加美だが、一連のセリフは、この自分達の立場を理解した気負いが生んだものだったのかもしれない。

崇徳高は、この三春大会、並み居る強豪たちを抑えて見事優勝を飾った。こう言ってはなんだが、この大会、優勝に対して最大の「権利」を持っていたのは地元・田村を除けばこのバックグラウンドを持つ崇徳。優勝という結果は実力は勿論、ドラマとして非常に妥当なものだったと言えるだろう。

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写真:女川町関係者に「柔道が助けてくれに来てくれた」
と語らしめた京都学園高の活動を率いた山田千歳監督
前述の女川町教育委員会・佐藤生涯学習課課長は、「まず米軍、次に自衛隊、次は柔道が助けに来てくれた」と震災直後を振り返ってくれた。この助けに来てくれた「柔道」、その中核を担ったのが平成21年大会から参加を続ける京都学園高(京都)、監督は山田千歳である。

震災直後「何かせなあかん、したい、自分達は何をしたらええのですか」と宮城県の関係者にコンタクトをとったという山田。生徒達に呼びかけたところ、「やりたい」と全員一致で、本来全国高等学校選手権大会に遠征するはずだった3月19日から21日の3日間を使って京都市内の4箇所に立ち、女川町への募金を募った。被災地のため、と京都新聞を巻き込んでの募金活動はトータル140万円が集まり、うち80万円が直接女川町に送られることとなった。

チームは8月、秋田県で行われたインターハイ直後も「何かしたい」と岩手での合宿を経て、千羽鶴を持って女川に駆けつけた。しかし「何も出来ることはなかった。逆に町の人や先生方にこちらが励まされるばかり」。涙がこぼれたという。

今回の「復興支援三春大会」への参加については「一切揉め事はなかった」とのこと。経緯をしる保護者達は「ぜひ行ってくれ」と理解を示し、佐々井宏平校長も「生徒のためになる。これが本当の教育なんと違うか」と派遣を快諾したという。

女川との関わりで生徒は変わりましたか、と尋ねてみた。「『自分達が生かされている』『柔道が出来る』ことに当たり前に感謝できるようになってきたような気がしますし、自分たちで考えて行動できるようになりましたね。」とのこと。柔道にもそれが生きないはずはなく、この三春大会では優勝候補筆頭の桐蔭学園高(神奈川)を準決勝で食って2位に食い込んだ。

前述の指導者達のうち、下山田、加美、山田は明日からの全国高校選手権大会に監督として乗り込む。また、三春大会に参加した東北以外からの招待校8チームからは鈴木寛人(桐蔭学園高)、高波善行(小杉高)、佐藤達也(前橋育英高)、大倉太(豊栄高)と合計6名の指導者が監督として指揮を執ることとなる。鈴木の桐蔭学園高、加美の崇徳高は優勝候補の一角だ。

20日の選手権では優勝争いに加え、これら「サムライ」指導者の戦いぶりにも注目してほしい。自他共栄を実践し、柔道仲間のため、被災地のため言葉だけでなく「柔道」を通じて実際に行動した彼らの奮闘に改めて拍手を送ってあげてほしいのだ。

文責:古田英毅

※文中、敬称は略させて頂きました。




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